* 第一章 孤独な人      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
  孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固になると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。
 この章で紹介している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 私も長く生きるほどに、この中の誰かに
似た人になっていくのだろう。いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾が誰の心にもあるのだろう。
理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
 ≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなりきっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた
 惨たらしい出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせてくれるから、
「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずにはいられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・・ 
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。 わたしはこの章で、自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを
紹介してみようとしたのだった。すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、心身の能力は衰えていく。
もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになっていく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、
無力感や孤独感が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に近づくことでもある。また、馴染み深い人や
大切な人がいち早く彼岸へ旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。だからこそ恐ろしい。
だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いてしまう
理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
 ▼ 友人に、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の老人が長生きの果てに待っている結末か。
  逆に90歳半ばを超えて元気で、あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の愚痴と、悪口、
  噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
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3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー?            ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、モダン・ジャズという言い方もする。
それほど、ビバップ・スタイルの出現は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、トランペット奏者
デイジーガレスピー(一九一七〜一九九三年)。「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜一九六六年)も、
のちのジャズメンに多大な影響を与えた (アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジングバド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー
(一九二〇〜一九五五)があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる管楽器サックス(サキソフォン)が
果たす役割は、他の音楽に対して比較にならないほど大きい。 バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このようにジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、
あえて代表をあげるなら、のちに触れるジョン・コルトレーンカンザス・シティ出身のこのチャーリー・パーカーをおいてほかはない。
 サックスを、それこそ自在にはね回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間につけられたパーカー。
芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ
天災であったことは間違いない。 】
 ▼ それぞれの楽器で、その時代のジャズを特徴づける奏者が出てきてきていた。パーカーはサックスである。
  モダン・ジャズでのサックスの役割は大きい。モダン・ジャズは、更にクールジャズへと変っていく。
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3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。これは不徳のなせること?
もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、
こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。
3Dの映画やTVで、これに近いか、それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。内面は宇宙ということ? 
  (字数の関係でカット2011年5月26日)
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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでもニッポンATMから
ゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに流れていき、
世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに
供給してきたキャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
しかしただ日本だけは、好景気から取り残され街角に佇んでいたのである。ニッポンATMからどんどんお金を引き出しては、
飲んで踊って、いい気分に酔っていた。 自分の銀行口座に残高ゼロなのに、ATMから無尽蔵に引き出しているとしたら、
それが本当にラッキーだったのだろうか。ゼロコストで借りたと思って引き出したお金には高い金利がついていた。
為替変動によって、数割も、ものによっては数倍にも元本額が膨らんでしまった。・・・ 》である。
 もう一つは、「おわりに」の政府を「一法人」に例えた話である。
《 政府は一個の法人に過ぎないと言う事実を見過ごして、「国民が1570兆円の金融資産を持っているから、1570兆円までは
国債を増やしても大丈夫」などという戯れ言に、ウカウカと乗せられて国を誤ったのが、この結果。町内に資産が16億円の資産家が
住んでいたとして、そこに住む札付きの悪党が合計16億円の借金をしていいとは限らない。悪党と資産家が同じ町内で住んでいても、
別個の家計を持ち、独立した人間であるからである。ところが、こんな滅茶苦茶な理屈でも、成り立つ場合がある。 
                        (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2609, サルトルについて、考えてみる ー1
 2008年05月26日(月)              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。サルトルといえば「存在と無」である。
その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに
忘れることが出来ない。この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、ということだけは疑うことが
出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
 それをサルトルは批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の「私」が疑問という。
「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。         次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
 この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」
と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通り。
藤田はパソコン世代なのである。会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
 (字数の関係でカット2008年5月26日)      ーつづく    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー                おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
   (字数の関係で中間カット2009年5月26日)
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。
この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
   (字数の関係でカット2009年5月26日)
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2005年05月26日(木)
 1514, 酒中日記        ー「酒中日記 」中公文庫  吉行 淳之介著    
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。
ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。 
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。30年〜
40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。
このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、私にとって絶品の内容になっただろう!
誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、
酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの
酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、安岡章太郎瀬戸内晴美遠藤周作など現代文学史に出てきそうな人たちから、
山田詠美吉村昭までの32人の作家によるエッセイだから、面白くないわけがない。「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)を
テーマに軽く書かれたが内容は生々しい。「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、「作家」イメージが見事に再現されている
味ある文章が続く。「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、
酒飲みの何ともいえない心理を書いている作家もいる。銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、京都逗留の水上勉
一人酒の話もよいものだ。創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町をフラフラと飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。
孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。次に具体的に彼らの文章を書き写してみたい。       ー つづく 
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2004年05月26日(水)
 1149, ああ結婚! ー1
結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で
生まれてきた。そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。そこで、格言集の中から面白そうなものを
探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとに
あらゆるカタチで露出している。結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、
諦めと、思いやりである。以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。一番こころ、うったのは、「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、
お前のようなやつははじめだ!」 ーバイロンーである。過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!
女房も同じだが。自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。
 ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
   ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。  D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。   ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。       フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。     バルザック
(字数制限のためカット 2010年5月26日)         
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2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
  (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2002年05月26日(日)
 418,価値観の変遷
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。「こいつ凄いテーマを考えたな」と
完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。 時間がないということで、断念してしまった。
 ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。それを受身でなく、
 積極的に自ら変えていく時節。どんどん変わっていく価値観と変わらない価値観がある。そして地域によって違う価値観がある。 
 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。
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 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化
欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07
 デンマークコペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 
・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01?30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。?深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか
海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。 その時の印象に残っている事は、
 1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をした。それと露骨な人種差別の視線を。
 2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
 3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
  全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
 4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
 〜〜
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこのバイキングの食事
 ーバイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が
 一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよい
 ハイデルブルグ、そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見た
 ピエタの像。 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク?その何ともいえない素朴な景色。 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な
 東南アジアの良さがにじみでていた。この旅行から帰ってきて2?3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー