* 次のグーグルの新製品が面白い
 ニュースでグーグルの次世代端末「グーグルグラス」を紹介していたのをYoutubeでみたが、これは面白い。
メガネのフレームの上部だけの柄に超小型カメラがつけ、視線が、そのままネットの生中継で世界に配信される。
見知らずの人の視線が、そのままリアルで見れる面白さは格別。これは視覚のツイッター。「カメラ、ビデオ」と発音すると、
その機能が立ち上がり自動撮影するという。 これをグーグル・アースに繋げると、アフリカや南米のある地域をクリックし、
見たいシーンを打ち込むと、誰かの目線が現れ出てくるのだろう。ジンバブエバンジージャンプが見たいといえば、
飛び降りる画面を生で見ることも可能に? 日本橋三越本店の客か、店員の目線のアクセスも可能になるはず。
日本で売り出されるのは来年辺りだろうが、これが当たり前になるとしたら、まさにSF世界。 いや現在もそうか。
他のメーカーも、こういう類の情報端末が出してくるはず。情報端末の進化は止まることはない! 良いのか悪いのか?
   * 何歳まで生きたいですか?の質問に
 ある調査で、「あなたは何歳まで生きたいですか?」の質問に、
60歳未満が8・5%、70歳未満が15・1%、80歳未満が31・1%、90歳未満が54・1%、100歳未満が60・9%、
百歳以上が僅かに9・3%という。更に150歳以上は6・5%。私なら、90歳未満と答えるが、酒の飲み過ぎで無理。
それにしても意外な結果。神様がいたとして、「幾つまで生きたいのですか?希望を重視しますから」と問われたら、
やはり90歳と答える。「寝たきりでも良いですか?」と問われれば、躊躇する。元気が前提、いや絶対条件になる。
死ぬまで10年間は、何らかの形の介護を要するというから、80半ば? これだけ面白い情報が手軽に入手できる時代、
出来るだけ長生きしたいが、「生老病死」の苦痛を考えるとどうだろう? 不摂生もあり、せいぜい7〜8年か。
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4059, つれづれに ーネット社会の現在
2012年05月06日(日)
  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を読むことがある。 最近、店内に入ると、
iPhoneかiPadで、その店が契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。よく考えるものである。 
前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、契約はしなかったが、これも面白い企画である。
現在、私が契約しているのは、朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューンである。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん有料でアクセス出来るブログがあるが、
写真集のデジタル本に有料でアクセス出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、
インプットに戸惑って使いこなすことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから購入すること。
それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買うことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が
世の中を変えたように、世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど書き込みや閲覧の
端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。
何ども書いているが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。 PCは居間のTVの前と、仏間の書斎コーナーに
iMac一台ずつ、とiPad、合計三台を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。 これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝のポタリングと、週二日の近くの店のランチで
息抜きをしているのが日課。 これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 
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3693, 自己を見つめる −15
2011年05月06日(金)
  * 幸福について (不幸について) ー2      「 自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 不幸は、その出来事の客観的説明の当否のいかんを越え、また、その人の主観的資質の鋭敏さの度合いのいかんを越えて、
その人に、いやおうなく襲いかかる絶対的事実である。 不幸は、その人の時間的歴史的な人生遍歴の過程のなかに突如、
痛苦を与える刑罰として立ち現れる、不可抗的な不倶戴天の敵である。不幸とは、その人を根底から震憾させる苦悩の化身である。
そうした不幸は、この世の中のいたるところで、不運、事故、災難、災害、病気、心痛、貧困、労苦、不遇、虐待、軋礫、失敗、
挫折、対立、不和、紛争、戦争などの種々様々な姿において、たえず出現の隙を窺っている悪夢である。したがって、不幸は、
ものの見方を変えることによって、消去したり、転換したりすることのできるような、たんに主観的な事柄では断じてない。
それは、深刻な苦難として、この世の中に、乗り越えがたい障壁の姿で、厳然と存在する。それゆえに、こうした不幸においては、
何よりも、その出来事が、その人にとって、この上なく不当で、許し難いものとして感受されるという点が大切である。
なぜ、自分は、このように、辛く、苦しい、耐えがたい悲惨や屈辱や困難を課せられねばならないのか、どうして、自分は、
このように、見捨てられ、罵倒され、除け者にされ、迫害される憂めに会ねばならないのか、と、いくら自問しても、
その理由が分からず、ただひたすら、苦悶し、絶望するところに、不幸と苦悩の本質があるのである。
そのことは、旧約聖書ヨブ記のなかに典型的に示されているとおりである。善人のヨブは、あるとき、理由もなく、
身の毛もよだつような苦難と不幸のすべてに襲われ、ついに、ヨブは、神を呪うほどの絶望と絶叫のなかに陥ってしまう。
こうしたヨブの心境こそは、この世の不幸と苦難に逢着したすべての人間が抱く感懐であり、苦悶であろう。・・・】
 ▼ 人の間で生きている人間は、他者と自分とを比較し、色々憶測する傾向を持つ。 従って、大小種種の、不平不満、卑下慢心、
 確執や争いが、あらゆるところに、絶え間なく起こる。 それは絶えず、出現を窺っている悪夢であるが、一度、檻から出たら、
 本人とて抑えることが出来ない猛獣として暴れまわる。それが他虐になり、次に自虐として、深手を負うことになる。
 ニーチェが度々引用したように「難破しながらも、よく航海したものだ」と授戒することが出来た人なら、直ぐに次の新たな
 取り組みをすることができる。 しかし、意志薄弱者は、ただ恨む対象を探し、そこに執着し前進が出来なくなる。
 その辺のことが理解できないのは、それまで生きてきた中で経験を消化してこなかったことに由来する。不幸は自分で招くこともある。
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3328, HPを開設、10年目!
2010年05月06日(木)
 一昨日で、このHPを開設して10年目に入った。旅行中も出発前に書きだめをして、会社の人に頼んで書き込んできたので、
ほぼ休んだことはない。 時どきスランプになるが何とか続けてきたが、書きあげる重要性が日ごと分かってくる。
一つのことを続けると、その習慣が自分自身になる。  ここまでくると、私の精神というより、魂の中核になる。 
HPではレポート用紙で15枚分までの字数の制限があるので、数年前から毎日カットせざるをえないが、身を削るようで辛い。 
それだけエネルギーが入っている。 第三者の目を意識しながら、自分の思いの倉庫(墓場?)として、その時どきの、
浮かんだ思い、習得した知識、面白そうな情報、潮流を書き出してきた。 あと一年で10年になるが、書きたいことは
書き出したつもり。 その時どきの時節のメルクマールとして、情報タンクとして非常に有効になっている。 
 また毎日、過去分の同月同日に書いた内容を読み返すことができるのが一番のメリット。
「書きだめをして何になるのか?」といわれても、返す言葉はないが、これが魂の中核なのだから、
中心点に向かって一日2〜3時間、気持ちを集中し続けている、それが全てである。絵、俳句など、それぞれ人によって違うが。
 まず文章のテーマを考え、情報を集めて、書いて、何度か修正するプロセスが考えるということ。
いま書いている文章の読者は、未来の自分であり、過去から現在にいたる因縁ある人であり、新たな因縁のある人。
文章を書き、それを公開するのは恐ろしいところがある。 自分を曝け出してしまうからである。 今さら、仕方ないだろう!
と、何度呟いたことか。 書き上げて、アップロードした瞬間に、見事なぐらいに内容を忘れてしまう。気持ちが入るほど、
そうなってくる。 したがて一年ごとに、その内容と出会うと、驚くことしばしば。 数年前の今日こんなことを考えていたのか、
こんな本を読んでいたのか、こんなことに出会っていたのか、等々に驚かされる。それは既に過ぎ去った過去の自分である。
(字数制限のためカット 2012年5月6日)
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2953,人はどうしてオヤジになるか? −3
2009年05月06日(水)
 * オバサン前段階のアラサーとアラフォー
   ―女の最後の輝く時ー
 最近、アラサーとアラフォーという言葉がマスコミ上で目に付くようになった。40歳前後の女性を指して
around 40を略してアラフォーという。日本的風土では働く女性は「仕事と結婚」の両立が大きな問題になっていた。
しかしこの世代は、男女雇用機会均等法のもとで社会進出を果たし、自由に選択できるようになった。
しかし、これが人生の転機を遅くさせ、大きな問題になっている。アラフォーはアラサーから派生した言葉。
アラサーとはaround 30を略した言葉で「30歳前後の女性」を指す。2005年の女性誌が使ったことから広まった。 
彼女らは90年代中頃にコギャル文化を体験しており、団塊ジュニアに続く世代区分としてアラサーを用いるようになった。
それに次いで登場したアラフォーの概念で、1964年から1973年に産まれた人となる。40歳前後は、オバサン化するか
どうかの瀬戸際である。もう一度女として花を咲かせるかどうかの?20年ほど前になるが、
ある大手の保険代理店の支店長が言った言葉が印象的だった。「女性の一番美しいのは40歳前後。
その年頃の女性は人生の分かれ道、何ともいえない色気が沸きあがっており、危ない時期でもある。 
彼女らとは塀の上で仕事をしているので、一つ間違えると塀の向こう側に落ちてしまう」そういえば、スナックなどの
アルバイト女性に、その頃の女性が目に付くが、なるほど色気が満ちている。しかし45歳を過ぎると同時に、
坂道を転げ落ちるのように変化するのも事実。 それにしてもアラサー、アラフォーとは、上手く命名したものである。
《そこのお嬢さん! 鏡ばかり見てないで(外装だけでなく)内装も手入れしておきなさい!》最近は、兄さんにも言えるが!
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2589, 日本の真実
2008年05月06日(火)
 「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」の警告が、あまりに当たっているので、副島隆彦の「日本の真実」を、
アマゾンで買って読んでみた。「日本はアメリカの属国、日本の支配者層は、その傀儡の売国奴でしかない!」と、
辛らつに切り捨てている。 また、そう直視すると見えない真実が見えてくる。角栄や栄作など、隷属国家の悲哀を
一番良く知っているのだろう。角栄と、福田赳夫アメリカに呼びつけられて、ある人物に大声で怒鳴れれている
現場の生々しい話を聞いたことがある。二人が震えていた姿が痛ましかったとか・・・
しかし、その御陰で、アメリカ型消費社会を享受することが出来たのである。
その毒饅頭のおかげで、脳までやられてしまったのが現在の日本の有様である。
 ーまずは、その概要からー
「最高支配層だけが知っている日本の真実」  ー副島 隆彦 (著)
ー表紙裏の「著者からのコメント」が面白い!ー
 本書が提供するのは「日本の最高支配層の人間たちだけ」が知識と情報として占有し、隠し通し、一般国民には
絶対近づくことをさせなかった諸事実である。なぜ一般国民には大きな事実が知らされないのか?
その理由は、現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の属国群のひとつであり、しかも属国の優等生として卑屈極まり
ない現状にある私たち日本国の支配層の人間たちが、帝国からもたらせれる高度の情報と知識を独占することによって、
それら最高情報が生み出す価値を自分たちだけで享受し、そのことから来る圧倒的な優位性によって国内権力者層として
存在しているからである。だから、これらの秘密を公然と暴き立て、一般国民に知らせ、広めることが、私たちの日本国に
どうしても必要なことである。そうすることで、一方で帝国から常に脅され、脅かされている現在の惨めな彼ら指導者たちと
一般国民の間に壁が消えて、日本人が一致団結して、国難に立ち向かうことができるのである。 「編著者のことば」より
  ー目次   (字数制限のためカット 2011年5月6日)
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2007年05月06日(日)
2224, 自分の居場所ヽ         (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ    
 昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。 八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、
大所帯の中で独りで自分の居場所を何時もつくっていたため。その条件が誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けていた。
人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。
両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、
バランスが崩れてしまい、自己嫌悪になるケースが多い。その根本が、親への愛情に対する不平不満である。
愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、何処かに母の存在を求めて居場所の確保追われることになる。
(これは当人は気づいてない)その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。
その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と自分の心の奥で悟るしかない。
その心の在りかたが、解決になる。それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。
自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」
と同じ心理状態となる。たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。反対に親に自分をからみ取られて、
母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺のマザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、
自分の人生は無かった?という虚無感である。私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。
そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、後悔はないが・・・。
▼ ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に? 居場所づくりとして何をしてきたかというと、
・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、人によりそれぞれ違う。)
・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころなる
 愛読書を置く。現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に4冊以上の本を携える。座った席がそれだけで自分の居場所になってしまう。
・そしてコーヒーのセット。
・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。
私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。
地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 
面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・          ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪
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2006年05月06日(土)
1859, 体罰は教育?                 才八∋ウ_〆(∀`●) 
 昨日のモーニングショーで、最近釈放されたばかりの戸塚ヨットスクール戸塚宏氏とタレント系?のヤンキー先生
討論をしていた。ミスマッチといえるほど戸塚氏の方が一方的な内容で、老教授が若い学生を教えているようであった。
ヤンキー先生=ヤンキー上りが売りで生徒をみちびく教育をしている)「目的は、体罰そのものではない!
 (以下、字数の関係でカットしました。2008/05/06)       ヾ(^ω^*) バイ
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2005年05月06日(金)
1494, いま・現在についてー2
「どうせ死んでしまう」ー1  ー読書日記ー         
 ー私は哲学病ー
究極の、刹那的な言葉といえば[どうせ死んでしまう]である。「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。
しかし、尽きるところ、それである。「いま」を考える時、キーワードとして「永遠」がある。
しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。生は限られている。
所詮はどうせ死んでしまうのである。それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。
個々人にとって、自分の死が基点になる。自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。
目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。
 (以下、字数の関係でカットしました。2009/)
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2004年05月06日(木)
1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー2
 谷沢永一 2000/10/19『PHP研究所』 
二年前に書いた文章の続編である。図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。 先日おなじ本を借りてきて、
以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、二年前に書いてあった。 『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より
知っておくべきことと、前の文章を読み返して、つくづく思った。知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。
こういう知識に対して無知の人があまりに多い。他人事でないが。『すべきこと』も、まったくそのとおりである。
  ー以下は 「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。
ーすべきこと(抜粋)
 ・真の友をもつ ・人生設計を立てる ・生きるためのお金を得る ・本を読む ・夢をもつ ・感動
 ・人生のブレーンをもつ ・結婚 ・趣味を持つ ・前向きに生きる ・一人旅 ・音楽を聴く ・失敗を経験する .
ーしなくていいこと(抜粋)
 ・分相応 ・世間体をつくろう ・他人と比べる ・出世競争 ・嫉妬 ・功績を誇る ・不正をただす
 ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.
ーしてはいけないこと(全項目)
 ・言行不一致 ・頼み事 ・金を借りる ・子供を私物化する ・自分がされたくないことを人にする ・運のない人とつきあう 
 ・卑屈な生き方 ・自分の欠点をかなしむ ・マイナス条件を数え上げる ・知識を誇る ・嘘をつく
ー後記
 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、以外と平気で借りにくる人がいる。
(字数制限のためカット 2012年5月6日)
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2003年05月06日(火)
762, あるホームページ
 (字数の関係でカット2,008年5月6日)
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2002年05月06日(月)
 398,新潟駅前界隈ー2
ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。止めるに止められない状態といってよい。以前から私は個人で飲むときは、
一軒目は3500円が最高限度である。二軒目も4000円か5000円止まりである。
   (字数制限のためカット 2011年5月6日)
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2001年05月06日(日)
 ホームページの可能性
ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。貧しい?内面と過去の公開といってよい。
特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。もしHP?ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後に
コピーした久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。
これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。どうなっていくか楽しみだ。
?>?>?> ホームページとは        (久垣啓一)
ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
ホームページは、巨大なデータベースである。
ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
ホームページは、家族の関係を豊かにする。