「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
 実をいうと、この本、トイレに一年間以上、置いておき毎日読んでいたもの。これを手に取ると自分の本音を見透かされてようで、
切り口が素朴で日常的のため面白い。あまり知られてない、こういう掘り出しものが哲学書には数多ある。 
門前で野狐禅みたいなレベルで知識を弄んでいる輩(私)に、噛み砕いて教えを説かれているようである。
   ー内容ー
 ソクラテスニーチェウィトゲンシュタインから、フーコードゥルーズデリダまで、
19人の哲学者の思想・人生のエッセンスを、現代に生きるリアルな問いに置き換え、今を生きぬいていく方法を学ぶ。 
 (読者評価) 19人の哲学者たちの声に耳を傾けつつ、もう一度自分自身の頭で考えるということから始めてみよう。
確かに悩みや不安を宿命として受け止め肯定的に捉えるのは容易なことでは無い。しかしそのために考えることを生きていくことの
力とする哲学というものが存在する。もっと哲学という方法を、すなわち自分で考えるということの強度を信頼しても良いのではないか・・。
著者はそうした問題提起の下、それぞれの哲学者に成り代わって現代の読者との対話を試みるのである。しかし本書は哲学者を高みの
存在には置かない。また、昨今の入門書のようにデフォルメもしない。あくまでも彼らがそれぞれの時代を生きた一人の人間であり、
一人の生活者であったことに軸足を置いている。このニュートラルな哲学者の位置づけによって、それぞれの哲学者に瑞々しい生命力が
与えられ、彼ら哲学者と現代に生きる我々との問題意識が決して隔てられたものではないという親近感を得るのに役立っている。
  ーはじめにー の冒頭が、この著書の特徴と狙いを書いているー
【 あなたには、自分らしくありたい、人に認められたい、自分のことを分かってほしい、世の中で成功したい、幸せになりたい、
 金持ちになりたい、モテたい、死にたくない、もっと真っ当に生きたい、といった積極的な意欲があることだろう。 もしくは、
 とにかくモヤモヤしている、何もかもが信じられない、人づきあいが面倒、生きるのがつらい、何もしたくない、誰かなんとかして、
 といったような、消極的な感情もあるかもしれない。過去の哲学者たちがもし、今、ここにいて、21世紀に生きる私たちの、
 そういった悩みや葛藤を聞いたなら、はたしてどうなるのか。どのように聞きとり、どのようなことを語ろうとするのか。
「街の意見」をぶつけられた哲学者が応えるようなスタイルで本書は、書かれている。 本書は、あなたに「哲学する」ことを勧める。
 ここで言う「哲学する」とは、生きてゆくうえでの「思考の力を磨くこと」である。既存の哲学を単に解釈したり理解することではない。
 日常的に哲学的な問いかけを行い、生きることに役立てること、つまり哲学を使って「自分」をつくるということである。】
 ▼ 現代の我々にとっての疑問、悩みを歴史上の哲学者が答える形式は分かりやす。我々が日常で悩んでいることや考えていることは、
  全て過去の哲学者が考えてきた一部の悩みでしかない。19人の哲学者は哲学者の中でも選りすぐりの人たち。彼らのいっている
  真理は現在でも、そのまま通じること。最近、気づいたことは、私の人生はニーチェに大きく影響されていたようだ。
  この生活者としての生の内面の疑問に19名が答える形式は哲学を身近に引き寄せる。残されて人生、とにかく考え続けるしかない。
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3705, ジャズについて −4
2011年05月18日(水)
                 ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 一九二〇年代に「ビッグ・バンド・スタイル(4人位のバンド編成が、15人を超える大編成)」が受けるようになった。
 その巨人が、あのデューク・エリントン。ジャズの世界を知れば知るほど、面白い。
  * ビッグ・バンド・スタイルの流行
【 ジャズの中心がその生誕地ニューオリンズからシカゴに移っていた二〇〜三〇年代、ニューヨークやカンザス.シティでは、
大編成によるビッグ・バンド・スタイルのジャズが流行した。トランペット奏者、サックス奏者、トロンボーン奏者がそれぞれ四人程度、
それにピアノ、べース、ドラム、ギター奏者が一人ずつの編成し、クラシックの楽団には比べるべくもないが、それでも、一五人を超える
メンバーからなるビッグ・バンドはニュー・ーオリンズ・ジャズの編成(一般的にはコルネットット、トロンボーンバンジョー、ピアノ、
ベース、ドラム各一人)に比べればはるかに大規模だったし、現在でもトリオ(ピアノ、べース、ドラム各一が基本)か、カルテット
(ピアノ、べース、ドラム各一にトランペットかサックスが加わる)がジャズ演奏の主流であることを考えれば、大編成と呼んでもいいだろう。 
そのビッグ・バンド・スタイルを確立させたのは、フレッチャー・ヘンダーソン(一八九七〜一九五二)。しかし、ニューヨークの
黒人居住区であるハーレムのポールルーム(ダンスホール)やクラブを拠点に活躍したビッグ・バンドの巨人といえぱ、
デューク・エリントン(一八九九〜「九七四)をおいていない。 本名エドワード・ケネディ・エリントン(デュークは公爵という
意味のニックネーム)は、あとで触れるマイルス・デイビスに、「あらゆるミュージシャンは彼に感謝を捧げる日を持つべきだ」といわしめ、
フランスの作家ポリス・ヴィアンをして、小説の登場人物に、「かわいい女の子たちとの恋愛と、デューク・エリントンの音楽。
それ以外は消え失せたっていい。醜いんだから」と語らせた人物である。「A列車で行こう」「黒と茶の幻想
「ソフィスティヶイテッド.レディ」「サテン・ドール」・・・。ジャズ・ファンならずとも耳にしたことがある名曲.名盤を数多く残し、
自らもピアン奏者であったが、彼の真の楽器は、自分の楽団そのものだったといっていい。アーム・ストロングと同じように時代や
国に影響を与えた彼は、アームのソロイストとは対照的に、優れたバンドリーダーであった。エリントンにとって、バンドのメンバーは
さながら絵の具のようであり、それぞれ個性という色を混ぜ合わせて、最終的には「エリントン風絵画=楽曲」に仕上げることに長けていた。】
 ▼ そうこうジャズについて知ると、学生時代に、こういう本があれば、もっとジャズ好きになっていた筈である。
  エリントンの70年の録音された「ニューオリンズ・スイート」は、その地と縁もゆかりもない彼が、ジャズの発祥の地に
  敬意を表したアルバムである。 アメリカ発の魂の歌とも言うことができる。
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3340, 感性・悟性・理性 ーカント
2010年05月18日(火)
 理性といえば、「純粋理性批判」のカントである。ーこの一冊で「哲学」がわかる!ー白取晴彦著ー の中で、
 認識についてのカントの考えを次のように書いている。
≪ 彼は、その中で「・・・我われの認識がすべて経験を以て始るとはいえ、それだからといって、我われの認識がすべて
経験から生じるのではない。 なぜなら、おそらく我われの経験認識ですら、我われが印象(直感)によって受け取るものと、
我われ自身の認識能力(悟性)が自分自身から与えるものとの結合真実であろうからである。」と述べている。
 では、この「我われ自身の認識能力が自分自身から与えるもの」とはいったい何なのか。 それは感性と悟性である。
・感性とは、見えている素材がいろいろな形で心に受容される能力というほどの意味。 感性は五感を通じて現われたもの、
 すなわち現象を捉えます。このとき、感性は時間と空間という内なる形式にしたがって現象を整理して見ています。
 時間と空間というこの形式は、人間の感性の中にあらかじめ備わっている先天的なものである。
・この現象から得た情報を整理して判断するためには、もう一つの理性、「悟性」がここで必要となる。
 悟性とは、大雑把にいえば、「理解する能力」です。 少し丁寧にいえば、能動的な思考・判断能力となります。
 さらにわかりやすくいえば、「現象に規則を与える能力」だといえます。 この結果、概念の骨格が一つずつ出来てきて
 それに肉付けをしたものがイメージになって出てくる。 受け取った概念はたとえていえば、骨格標本のようなもの。
 これに対応するイメージを生み出すのが、我われの人間の「心の内奥に隠された技術」すなわち構想力だといいます。
・我われは日常的なこと、目に見えることだけを知りたがっているわけではありません。「愛とは何か」「神はいるか」
 「何が善で何が悪か」といったことを知りたがる。 カントによれば、これら形而上の事柄に関しての担当は悟性ではなく、
 理性であるといいます。感性と悟性は現象まで扱い、それ以上のこと、すなわち現象の原理については理性が扱うのである。
 「霊魂は単一か否か」は昔からの馴染み深い疑問でした。 しかし、これこそ、という答えはありません。
 霊魂は現象として目に見えるものではない。しかし、理性はこれについて考えてきた。 つまり人間の理性は、感性や悟性が
 感知できないものについて、思考をめぐらすことが可能である。 しかし、カントは、そこで面白い結論を出したのです。
  すなわち、認識の限界を超えたことを思考すれば、必ずや二律背反に陥るということである。 
 二律背反とは、互いに矛盾するということ、互いに矛盾しながらも互いに反駁も出来ないことを言います。 
 どうして、こういうことが起こるのか。 感性も悟性も到達しえない理念について理性が考えても、その考えは
 認識できるものではないということです。  ≫
 ▼ カントの認識に関するエキスの部分を非常にわかりやすく噛み砕いてある。「・現象を時間と空間の中で対象として感性で捉え、
  ・悟性で、その対象を整理をし、・思考して(判断を加え)、・理性で原理を求める」 ということが認識としている。
    非常に分りやすいカントの認識論である。
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2965,世界はパンデミックに入ったのか! ―2
2009年05月18日(月)
 * パンドラの箱が開いた!
ついに国内に新インフルエンザの感染者が出て、そして拡大が始った。時間の問題ではあったが、これからは何処まで感染者が
増えるかの問題になる。感染者が増えていく過程で、菌が悪性化するから問題。予測どおりにゴールデンウィーク明けの10日足らずで、
日本も世界並みに感染が始った。問題は高校生であるところ、多くの生徒の間に感染している可能性がある。更に家族などから
ネズミ算的に感染してる可能性がある。 スーパーや電車など人混みの多い所は要注意。マスクは殆ど感染に効果がないというし、
よく手を洗うしか予防がない。ウガイは10分以内の菌にしか、効果がないという? しないよりは、良いのだろう。  
 (字数制限のためカット2011年5月18日)
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2601, 柏崎沖地震原発が7基、停止しているが
2008年05月18日(日)
 去年、柏崎沖地震で7基の原発が停止をしたが、真夏の東京の電気を一時止めることも無く乗り切った。
これは、どういうことなのであろうか。 休止していた火力発電を急遽動かし凌いだといっても、原発の数は54基。
そのうち7基といえば大きい影響が出そうだが、それを乗り切ったという実績は大きい。単純に計算すると原発の発電電力が
占める割合が35パー。柏崎原子炉が大よそ15パーセントであるから、掛け合わせると5パーセントになる。
古い火力発電などを再開して、何んとか乗り切ったのである。2002年の統計だが、世界における総発電量(163215億kWh)
の16.2%が原子力発電所によるものであり、これは火力発電所の66.6%、水力発電所の16.5%に次ぐ。
世界でもっとも原子力発電所に依存しているのはフランス (78%)、次いでスウェーデン (46.3%)、ウクライナ (44.9%)、
大韓民国 (35.4%)である。2005年現在、日本における発電電力量の約35%、発電設備容量の約20%を担っている。
しかし、この異常な原油高、思ったより日本が動揺してないのは原子炉が三分の一あるからだ。まず50%まで供給したいのだろう。
柏崎刈羽原発は3兆5千億円もかけた原子炉である。地震活断層の真上にあることが分かっていても簡単に諦めることもできまい。
柏崎市の経済、東京電力からの収入が何年か途絶えれば大問題になる。角栄が権力を持って以来、非常に恵まれたところであったが、
一挙に貧乏都市になってしまう。二回の大地震新潟県の経済は大打撃を受けており、その深刻度は中越地区を中心に日ごと増している。
夢見るが如しというと、少しオーバーに聞こえるが実感はそれだけ酷い状態である。駅前だけでなく、最近は郊外の空き店舗が
目立ち始めている。 柏崎は家内の実家があり、小さな事業を経営しているが無借金なので、ことなきを得ているが、
あらゆる商売が切迫しているという。この原油高で、世界中の国が本格的に原子炉を造るだろう。チュルノブイユのような事故が
起こる可能性が増加するということだろう。ところで、今回の中国の四川省の大地震原発は無かったのだろうか?
住民が近くの化学工場から毒ガスが発生しているというデマ? で大挙逃げてきた映像があったが・・・
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2007年05月18日(金)
2236, *閑話小題*                ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
ーまさか、貴方まで!?
 同級生のY君が病に倒れ、いきさつ上、私とM君が入院の合間に「Y君を励ます会」の幹事をすることになった。
他の同級生にもお願いして、連絡する名簿を振り分け、まず一番初めにK君に電話を入れた。
「Y君の病状は決して良くはなく、退院予定が更に三ヶ月間の再入院になった」と病状を説明をした。
ところが、K君曰く「実を言うと10日前に胃を半分切り取った。今日、明日の土日の二日間の帰宅を許され家に居る。
残念ながら出席できない」という。言葉を選んで話したので、無神経なことを言わないでよかった!が、
まさか一番初めに電話したK君が手術していたとは! 60歳過ぎれば、誰もが何かあっても不思議でない年齢ということ。
ー次男が結婚後初めての帰省ー
 先日、次男が三月三日の結婚式以来、新婚旅行の報告も兼ねて二人で帰省した。日帰り予定を、私の勧めで一泊して帰ったが、
幸せそうであった。   (字数制限のためカット 2010年5月18日)
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2006年05月18日(木)
1871, グーグル Google -7   おはよ?!(*^ワ^*)   ー 読書日記
* グーグルの収益方法  ーグーグルが何故儲かるのか   Pー38
  たとえば「花屋」のキーワードでオクションをやって、
 かぐらざか花店 150円   麹町ふらわーしょっぷ 200円   池袋花工房 90円とする。
 この場合、麹町・・、 かぐらざか花店・・、池袋花工房の順に広告が表示される。
 しかしオークションに参加したのが20店あったとすると、検索結果のトップページには収まりきらなくなり、
 二ページ三ページとなる。そうすると利用者の目に止まりにくくなるから、オークションに参加する人は
 何とかトップページに入ろうと入札価格をつり上げていく。だから人気のキーワードは、値段が高騰しやすくなる。
 キーワードのオークションは「花屋」みたいな単一のキーワードだけでなく、「花屋 東京」「花 ギフト」
「フラワー 贈り物 送料無料」といった二つ以上のキーワードでも入札可能になる。そこでこのキーワードを
 どのようにうまく組み合わせるかが、頭の使いどころになる。たとえば東京湾で屋形船を出している会社がある。
 この会社はキーワード広告を始めた当初は、「東京湾 屋形船」というキーワードで入札していた。
  ( 以下、字数の関係でカット09年05月18日 )
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2005年05月18日(水)
1506, ラジウム石・小物
 現在は、ラジウム温泉をきっかけに、ラジウム小物に凝っている。 その小物とは
フランチャイズ・店舗ショーで買ってきたラジウム石の‘ネックレス’と、以前取引先から貰った‘ブレスレット’、
  (字数制限のためカット2011年5月18日)
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2004年05月18日(火)
1141, 「ライフ・レッスン」 ー最終レッスン
 最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば世の中の出来事はすべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して学び生きていくこと。
この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、全てを学ぶ為にあることを、この本からレッスンした。
毎日は「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・など、
いろいろ書けそうだ。 各章を書き続けて、多くを内省した。人生から学ぶことがあまりにも多い。
  ー最終レッスンー からの抜粋
・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きていることの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきた
 ことを、思い出す必要がある。試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。 穴のなかで川の激流にもまれ翻弄されているうちに、
 角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい希少な岩になる。穴から出てきたときには、 もっと大きなレッスンを学び、もっと大きな
 人生を生きる準備ができている。すべての悪夢は祝福に変わり、それが人生の一部となる。人生は『なにが大切か』を、
 『本当の自分とは何か』を教えてくれる。「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。 
 『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。生も死も、同じ名匠の手によってつくられたものであるからだ」
・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい つくす人はほとんどいない。
 ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、
 堪能しているだろうか? 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、
 もう一日だけ与えられているのだ、といってもおなじことだろう。 その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつだっただろう。
・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
 もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。
・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、この環境、この状況のもとに生きてきたように、
 この世界を経験することは、もう二度とできない。
・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。 あの海、あの空、あの空、あの愛する人を、
 最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要はない。
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2003年5月18日
774, 30歳の頃(1976年)
 この年は本当に大変な年であった。その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。本店は当時6億の売り上げを上げていた。 家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と
(養老乃滝+焼きたてのパン屋)を経営委託にして、帰ってきたところであった。 仕入れに、販売に、新人の教育にと、
いま考えてもよくやったと思う。体が浮いているようでもあった。新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。何ごともコツというものがある。
それは必死さの中から初めて掴む事ができる。一シーズン3ヶ月の間に[導入・最盛・売り切り]と一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。外れると、回復に2シーズンかかる。 
従って間違えても外せないのが面白い!五年近く従事したが当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。仕入れに、
販売にゲームをしている感覚であった。今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。その頃の社会的背景を書いてみる。
 ー社会現象ではー
ロッキード事件田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため 北海道・函館空港に強行着陸した。
 中尉は希望通りアメリカへ亡命。 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
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このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく浮かんでくる。
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2002年5月18日
 410, 自分の人生ー いろいろの悩み?2
昨日の続編でもある。 書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。それすら理解できない子狐レベルを除けば、
それぞれの人が理解できるし、身につまされる問題である。それでは「自分の人生」とは何であるか。やはり親からの自立である。
あるいは、育った環境ー社会からの自立である。そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。
しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか?という疑問がでる。しかし自分の趣味とか、
与えられた環境をフルに生きれば、それが自分の人生といえる。そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。
80?の人はやはり先生の悩みに近い悩みを持っている。「自分の人生これでよかったのか?」という疑問を持っている。
サラリーマンも事業家も100?は最後は挫折するという。勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。
後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、それまでの破壊を始めるからだ。そしてその時初めて敗者の立場が見えてくる。
その年齢の景色を正直に先生が話された。おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。
気づかなかったのかもしれない?その年齢に段々近づいてきている。50歳代後半から60歳に訪れる、
最大の人生の危機の典型ではなかろうか  そう、初老性鬱病
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2001年5月18日
 バーチャルで日銀ツアー
産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。
やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。
日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。 http://www.boj.or.jp/