「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
   * 自己への思考の旅
 哲学者のソクラテスモンテーニュパスカルなどを取り上げながら「自己とつきあうということ」を考える書である。
アマゾンの紹介には、【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索をたどりながら、他者や世界と
繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて読んでみると、思わない発見がある。
バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」
「不幸」など15章のテーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、今度は古今東西の哲学者の引用で、
自己の行蔵に対し語りかけてくれる。  ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ知られていない自己をめざす思考の冒険である。
 はっきりしたルートも道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、目的地がどこか定かでない。 
その旅の途上では、われわれひとりひとりが、手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、自己が
どのような存在であり、自己として生きることがいかなることか少しずつ見えてくるであろう。
 自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して自己を
掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じてしまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、
自己の生を可能にしている他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた出発の時があるわけでも、
終わりの時があるわけでもない。それはどこに行きつくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが自己への旅の醍醐味であろう。》
 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。
  事業を目指すと決心してからの45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。非力な、無知な、
  しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出していたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、
  辛辣に、実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番知っているためだ。この経験で実感したことは、
 「人生はハッピーエンドより、後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなど
  あるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の経験が、そうである。実際のところアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピーの悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白い。
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3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。
たまたま周辺の何人かの異様な言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、周辺に
怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤として
プライドが異常に高いのが特徴である。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩きつけ
潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、
怒りの原因を探しやすいためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と自然災害と現在でも信じている。
借入総額の七割を返済しても、残り三割の総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも
言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。
 ≪ 2011/06/28 閑話小題   ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。
人間には「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。 
過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが
「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。
「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が
原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫
 ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りをブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか?
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3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2
2011年01月24日(月)
 * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
 ボクシングの一ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円などある。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本を読むときに、いま一度、前書き、
後書き、そして、これから読もうとするページに目を通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。
これもポイントに集中して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、
その興奮が収束するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような行動をせず、じっと脳の興奮が
収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。
私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。
 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い習慣として身につけたい時に、
学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正の時間である。これ以上になると、
間延びをしてしまうし、それ以下では情報量が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、知らないうちに慣らされている面もあるが。
 そういえば、人と人間と、時と時間の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
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3226, フリー −3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している潮流を説いている。
 「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判(トラフィック)経済と注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示している。知りたいのは、評判経済・注目経済が
  あることを、googleは見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている商品をタダにすること。
  すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、
  その中の顧客が有料の商品を買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。
  したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に変わろうとしている。
 「人々が欲するものをタダであげて、 彼らがどうしても必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、オペレーションコストが 劇的に下がり、
  これによって収益モデルがかわったことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
   〜以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に下がり続ける。
  それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済だけでなく思想的領域まで影響している。
 そこまで掘り下げて考えないと、このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを変えようとしている。
  ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、その他のものを販売する。
       ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム(ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」)
(2)三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。
       ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・・ 「無料」版サービスと機能追加した「有料」プレミアム版サービスを販売する。
       ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・・ 対価を期待しない市場 ここでは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
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2851, チベット旅行記 −2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・・。江戸時代に外国人が日本に潜入したようなもの、それもヒマラヤを越えて。
 仏を心の底から信じなければ乗り越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、
 この旅行記を通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。
とにかくどうにか極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で決められぬことがあると断事観三昧に
入って事を決めるのである。そもそも断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上決められない
将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。
深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、
どうするべきか判断するということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、
  すなわち仏の心境で判断すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。人間は最後の最後は自分の心奥の無
 (正中心一点無)で、判断しなければならない。 そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。相当の荷物を背負っている上に今日昼までは
草を喰っておりましたけれども、その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことができないといって
進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれども、押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、
羊は動かない。ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また立ち往生する。
芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすこともできない中、なんと今度は大雪が降ってきた。
岩も隠れ場所も見つからず、とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も動かなくなった。
「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14〜5日も人に会うまい。
どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」
ときめこんだ。羊もその方が良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものですから、まるで私の子の
ような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。
しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」と覚悟を決めたのであった。
雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。 
それから身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉をバターを入れて1杯ばかり食べた。・・・
 解)ヒマラヤでの窮地の雪中座禅は、100年の時空を超えて読む者の心に伝わる迫力がある。
  「現代の生き仏」と呼ばれる天台宗大阿闍梨、酒井雄 師は仕事にことごとく失敗し、妻を自殺で ...
  しかし、出家後、厳しい修行に耐えて、千日回峯行に二回も挑み、二回とも達成した。それに通じるところがある。
  深い決意が無ければ決して達成できないことである。それが深いほど仏の心に深く通じるのである。  
  信仰の力とは何か、必死とは何かが教えられる究極の場面である。ただただ、感動してしまった。
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2008年01月24日(木)
 2486, 閑話小題
 * 片岡球子
 この人の「面魂・シリーズ」の絵を初めて見たときには驚いた。たまたまインターネットで見つけたが、写楽の現代版というか、
奇をてらった何ともいえない味わいがあった。画壇からは、ゲテモノといわれ不遇だったが、小林古径に「ゲテモノと秀作は紙一重
それを大事にしなさい」という言葉に励まされたという逸話が良い。それにしても味わい深い絵である。
先日、103歳で亡くなったとマスコミで報じていた・・  http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/tamakoyuki.htm  
 * 昨夜の夢
 昨夜は、奇妙な夢をみた。 夢の世界の中で、2〜3歳の自分が、60年近く前の実家の商店の入り口を凝視して、
その詳細をこと細かく見ている。ところが気持ちを集中したためか呼吸を何分か?忘れ、息が出来なくなり目が覚めてしまった。 
夢の世界に没頭しすぎて呼吸するのを忘れ、独りパニック状態に陥ってしまい三十分ほど激しい動悸と動揺が続いた。
久々に深夜の漆黒の恐ろしさを味わってみた。「睡眠時無呼吸症」だが、よほど夢の中で神経を集中していたことになる。
一〜二度、睡眠時無呼吸の経験はあったが、これほどの経験は初めてである。霊日記の先祖霊・四四太郎様は、次に何を言ってくるやら?
寝る前に、霊様と会話したのも影響したのだろうが。あの時の夢の中の「凝視の集中力」は、目が覚めた後でも持続していた。
 * YKって何?!
(字数制限のためカット 2012年01月24日)
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2007年01月24日(水)
2122, 下流喰い −6   (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜
「日掛け金融」の存在は、この本を読むまで全く知らなかった。「超高利貸し」が法律で認められ、現に存在していた。
スナックの開店直後などに時たま見かけた得体の知らない人が、『日掛け金融』の人達だったようだ・・。 
飲食ビル経営の人が、サイドビジネスで店子などに金貸をしている話は聞いたことがあったが、
夜の深い世界の一端なのだろう。 まずは、その部分を抜粋してみよう。
 ー日掛け金融の世界ー
九州などの西日本一円に今も数多く存在する日掛け金融(日腑貸金業者)も、その歴史は古いという。
もともと市中の鮮魚商や八百屋といった現金商売、水商売などを対象に、日掛けで金を貸す業者をさし、毎日、店先に顔を出しては
仕入れ金などを用立てたり、日賦などを集金する業態で成り立っている。
  (字数制限のためカット 2010年01月24日)
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2006年01月24日(火)
1757, ライブドア・ショック−2           (。´_`)ノおはぁよ〜
それにしても、もう逮捕とは早いものだ。系列下の証券会社の副社長が自殺をしたのだから相当違法行為すれすれか、
隠された違法行為が多くあったのだろう。結局は、マネーゲーム屋でしかなかったのか? 堀江は、あまりにも華やかな寵児だったが
週刊誌に書かれていたとおり「乗取り屋」でしかなかった。 
   (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2005年01月24日(月)
 1392, 危ない格言ー2
「性格については」のコーナーは、捻りが面白いので、私にとっては真骨頂でもある。
 ー性格についてー
・性格は演じられる、見せるためにも,隠すためにも。
 (my感想)−そう思っているだけじゃないか? 実際は、その演技そのものが観られているんじゃないか?
 以前から、チンドン屋と皮肉っていた「演技する人」。それに殉じて亡くなってしまったが、閉鎖社会の哀れさである。
・君が行い得る最善の行動を言ってみたまえ。そうしたら、君がなし得る最悪の行動を予測することにしよう。
「my感想)−これ22・23歳の日記の自分の行為だ。 最悪の行動であった。しかし、冷笑をして何もしないより
 ずっといいだろう!いや、しない方が良かったか?冷笑をしていると、後でキツイしっぺ返しがくるが。
  (字数制限のためカット 2011年01月24日)
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2004年01月24日(土)
1025, 「眠りについてのお話」−3
 一番悪いのは「眠れないことに対するストレス」である。 寝れないときの私の知識とノウハウを書いてみると
・単純イメージの繰り返し、羊の数を数えてみたり、砂漠の砦で自分がインデアンになり騎兵隊を1人ずつ 撃ち殺していったり、
・色々の可笑しな小話を思い出したり、      ・海外旅行の思い出を一つずつイメージしてみたり、
・体の器官を頭の頂上から力を抜いていくとか、  ・般若心経をユクッリ、ハッキリ心の中で唱える  
等々、寝れないときのネタを仕入れて準備をしておく。 寝れないで海外旅行を全て思い出したことがあった。 
3時間かかったが、むしろ楽しい時間であった。実家の商売を5年間従事した時、隔月に夜行列車で仕入れに出ていた。
23時前後の寝台車に乗るのだが、これほど睡眠に悪い環境はない。線路の継ぎ目の音とか他のお客の鼾や駅に着く度の
乗車客の音とか、最悪の状態。翌日は問屋を数十軒駆けずり歩くから、充分の睡眠が必要になる。初めは苦労したが何事も慣れ。
寝る時に「ここで睡眠をとるのだ!」という意思を持って寝ると意外と寝れるのだ。線路の継ぎ目の音は単純音の繰り返し、
その音のリズムに乗ってしまえばよいと考えた。そして、それが即効であった。その時思ったのは「寝るのは意思」
ということであった。何事も、まずは意思と、それに対する準備が必要。それと楽観である。
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2003年01月24日(金)
 660, 夢のない話
ツアー旅行をしてると、添乗員から色々な面白い話を聞ける。ネパール旅行の時の30歳位の女性の添乗員の話が印象的。
新婚ツアーの添乗が凄いという。お互いの旦那のランクが時間とともに、お互いに解るという。 それと女の自分達の
評価も見えてくる。そうするとナンバーワンの旦那に皆が憧れを持つ。そういう心理が見ていて何とも面白いという。
成田離婚など当然の事。お互いにこんな筈でなかったと冷めて激しい喧嘩が始まる。数組が本当に成田離婚になるという。
二組のカップルがお互いの相手を好きになって、編成替えをしてしまった。ケースもあったとか。これにはさすがに驚いたという。
添乗でいろいろなカップルを見ていると、結婚だけはしたくなくなると言っていたのが印象に残っている。
底の浅い男女が表面的なものでお互い結ぶついているのが、露出して見えるからだ。そのまま小説になるような題材だ。
サ??のついた♂♀の集団を束ねていくのだから、これほど人間の生態として面白いものはないだろう。
3組に一組は離婚する時代。30年近く前の勤めていた時の話だが、結婚しているはずの人が駅でオニギリを食べていた。
何気なく冗談で「かみさんに逃げられたの?」と聞いた。本人「・・・」数ヶ月後、その人が離婚した事を聞いたが後の祭り。
いろいろある。「毎日こうもくだらん事をよくかけるな!」という声が聞こえてきそう!
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2002年01月24日(木)
 310、地球を一周する
以前読んだ本でまだ忘れられないのが、「地球のエネルギーのポイントが西周りで一周する]という説である。
その本が何か忘れたが社会主義のピークの時代、怪しげなそれと見えた。中国、インド、アラブ、そしてヨーロッパ、アメリカー現在。
アメリカの時代ももう終わったように感じる。これからは再び中国、インドにポイントが移っていく、あながち間違ってはいない。
日本はもう横丁というところ、面白い説である。ヨーロッパもアメリカも、使い古しの雑巾にみえる。アジアはまだ使用前のように
感じられる。真実をついているようだ。思想的にもこれからは、儒教・仏教的考え方が求められていくと考えると自然だ。
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1月24日 金曜日1969年
「勇気を出そう、肉体はどんなに弱くとも精神で勝ってみせよう。いよいよ25歳だ。
一個の男の力の全てが示される年齢に達したのだ」 ベートーベンの言葉だ。 人事管理の授業に出席できず。
終了後にやっと着いた。 昼飯をとった後、ゼミの外山と喫茶店へ行く。そこに兼古が来る。午後からはゼミに出席、
あまり面白くない。三人ぐらいが勝手に喋っている感じであった。18時に帰寮。夜半に寿司を食べに行く。