4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。
少し読んで、いま一つピンとこなかったので途中で止めたようだ。ところが先日、図書館で ー本当に役立つ「人生の智恵」ノートー
というグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 今回は、言葉の一言一言が納得出来たのである。現役を退いたこともあるのだろう。
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、
追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさすぎることが分かるが、内容は、
現在も納得するものが多い。“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、伝道師にしてはシビア。
人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するが重要とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、
今日使える術こそ真の知識である。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが改めて見えてくる。
ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
1 愚か者とはつきあわない ー愚か者ほど優秀と思っている。 指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれるか?
2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
4 口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。自分の好みは相手の好みとは限らない。
5 突飛なふるまいをしない ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
7 不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と関わる余分な時間はない。
8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
9 多数派とともにある賢者たれ ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
11 賢者を見つけ助言を求める ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。相手に合わせよ。
14 親切をおまけにつける ー親切は費用対効果が高い。相手より先にするのが技。
15 相手の急所を見つける ー殆どの人が求めているのは快楽。その急所を見つけよ。
16 あえて二番手に甘んじる ーいずれ先頭に立つためにも今は二番手に甘えよ。
▼ 品位のない人間は最後は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 見上げても見下げても、全て自分の範疇。
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3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
* 5分の差で助かった
学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。安否を知るために、
宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
彼の話の概要とは!
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを見ていたら、激しい地震が襲ってきた。
それが長い時間にわたり続いたが、急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の方面に向かった。しかし、道路は
渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて
寝れる状態ではない。そこで車の中で一晩過ごしたが、着の身着のままで逃げてきたため、寒がきつい。
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。
水洗トイレは、ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。命は助かったが・・・ 妻が病のため、避難所では
悪化の可能性がある。 ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、避難させてもらった。
そのうちに群馬の実家の兄に連絡がついて、車でガソリンを新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。
命一つでも助かっただけで充分! 火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
ー以上が、彼の15分間の電話内容だが、一つ判断を間違えれば助からなかったようだ。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。 終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。
それが、まさか・・・ それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。他人ことではない、まさか、まさかの日々である。
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3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。
ー その内容を私の主観でマトメテみた ー
日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、
国債発行余力を探った。 どこを危険水域とするか? の問いに・・・
・日本政府は、300兆円の債務超過。しかし、経常収支は長期にわたり安定的な黒字が出ている。しかも個人金融資産の
レベルが高く、95パーセントが国内で消化されている。父さんが母さんから借金をしてまかなっている。
家全体としては借金は少ない。しかし、母さんが父さんに不信を持ち、家を出て行くと大変な事態になる。
長期金利が落ちついていることからみて、母さんが家出の兆しはない。
・日本の租税負担率は23パーセント、試算によると欧米並みの35パーセントに上げると886兆円の資産価値が上がる。
債務超過分を相殺しても、まだ569兆円の国債発行余力がある。年換算にすると14兆円である。
・消費税率を上げて財源を確保すべきかというと、いきなり上げると元も子もない。ただ、税率を上げずに封印すれば、
先があるかどうか、心配するものが出てくる。求められるのは将来の展望である。変化に対するガバナンスである。
▼ これから考えると、アメリカが狙っている日本の個人の金融資産だが、その多くがアメリカ国債を買っている現実、
それも、何時暴落するかの瀬戸際にあり、その価値も不安定である。ただ、日本の強みは、個人の金融資産があるので、
ギリシャやスペイン、ポルトガルとは違う。しかし、危ないと日本人が思い、金や、現物に換金しようとすると危険になる。
ここで高田氏は、国家の経常収益が長期わたり黒字という部分をみている。その経常収益とは。
民間貯蓄+財政黒字をいい、これが安定している日本は、まだ国債発行が可能と見ているが・・・ どうだろう?
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2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。
これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。
河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
なるほど、面白い。
哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で,
クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。
もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。
つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー
言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」の口癖の人がいた。
これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、
ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。それも哲学的ときているから面白い。
しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。言葉は共同幻想、
そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に
跳ね返ってくるし、自分の中に残る」これは、私の基本だが、一般も同じだろうか?
嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう?
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2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
『印度放浪』 藤原新也著 朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。
ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
出会う人々は、悲惨であった。
出会う人々は、滑稽であった。
出会う人々は、軽快であった。
出会う人々は、はなやかであった。
出会う人々は、高貴であった。
出会う人々は、荒々しかった。 世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
ーー
インドは何々とは、この本を読むと何もいえなくなる。
ただ、行ってよかったと、つくづく感じるところである。 ーつづく
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2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える 才八∋ウ_〆(∀`●)
今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、
どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、
これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、
他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、
首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」に
ソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは
自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。
面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても
仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。
もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、
海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と
危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。
限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては何の意味もない。死ー無という絶対的な宇宙からみたら自分の存在なぞ無いに等しい。
だから一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が!
美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。
シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついつい!ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
(別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。 ただ、朝起き、
飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。何で好きなことを探さなければならないのですか?
こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!
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2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4
ー 3月22日 12:00記
朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、
もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、
許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も
面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。
ー 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
(字数の関係でカット2010年4月03日)
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2005年04月03日(日)
1461, 「どう思いますか格差社会」
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会と
グローバル化のために分かれてきた。それに対して、シビアな議論がつづいた。議論内容はレベルの高いもので、
自由闊達で好感が持てた内容であった。「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。格差はどの時代にも元々あったもので今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。
国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。アフリカならいざ知らずだが?
北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、問題がすりかわってしまうが。面白いのは、出席者が「この中の座っている
席の上側と下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。
(字数の関係でカット2011年4月03日)
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2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間
1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間
人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。
・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退
1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずがない。時間認識の有無は優れた
ライフ・デザイナーにするための前提条件です。それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件である。
話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。自分の時間を持つコツを知っている人というのは、
自分の「場所」を幾つか持っている。自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も
経てば殆ど消えている。連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。『何事も三年よ!』と。
倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。
といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。
「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性をズバリ言い当てている。
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2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」 ー読書日記
(字数の関係でカット2008年4月03日)
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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。それを「具体的にイメージとしてやると
効果が上がる」という事だろう。 今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。集中が数倍ついたようだ。
この文章はほぼ散歩で頭で書いた。中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。
注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。