『隠居大学』 天野祐吉
   * 隠居をすると自由になれる ー宇宙人を目指そうー お相手 谷川俊太郎
 ここで、「人生はカマボコ形グラフ」とあるが、そうかもしれない。右下がりは以前、還暦だったのだろうが、今は古希か。 
体力からみると、私は古希が目安。リタイアーをした後、スポーツジムに連日通いだしてから足腰は寧ろ、強くなってきた。
知能も、バイアスが取れてきた分、これも良くなった?ようだ。とに角、面白い。 
≪ 谷川: うん、それもあるし、ぼくは幼児に戻れるというふうに思っています。われわれ世代は高度成長の時期と
 重なっているからか、人生についても右肩上がりのグラフで考えるくせがついていたんですよね。
 けれど、やはり母の介護を経て、「老い」ということを身近に考えるようになって、鶴見俊輔さんらがいうような
「人生はカマボコ形グラフ」なんてことが、実感としてすごくよくわかるようになった。ある程度上がったら、
 下がっていくのが自然なんですよ。それはさっき言ったように自由になったり、解放されたりすることも含めて。
天野: 下降ということは、嘆くばかりのことではない。
谷川: そう、人間の加齢を考えるとき、樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすいと思っています。
 中心に0歳の自分がいて、一歳、五歳……とだんだん経験とともに年輪が増えていき、いちぽん外側に現在の自分がいる。
 だから、どんな年齢の老人のなかにも、0歳や三歳の幼児がいる。これは心理学でもそういう考えがあると思うんです。
 そして、働き盛りの中年期を経ったら、今度は積み重ねてきた年輪が一枚一枚、はがれていく。つまり年をとればとるほど、
 中にもともといた自分、幼児の自分に戻れるのではないかというのが、持論です。
天野: なるほど。年輪となる厚い木の皮は、たんに経験ではなく、社会的な制約というようなものでもあるんだ。
谷川: 中年期のひとだって、本当は幼児の自分を持っているわけです。そしてその部分は、本当はもっと自由になりたいと
 いつも思っているはずなんですよ。われわれのように詩を書くような人間は比較的自由に幼児の部分を出せますが、
 会社組織のなかにいると、そうもいかないでしょう。だから会社が終わって飲み屋さんに行って、ママさんに甘えるという
 かたちで幼児性を解放しているんじゃないかと、ぼくはそうにらんでいます。
天野: なるほど(笑)。つまり幼児化、宇宙人化は、もともとできたことが下降したり変質したりするわけではなく、
 むしろ、 自然な姿に戻っているということですね。≫
▼ 「加齢を樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすい」というのが言いえて妙。一番外の厚い皮が社会的制約、も面白い。 
 その樹皮を外してやるのが御隠居の第一歩。一度外すと、「遠き日は 年とるごとに 近くなり」になっていく。
 振りかえると、してしまった後悔と、しなかった後悔がある。後悔あとに立たず、だが・・ 解放され自由になるのは良いが、
 それを楽しめないと重荷になってくる。 私の知る限り3分の2。何故解る?顔に出ているもの。せめて楽しいふりをしたら。
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4031,「人生の知恵」ノート ー3
2012年04月08日(日)
 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ? ー
   * 人間的側面見せすぎない
 あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を
 出せれば尊敬を集めやすい」という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。そのために「余計な関わりは最小に」。
   * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、節度が必要。なれなれしくしないことだ。
   * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かしさの罰として与えられる。どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。
 もっと大きな災いが忍び込んでくる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に見ることができ、
 的確な選択が可能になる。 これが知識から知恵への転換になる。 これは独りになりきることで可能になる。
   * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるための近道であり、困難からたやすく逃げる道である。
「品格は言葉や行動の要である。品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
 ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブームになった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。
 それが思いもよらず、殆どクリアーをしていたが、家内は??。 自主独立、陰口を控える、趣味を持つ、信念の確立の有無などで、
 自己の確立が出来ているかが品性の土台との説。一般人は表面的にしか捉えない・・・ それにしても品性のない人が多い。
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3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、
自分が良い悪いという問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの立場のバランスなどの関係に
問題が存在する。 それでは夫婦間の関係性とは、そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末っ子の夫の関係だったり(これは私になるが・・)色いろある。 互いが相手のマイナスを
見つめあうのでなく、互いの置かれた立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦の関係になったら、
破局をするケースが多い。 そして別れたと同時に、関係が良好になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。
リズとバートンとか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。ネットといえば、網目。そ
れぞれ結び目で出来ている。その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
    2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
    3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
    4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
    5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」「アウトドア―の雑誌」
 ▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。 触媒の中でこそ、自己は成立する。
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3300, 平山郁夫の教養世界
 2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。
原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には
仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の
西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に
教養の深さを感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。
そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 
それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。
この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて
感じとれた。絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。
そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。
良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。
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2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、
  似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ
  カタ=カ+タで、型をつくることになる。 カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。
いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
  カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを
メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』
の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。
書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。
何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。
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2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
 2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、
尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された
ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
▼ ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。
 ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
▼「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
▼ 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
▼ ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
▼ 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
 とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
 ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
▼ どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か? 気の毒じゃないか、そういうのは? 
  いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。
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2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ー2       オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
 ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』
の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を
推奨しているので青少年に与えるべきではない」もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、
そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
 ーー
「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ
水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 
階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる
外へ出る とうとう自由だ
 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)
父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの
 彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
 出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
 家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も    (さようなら)
金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく
 彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
 楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
 過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
 彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
 何年も何年も    (さようなら)
彼女は家を出て行く (さようなら)
ーーー
解) これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
(字数の関係で中略2012年4月8日)
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2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」
を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、
ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」
うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の
セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。
 〜〜                              (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」 夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。夫の浮気の一度や二度や三度・・・
見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ! 夫の不倫、観察します。 
妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。 =これだけで、もう引き込まれてしまう=            
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2005年04月08日(金)
 1466, 閑話小題
  ーロシア人の大立ち回りのその後ー
(字数の関係で中略2012年4月8日)
  ー音楽の世界ー
(字数の関係で中略2012年4月8日)
・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
 1101, 春がきた
新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に
初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている
ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。
春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に
とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。
・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・
銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。軽く読むにはなるほど面白い内容。 
私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。このママの店の
HPをみてキーワードは、「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
▼ 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」
 から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  
 370,なりきる
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会へのリハビリで
この旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていた
あの時期、その時はなりきっていた。実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、
時間を超え昔の自分にいつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる
所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?