「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
   * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる
 「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になっていく。先がないので抑えていた我がままが表だつ。
 長寿の共通点が「わがまま」。わがままと因業は紙一重。  ー その辺りをまとめてみた。
【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人しかいなかったというから300倍以上である。
 10年前で1万人をこえたというから、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、フランス女性の122歳。
 100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、心理学研究では、ある程度共通した性格ががわかっている。
 男性の場合は、性格が几帳面で、自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとしている人。
 女性の場合は、明るくてわがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにしてくれる、‘大阪のオバチャン’みたいの人。
 男女とも、「わがまま」の人が長寿である。「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。「わがまま」の意味は、
 「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気がない時に、その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。
 それは「自律できている」ことである。自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの心理学者が、
 面白い実験をした結果がある。 ≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショックを与えたら、
 鼻でパネルを押すと電気ショックを押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、電気ショックが止みますが、自分では
 何をしても止まない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、それぞれを仕切りに分けたボックスに入れて、
 電気ショックを与えると、二匹目の犬は、すぐに飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、逃げようとしなかった。
 この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】
 ▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため全く無気力になる大方の人が二匹目の犬に近い?
  身につまされる人が多いだろう。身近な人に似たような人がいるが、人生は誰も同じようなものか?
  わがままな二代目か、婿取り娘が果たして長生き?かというと、そうでもない。それはそれで気苦労があるのだろう。
  ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、10年20年が必要だが、今からでも遅くはない。
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3801, 哲学人 ー?
2011年08月22日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 ?
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違うなんらかの個性」を備えていなければならない。
つまり、その何かとは「異なるもの」も存在していなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」のである。
したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるものに始まりがないということもありえない。
私は始まりのない時間も終わりのない時間も不可能であると確信するようになった。 かといって、始まりや終わりがあるという
可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。 さらに、似たような問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。
いまでも覚えているが、ロンドンからイングランド中部のマーケット・ハーボロに疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。
公園の芝生に横になって雲ひとつない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、どこまでも進んでいけたっていいはずだ。
でも、そんなことはできない。どうしてできないのか? きっと、最後には終わりみたいなものに突きあたるからだろう。
だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。
そして、その何かが空間にあって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになるんじゃないか。
ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえないのと同じである。』
 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。最大の間違いは、自分に想像できないものがあるはずはないという
仮定にあるのだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? 
そのつぎは? そのつぎは? 」と、ずっと問いつづけていれば、確かにある意味では、永遠につづいていくものがあると考えることはできる。
しかし、その永遠につづくものは考えられるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。
 無限というものは、考えることはできても、存在することはありえない。たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。
それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつあるのだろうか? ともかく、真相がなんであれ
(考えられるものが存在できず、考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に抱えている問題を解決する役には立たないだろう。
時間に始まりがあるのかないのかについて、それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが本当なのだろう? 】
 ▼ 私が、年齢を重ねて実感していることを、既に10歳前後から考えていたのだから文化の背景が違うということになる。
  欧州では中学校の頃から哲学の授業が取り入れられている。 考える基礎を感受性の強い中学の時期に教える必要性を
  ギリシャから続いている哲学の歴史から学んでいたのである。「何かが存在するためには、その何か、他のものと違う何らかの個性を
  備えてなければならない」という考え方は、西欧の考え方のベースにある。 島国の日本では、個性を押しつぶした右倣いが必然になる。
  欧州は多民族のため、常に隣国から虐殺される危険があり、万一の場合、それぞれが違った個性で生きのびる必要性があった。
  そのため自分の頭で考えることが最重要になる。 やはり、考えて生きるべきである。そのことは周辺、いや自分を省みて了解できる。
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3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは?
2010年08月22日(日)
  * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたら
 先日、「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。そこで私の場合はどうか、考えてみた。
 ● 人生で後悔すること
・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続
・身近の人たちへの配慮の不足
・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと
・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと
・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 記録のパターンの統一の不徹底
 ● 人生で、本当に良かったと思えること
・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと(両親が必死に働いている姿を身近でみたこと)
・大学時代に多種の経験ができたこと。 最も充実した学生生活を送れたと言えること
 《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》
・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。
・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。
・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、休むことなく書き続けたこと。
 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。 まる『10年』に9ケ月になったこと 
  その結果、情報化社会の一端を垣間見れたこと
・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーなど47回、続けて旅行できたこと
・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本がベストの時代に20、30、40歳代を過ごせたこと
・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが)
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 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、やった実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。
何度も書いてきたが、「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。横を見れば情けない」の最後を「ありがたい」にすればよい。
 後悔か〜  やはり、感謝が足りない分、後悔することになる。 一日、一回でも心を込めて「ありがとう」というか。
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3061,階級社会だと! −1
2009年08月22日(土)
 世の中には露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。地方などでは、あまり表面化してないが、都会などでは
住む街からして歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの山の手界隈と街並みからして違うのは今さら。
世の中に平等など考えてみたら有得ないのは当然で、有るとしたら選挙権とチャンスの平等位のもの。
 ところで、仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と「ハビトゥス」という概念で社会階層のあり方を分析している。
・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが何を好み、色いろな場面でどのように振舞うかである。
・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 高校受験で、まず分類され、高校のクラスも
成績順に分類され、大学でふるい分けられ、次は就職、そして、それぞれの組織の出世競争でランクつけられる。 
 ブリデューは、「それぞれの階層の含まれる人間は、全てでないにしても、同じような習慣行動をとる」
このような構造を発生するものとして「文化資本」という概念を示している。
 そういえば父が私を道具屋に幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や仏像を意識的に見せていた。
母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の原理原則の話をしてくれた。 第二次大戦前まで、何代か続いた古美術店を営んでいて、
戦中、戦後に色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に聞かされていた。 また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、
野本互尊との親交の中で学んだことなど聞かされて育った。 それが、「ハビトゥス」のベースだったことになる。
 それがあったから、どの場面でも偉そうな何を見ても、それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎみることはなかった。 
文化資本の一部分の引継ぎがあったのだろうか。その文化資本は決して親だけでなく、自分で長年かけて形成しなければならないことも
両親の生き様をみて分っていた。 毎日の早起きであり、読書であり、下世話な話をしないことであり、日常の贅沢をしないことであり、
死に金を使わないことである。 「で、御前さんは、その程度か?」と言われれば、それまでよである。 ただ、私たちは、
その文化資本の匂いは嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に崩壊してしまうケースを、あまりに多く見てきた。
それぞれの階層は、その匂いには敏感である。特に腐った匂いには。「習慣は第二の天性」である。 だから自分で良い習慣を
一つずつ作り上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。 その反対もある。
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2696, 「レンタルの思想」−4
2008年08月22日(金)
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー
どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくるから不思議である。
対談でないと、専門家(特に学者)の書物を読む気にはならないが、対談の場合は意識的に
難しい部分を、噛み砕いて対談をしてくれるから、話しの内容についていける。
私が、この二人の対談で理解できたことは、
・「『人間とは何かを考えたとき』 言語・法・貨幣 という本能と理性の間にある媒介物こそ、
  人間を人間にしているのだ」ということである。 しかし、その貨幣が欲望の肥大を生むのである。
・「貨幣という概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義されるのではないか」
 「所有という欲望の具体的なカタチを貨幣という抽象化し、それがグローバルな人間圏を形成させた」という点である。
 これにインターネットで電子マネーが瞬時に世界を駆け巡るのだから、世界がグローバル化するのは必然。 
  まずは、一番印象に残った部分を抜粋してみた。
ー欲望の倫理学ー     ー 松井孝典 × 岩井克人
岩井克人: 法のない社会では、たとえば他人に殴られた人間は、その人間を殴り返すか、または直接賠償を要求しなければならず、
 そこでは個人の力の大小や属するグループの強弱によって人間関係が支配されてしまう。しかし、法があれば、その法を媒介として、
 殴られた人間と殴った人間との関係は抽象的な権利と義務の関係に還元されることになる。 それが人間社会を拡大する。
 さらに貨幣が導入されると、人間と人間との間の交換関係がグローバル化する。贈与交換にもとつく共同体では、交換の範囲が
 お互いに顔を知っている人間同士に限られるのですが、貨幣の媒介は顔を知らない人間同士でも交換を可能にする。
 地球上にちらばっていたローカルな人間圏が統合され、本来の意味での人間圏というのができることになる。
松井孝典: 地球システムのなかの人間圏という概念を定義する仕方に、二つあると。一つは物質エネルギー循環的に定義する方法、
 もう一つは貨幣という仮想的概念のもとに、一つの共同体として成立するか条件から定義する方法。
岩井克人:そういうふうに考えると、じつは『人間とは何か』と考えたときに、それは、言語・法・貨幣 という、
 自然でもなく人為でもない人間関係の媒介物、ハイエクの言葉を借りると(本能と理性の間)にある媒介物こそ、
 人間を人間にしているのだということになる。 それは同時に、人間を普遍化させることになります。
  《対談を終えて》 松井孝典
生物圏から人間圏が分化したその時、人間の欲望が解放された、と私は考えた。欲望の具体的表現が所有であるから、その時に
人類の地球の所有が始まった、と以来考えている。しかし、主流派経済学では所有権という概念を用いて、生物圏の種の一つに過ぎない
段階でも、人間の行動の全てを解釈する、という。 貨幣という抽象的概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義
されるのではないか、という指摘と共に頭の中が刺激される。ただし、未来という時間軸は、所有権という概念をもってしても、
その議論に組み込めない。私風に言えば、歴史を規定する境界条件が変化するとき歴史に基づいて未来は予測できない、
ということであるが、問題の難しさはいずれにせよ、この問題に帰着するようだ。(松井)
 〜〜
後記:電子マネーとか、地域マネーとか、ポイント制などの企業内マネーとか、
これまでとは違った貨幣が生まれだしてきた。特に注目するのはネット内の仮想世界のマネーである。
ネット内では、共通ルールと、共通マネーと、共通言語が必要となる。それを前提としてネット内の
仮の個々人が成り立つ。そして、リアル世界では実現できなかった欲望が解放される。
  金か〜 使ってこそ金、貯めるものじゃない、欲望を開放するもの。
   ただ仮想的概念でしかないことを忘れないことだ。
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2007年08月22日(水)
2332, ホッファー −1
                       オノヽ∋―_φ(゜▽゜*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。日本でいうと中村天風のような人物である。
「ホッファー」で検索をして、日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから発注をした。
「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。
これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
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・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は独学の社会哲学者。ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
   (字数の関係でカット09年08月22日)  
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2006年08月22日(火)
1967.事業百訓・・・?
     ー1989・1990年 (5)
ーH0101事業百訓ー
  313 生物はあきらかに“物”の領域である事を認識しなくてはならない。
  ……人間の“心”は社会現象によってつくられたものかも。
  あれだけ誰もが信じて疑わなかった天動説が地動説にとって変るように、心の存在そのものも……
  314 気分は悲観、楽観は意志である。(宇野収・東洋紡会長)
 (字数の関係でカット、2008年8月22日) 
ーH0105ー 事業百訓  
 320 あの世で神様が「あなたの一生の中で、一日だけ、もう一度生かせてあげます」と言ったら、どの一日をあなた選びますか?
  321 文学とは、もの言わぬ神の意志に言葉を与える事だ!(芹沢光次郎)
  322 我々にとって、出来ない事より、出来る事のいかに多い事か。出来ない事のみに目をやり、何故何もしないのか、
   出来る事に目を向けよう。そして一つずつ確実に実行していこう。それが我々の人間としての自然の営みのはずである。
                             (学生時代の日記より)
  323 彼は自分の能力・経験など全く信じていない。
   従って彼は、すぐに「事」のそばに行き、手で何回もくり返しさわり、確かめようとする。(アラン)
  324 彼は決心した!とは良い言葉だ。一言で決心と解決という二つの意味を示している。
  325 私は、最善を選ぶ事はできない。最善が、私の選ぶのだ!(タゴール
  326 神様は、あなたに欲しいものは何でも与えています。与えられていないのは、あなたにその準備ができてない為。
  327 激しく生きただけ、深い眠りつく事が出来る。
  328 「昇君、一番大事な事は、人に相談するなよ!」(正力松太郎より五島昇へ)
ーH0107ー 事業百訓
  329 今ここ一升マスがあるとしよう。この中に栗を一升入れたら何にも入らないだろうか。決してそんな事はない。
   その栗の間に豆粒を入れればまだかなり入る余地がある。あとはもう入れられないかというと粟粒なら大分入る。
   それに水を入れればまだ入るだろう。このように時間の活用には上には上がある。(嘉納治五郎
  330 明日為すべき事は今日これを為せ!(先まわし!)
  331 異質のものの組合せでしか新しいものは生まれない
  332 偉い人にならなくともよい、優れた人にならなくてもよい、人に役立つ人間になりなさい!(西田天香
  333 “こころ”=念(こころ)=思い→想い→念い→空(念)即是色
  334 人生とは“人との出会いの歴史”である。それは自分史彩る知的財産である。
  335 商業半世紀の方向は?誠実な商売?法人企業化?価格破壊であった。(創業も同じ道理を含む)
  336 ほめるとは
    (a) 祝う事・たたえる事    (b) 美点擬視より自然発生    (c) 言葉による親切である  
   (d) 3ケ所×3回を実施できたらホメプロ! (e) 心のこもらないほめ言葉は品性のないお世辞おだて!
ーH0109事業百訓ー
  337 我社の社会的役割(事業としての存在理由)は、ホテルとしてのシングル・ルームの品質がよく、
   しかも安いという第三のテーゼの実現であった。そしてその事が新潟市内のプライスの下おさえとなり、
   他の大都市に比べ二割の平均プライスのダウンをさせている事である。
  338 事業経営にとっての“戦略”とは資産・資金・人材・組織等の経営資源の蓄積である。
   そしてこれとは全く違って“経営戦略”がある。これはその時流にあわせて乗りものを変えていく事である。
   時流にあわせて事業内容をガラリと変える事である。一般にこの二つ区分がつかず混同しているケースが多にある。
   非常な低レベルのトップでその下位にある営業戦略を“戦略”と思いこみ、レバー・ワーカー・レベルの人員不足と
   資金繰り不足を平気で口にしている。そして経営戦略(事業内容の変革)は全く考えている余裕すらなく、
   自らの舟が重大な危機にある事すら見えなくなっている。
  339 その事業内容が社会悪ならば、その努力すべては徒労であり悪の補佐としての罰を受けなくてはならない!
  340 不平家とは、その環境の不一致というより自分自身との不一致である事が多い。
   そしてその事に本人が気づいていない事が本人を不幸にしている。
ーH0111事業百訓 ー
341  a 21Cに向けての“コンセプトの明確化としぼりこみ”
    b イノベーション・ターゲットのしぼりこみ
    c “核本業”へ徹する→我社の社会的役割(存在基盤)
    d  戦略として確立
342 生きるとは“愛する事”“望む事”“感動する事”そして“身ぶるいする事”
343 企業とは解決すべき問題の集合体であり、経営者の仕事はその問題をみつける事である。
  問題さえみつければそれぞれの専門化にまかせればよい。(松下幸之助
344 世界を引っ張ってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くある事だ。
  なぜなら“力”には誤診もなく錯覚もないからだ。力に裸にされた真実だかR(ナポレオン)
345 “因縁”と“果報”を分解すると “因”は直接原因であり“縁”は間接原因をいう。
 “果”は直接結果をいい、“報”は間接結果をいう。  (因→果)(縁→報)
346 …心を究めよ!しかしてその心をつくせ! 物質の足りざるは心で補うことができるが、
  心の足りざるは物質では補うことはできない!          (亀山閣−長末秀道)
347 春は人夢み、  夏は人と集う、  秋は人と語り、 冬は人と囲む (遠野物語

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事業百訓ー1990年 
H0201 新年の御挨拶に代えて ー新年にあたり

  (字数制限のためカット 2011年8月22日)