*「今日という日は、残された日々の最初の日」
 還暦を過ぎた頃より、「今日という日は、残された日々の最初の日」の言葉のとおりになってきた。
44年前の学生時代の終わりの頃の日記のコピーを、毎年この時期に読んでいるが、当時から現在に至る年数が
長いような短かいような。60歳を過ぎると「時間軸が横になる」というが、一年前も40、50年前も同じ感覚なる。
残された日々だけでなく、過去の時間軸も横になってきた。50歳を過ぎた頃に、それ以降の残された20年、30年分の
人生を捨て身で10年に圧縮し、前倒しに実行したのは、時間軸を横にしたのと同じことだった。横にして見えるのは、
「死」である。また、その裏にある「生」。どちらにしても、人は死ぬ。そして数ヶ月もしないうちに、ほぼ忘却。
それなら、今日という一日を目いっぱい生きるしかない。人生は50歳を過ぎれば、人間は「残された日々」になり、
毎日が、その最初の日になる。それにしては、まあ、いい加減な日々を過ごしている。 ポイントは、「時間もお金も、
‘いましかできないこと’のために使う」ことになる。面白い映画を見て、良い音楽を聴き、腰をすえて本を読み、新たな
世界にチャレンジし、より孤独に徹し、日々を過ごすことである。その意味では自己評価は70点だが・・いや、50点か?
   * 常日ごろがあるということ
 一線を離れ、毎日が日曜日のような平凡な常日ごろの日々が続く。しかし、この「常ごろがあること」が実は素晴らしい。
中学、高校、大学の日々で懐かしいのは、当時の「常日ごろの生活」であるため。その年齢ごとの常日ごろこそが価値があり、
光輝いている。時代を背景にした、その時節の自分が、そこにいる。だから現在も時代背景と、「常日ごろ」を味あうことが
必要になる。ところで真に味わっているだろうか? 
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3980, よかまん ー3
2012年02月17日(金)
   * よかまん節を女子芸大生に素裸で踊らせた
 よくぞ引き受け踊った女子大生も凄いし、それをビデオで自分の個展で流した会田誠にも恐れ入る。 ー 前回の続きから ー
≪ 最近非常勤講師として美大に呼ばれた折など、学生に「よかちん」について聞いてみると、ほとんどが知らない」と答えるのです。
 せいぜいが「ああ、ラグビーの連中がやってるアレですね。見たことはないけど、話だけは聞いたことがあります」程度。どうやら
絶滅寸前の状態にあるようです。僕は「ざまあみろ」と「こりゃいかん」という、まったく相反する感慨を同時に受けました。・・・
 芸大も近年ご多分に漏れずグローバル化の波が押し寄せてきており、和洋の相克に揺れた先人たちが必要に駆られ作った、ユニークな
ジャパン・オリジナルの枠組みが、次々と使命を終えつつあります。それは決しておめでたいニュースとは感じられない、複雑に屈した
自分がいます。また「よかちん」絶滅の直接的な原因が、近年の美大における女子学生の驚くべき増加であることも分っています。
僕の学生時代は少数派だった女子が、今ではどこの美大でも完全な多数派に転じています。女性全般に芸術の才能がないなんて
よもや思いませんが、それでもこの極端な変化には不安を禁じ得ません。同時に、少数派となった男子学生の全体的な覇気のなさ、
いわゆる「草食」化も気になるところでした。日本の美大と美術界は今後どうなっちゃうんでしょうか。そんなことを諸々考えた上で、
最近「よかまん」という新しい芸を作ってみました。 といっても「よかちん」の歌詞を少し変えただけなんですが。
  "数え歌"の部分が以下のようになります。 一つ 開けば、二つ 触れれば、三つ 見せれば、四つ 悦べば、五つ 入れれば、
 六つ ムズ.ムズすれば、七つ 舐めさせれば、八つ 破れば、九つ 擦れば。 小道具の一升瓶は小さなザルに変更しました。
これを現在東京藝大で油絵を学んでいる、知り合いの女子学生二人にやってもらいました。二人とも肝の据わった「肉食系」なので、
進んで全裸になってくれました。そしてそれを収めたビヂオを自分の個展会場で流してみました。それで何かが解決するとは思いませんが、
問題提起くらいにはならないかと思って。というか本当はこの「よかまん」が実際に芸大で流行して定着し、新しい伝統が生まれるのを
夢想してるんですが…… やっぱり無理ですかね。≫
 ▼ 女と男は違うので、これが定着するとは思えない。あくまで、一人の芸術家のお遊びだろうが、これに類したのは、
  芸者遊びの中では多くあるはず、あくまで男を楽しませるもの。そういえば、以前の会社の忘年会で、メイクさんの
  ツワモノが男の人に座布団を女性の何に見立て、自分が箒を男の何にして・・・という面白い芸があった。ご愛嬌の範囲だが。
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3615, 忘却の整理学 ー1
2011年02月17日(木)
  「忘却の整理学」外山滋比著
 内容= 頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳を整理し、
     創造・思考の手助けをするのは忘却なのだから。『思考の整理学』の続篇
 * なかなかオシロイ本である。 忘れること・忘却を中心に据えた本は私が知る限り過ってなかった。
 呼吸は、まず息を吐き出さないと新しい空気は吸えないと同じで、忘却によって整理され、きれいに片付いた頭で
新しい知識や情報などを取り入れられるために積極的に忘れろという。一度書いた文章をまず寝かせたり、
気分転換すると思いもよらぬ着想が得られたりするのは、忘却による効果。 忘却が知識を選択的に頭の中で熟成させ、
時間の風化作用で別次元の高みに体系化する働きがある。 忘却はランダムに起こるが、それが個性を形作る。
   ー‘まえがき’の以下の部分が、アラスジにもなっているー
 ・・どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者の間に忘却を考えないと、説明がつかない。 知識をいったん
かなりの部分を忘れたあとで、もとの知識から離れてオリジナルな思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと、知識は途方にくれる。
知識は利用されることを待っているのであって、それだけで、思考、創造をおこす力をもっていない、 むしろ、そのままでは自由な
思考の妨げになるおそれは十分である。そんなことをあれこれ考えていて、忘却論に思い及んだ。記憶と表裏をなす忘却があるという考え。
ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識のみが新しい知見を生み出す。大工は生木で家を建てないのと同じ。
忘却のアポロギア、弁明を思い立ったのは数年前のことだが、どうして忘却がこれほど長い間きらわれ、怖れられ、卑しめられてきたのか。
忘却を称えたことばはないものかとそれとなく心がけてきたが、日本には見当らない。 おしなべて忘却性悪説である、
 ・・ことにコンピューターが異常なほどの発達をとげて人間の記憶力の価値を暴落させている。知識人ほどその衝撃を強く受けている。
コンピェーターを念頭において人間の知的活動を考えたならば、創造的思考がもっとも人間らしい活動であることは明らかになるはずで、
その独創の土壌になるのが忘却である…… そういう考えのもとに、この本に収められた諸エッセイは書かれている。
忘却論ではなく、忘却をめぐるエ・セイを集めたものである。                   
 ーここに書いた内容は、アップした瞬間、ほぼ完全に忘却の彼方になる。「いま、ここ」に集中すれば、忘却の後々に残る。それがよい!
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3250, 新・マネー敗戦 −1
2010年02月17日(水)
 以前、NHKスペシャルで「シリーズ  マネー資本主義」を放送していた。
■第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか 〜アメリ投資銀行の興亡〜 2009年4月19日(日)午後9時00分〜 
■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? 〜カリスマ指導者たちの誤算〜  2009年5月17日(日)午後9時00分〜 
■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか              2009年6月14日(日)午後9時00分〜 
■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか     2009年7月19日(日)午後9時00分〜 
■最終回 危機を繰り返さないために                   2009年7月20日(月)午後7時30分〜 
ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか          2009年12月20日(日)午後9時45分〜 
  再放送も含めて食い入るようにみた。 紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流するシステムを
 追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや解説で解明していた。
 それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。その最大の被害者は、もちろん日本。
ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、速読をしてみた。 
大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 
  * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著   
 ーこの本の概要といえばー《 ネット参照 》
 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず緩やかな没落の道を辿った。
その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。 実物資産の裏付けのないマネーの誕生である。
バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大なペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 
自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と
産油国経由の米国への還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更したイラクに対し
戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では米ドル需要の減退は時間の問題。
字数の関係でカット(2012年02月17日)
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2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉
2009年02月17日(火)
  「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー
の中で、ポルトガルフロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。
現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。
 ーその部分を要約すると・・・
1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。フロイスは1581年3月、再び会うが、
安土城を自慢したかったようだ。彼の見た信長は「中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、
極端に戦いを好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、食を節し、人の扱いには
きわめて率直で、自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と
真実性が感じられる」その信長が亡くなった後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、
信長像に比べておおらかではない。「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」
「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」・・・
生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。秀吉の漁色乱交に、
 ▼ キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、とうのが彼の解釈だ。この「日本史」では、
外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって観察されている。その点では信長と秀吉を現代人の感覚で
観察している目に近いと言えるのである。更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 
 それによると、ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、「手と顔を洗い終えて身体をふいている
信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、自らの部屋に入り、
戸を閉じて、そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、生きながら焼死したと言った」更に、
「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず
灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上に何ら残存しなかったことである」と・・・
 ー  生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 
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2008年02月17日(日)
 2510, 黒柳徹子
子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばり黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時もラジオかTVで見かけてきた。
現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。しかし芸能界の一線で55年も活躍している
のだから、それなりの信条があるのだろう。どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、
学校では劣等生だったという。ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 その概要といえば、
 −−
仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では私抜きでもドラマは進行した。
その時に、二度と病気をしたくない、と思った。だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、
どうすればよいか?」と聞いたら、先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。
でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」
私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」
「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな〜」。
「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、
少しずつ身体に溜まっていく。それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、
病気にはならないんだと思うんだ」。私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、
自分が進んでする仕事をするように生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、
やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて引き受けた仕事だから、と全力でやった。
そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。   ーつづく
字数の関係でカット(2012年02月17日)
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2007年02月17日(土)
 駅前専門学校の時代の終焉!
         才八∋ウ_〆(∀`●)サン
十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。
字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2006年02月17日(金)
1781, 他罰の人−2
  (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
 他罰を理解するために、その対比する言葉を調べてみたら
  ー 自己罰(内罰)
  ー 他罰(外罰)
  ー 非罰    があった。        
 電柱にぶつかって怪我をした時、 w(☆o▽)w
・自分の不注意でぶつかってしまった... と思うのが  内罰・自己罰。
・こんな所に電柱があるからいけないんだ! 誰だここに立てたのは!  と思うのが 外罰・他罰。    
・この程度で済んで良かった... と思うのが   非罰。
 この喩は他罰を考える時に解りやすい これから見えてくるのは 他罰は責任転嫁ということである。
 非罰は仏教的な考え方になる。 この全てを考え、後は忘れるのを待つ!のがベストであるが。
  似た事例として  宗教書に「お寺におまいりにいき、石に躓いて怪我をしてしまった時に
・信心があったので、この程度で済んだ!と思うか、
・おまいりに行ったのに何で怪我をしなければならないのか!と思うか、
  字数の関係でカット(2011年02月17日)!
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2005年02月17日(木)
 1416, 50肩になった
一月ほど前から、左肩と首が痛む。 通勤時にビジネスバッグを肩にかけていたのが原因?
他に考えられるのはパソコンと、TVの見すぎも考えられた。たまたまNHKの「ためしてガッテン」が、
「40・50肩の特集」をしたのをみて、もしかしたら50肩と気がついた。
        字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2004年02月17日(火)
 1049, お金の教訓
「お金はむき出しの真実である」というが、これだけ本音と建前とかけ離れているのも珍しい。
今まで随想日記に、お金に関して何回か書いてきた。といって、本当に解っているのかというと疑問である。
一番金にシビアな坊主も[布施の分だけ経を読む]とかいう。滑稽といえば滑稽である。
世の中の悩みの大部分が金の悩みという。ということは、殆どの悩みは金で解決可能ということになる。
金に対する[金言」をまとめてみようと何冊かの格言集をみたが、なかなかこれはというのが無いが、その中から幾つかあげてみる。
・「もしも心がすべてなら、いとしいお金は何なのだ?」  ー都都逸
・「金勘定 しているいる妻は 美しい」 ー川柳集より
・「私は金のためにこの世界に入った、芸はあとでついてきたものさ」ーチャップリ
・「10中89、お金は急場を救ってくれる」 −ジョン・ウェイン
・「お金と知識はあの世にはもっていけないよ」生きているうちに使えと!あればだが。
・「お金があれば、どんな悲しみにもたえられる」 ー財多ければ、悲しみ少なしー  ー財布軽けりゃ心が重いーというのもある。
・「小指切れとは当座のことよ、金が泣くなりゃ手まで切る」ー都都逸
・「貧乏は貧乏人を追いかけ、金は金持ちを追いかける」 ユダヤの諺というから恐ろしい。
・「金のない人は、京都の茶屋で遊ぶ資格あらへん」という芸子はシビアである。 これは昔から欧州の社交界では当たり前だった。
・「金と頭とチ○ポはいきているうちに使え」と、本田宗一郎が言ったとか。 まあ彼が言うからよいのだろう。
  ある統計によると 65歳のアメリカ人100人のうち
 ・金持ち1人、 ・快適な暮らしを送る人 4人、 ・まだ働く人は 5人しか居ない。
 ・あとの 56人は政府か家族の援助を必要とし、 ・残りの人は亡くなったそうだ。
よく「引退すれば、生活費が減る。だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違いだ。生活費は下がるが、
医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持っていれば
生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きるのだ。本屋のエンドに平積みに[300万で生活する方法」
というような本が目立てってきた。最近出た本では、さらに「200万で生活する法」まで引き下がってた本が出てきた。
この大不況の中に他人事ではない。調べてみると過去に多く、金について書いている。いま読んでみてもシビアで面白いが、
では実践でというと?? 書いている分には面白いが、金に追いかけられだしたら地獄である。
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2003/01/13
お金はむき出しの真実
字数の関係でカット(2009年02月17日)
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ー以前書いた文章をこぴーしておきます。
お金について -事業百訓より
[112] お金について
字数の関係でカット(2008年02月17日)
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2003年02月17日(月)
 684, まれに見るバカー読書日記ー4
 男・獲物ー獲得法
第2章「バカ本を読む」の中の酒井冬夏「バカ・ゲット」がおもしろい。 
1995年に流行った「バカゲット」とは、「バカ」な男を「ゲット」する、自分に「安らぎ」と「安全」を
与えてくれるバカ男ー獲物を獲得する意味である。この獲得のマニュアル本である。
 目次は「コンセプ」「マーケッングリサーチ」「アポイントメント」「営業」「交渉」「プレゼンテーション」
「接客」「契約」などあって、男と女の関係もビジネスと思わせる仕掛けがある。
・男は「クライアント」であり、                  ・自分は「会社」であり、
・結婚は「プロジェクト」であるというわけである。ところが一転、  ・社内で「獲物」を探すのが「近海漁業」であり
・「合コン」は「遠海漁業」                    ・なんでも手を出すのが「そこ引き網」
・ずっと付き合って結婚するのが「一本釣り」            ・同性からの紹介は「おとり漁法」
・シャイなふりをするのは「定置網漁法」
字数の関係でカット(2011年02月17日)
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2002年02月17日(日)
 334,私の読書法
やはり速読法が中心だ。それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、居間の「私の居場所」
の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読む。そして返す時間が詰まってくる、
もちろん週10冊は読めない。そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。本はその状態でないと、読まないことが多い。
字数の関係でカット(2012年02月17日)