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ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのが多手続きで、先月から今月にかけて映画漬け。
内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に
導く手法だった。それを実在のアスレチックスのGM、ビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に近い選手を一流選手の
値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来の
スカウトや監督、選手、そしてマスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を達成をする。
これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。
最近、弱小チームだったヤクルトが、監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの
立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。 また新潟の野球チームの前監督が、
野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金で
かき集めたチーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。この数年のトレードの責任は
GMを兼ねている球団代表にある。今年の結果からして、首は当然と思うのは私だけでないはず。
ー『マネーボール』のHPの内容紹介ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にしたノンフィクションを、ブラッド・ピット
主演で映画化した「マネーボール」が公開された。 「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞した
アーロン・ソーキンらの脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。
経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に引き抜かれ、ピンチに陥っていた。
ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視した
データ主義によるチーム作りに乗り出す…。 打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材をかき集めていく
ビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学を
あきらめてニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。>
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3519, インターネットは20万年来の革命か? −2
2010年11月13日(土)
「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」と思うのは誰も同じ。
人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、
というから、いかにネットのツールとしての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、
などが発信も、受信も、気楽に出来るのである。 やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが完成すればコピーと圧縮が可能。
それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく出来るため時間の経過とともに、進化していくことになる。
「フューチャリスト宣言」の対談で、梅田 と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
茂木: 自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも最も強く、深い喜びはないでしょう。
食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発させる機会を与えている。
まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、
その可能性が広がっている。基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、「言語以来」という言い方が
成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わる
ポテンシャルがある。 でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に変わるかもしれない。
ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、
タダに近いかたちで入手できる。そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。
でも、長い歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
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ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、そのことが20万年来の革命である。
ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、
コンビニの総売り上げを超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの予約。
また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入している。これは20万年来の革命的ツールと
仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると
述べていることを考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底から変化させている犯人。
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3144,「法則」のトリセツ ー5
2009年11月13日(金)
* フェルミ法則
ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、
短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。
フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な
思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』
(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような量を推定する。
フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。
これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、次のように概算することができる。
まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする ー> ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする ー> ・ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする ー> ・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。 ー> ・シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度 ー> ・ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
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以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。先日、新潟駅南のジュンク堂に
「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
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2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
2008年11月13日(木)
こういう微妙な時期には「産経新聞」と「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より筆先は鋭い。
サブプライムローンの、問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマのスタッフが、クリントン時代の
面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。 今度の緊急サミットも、そのために使われるだろう。
アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを
解りやすく書いている。 一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ国債の価値が
失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 困るのは、紙を溜め込んだ日本と、
中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しにのり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれ
ならないのである。 その結果、待っている事態は、戦争であある。 −まずは、その内容から
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* 米次期政権頼れば 展望見失う 【経済が告げる】編集委員・田村秀男
2008.11.11 産経新聞・一面
「グローバル金融危機」とは面妖である。米低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)焦げ付きは
大きく見積もっても約30兆円にすぎない。1990年代に日本の金融機関が抱えた不良債権約100兆円の3分の1弱である。
なのに危機は世界に伝播(でんぱ)し、「100年に1度の大津波」(グリーンスパン前米連邦準備制度理事会=FRB=議長)。
(字数の関係で中間カット2009年11月13日)
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以上だが、この金融崩壊は16世紀に始った近代資本主義そのものの崩壊という人もいる。
それは数百年かかって築きあげた現在の中産階級の崩壊につながる。 そう現在、日本で起きつつある現象が
世界的に、より激しく生じることになる。 それこそ、イスラムのアッラーの神の望んでいたことである。
もし、そうなら5年や10年で混乱は収まることは無いことになる。私が生きているうちは解決は無理と覚悟をした方がよい。
現状を知れば知るほど絶望感が強くなる。 地球システムからの反撃の一つでしかない。
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2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題 才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
*古着の処分*
今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない いや、数年前に処分したつもりであったが、よく見たらまだ何着もあった。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2006年11月13日(月)
2050, あたりまえなことばかり −6 \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン
著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから‘こんなはずではなかった’
という結果になってしまうのである。それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。
家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。 まあ、相性もあるが・・・
幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか考えてなかった。
この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・
コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか!
「あたりまえなことばかり」
・ 幸福はどこにあるのか ー
何ものでもない心の状態としての幸福というものを、ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。
そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。生存するために存在する。しかし動物は、そのような自身のありように
自身のありようを問わないであろう。人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。このとき、その理由によって
孝・不幸は一つの思い込みになる。カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、カタチないものを、カタチあるものに
孝・不幸を求めてしまう。カタチなきものを、カタチあるように思い込む、 の思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。
孝・不幸もその意味で観念である。幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせておくことが出来ず、
何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる、とか。例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、「自由」「自己実現」
というカタチを求める。はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。心は、いわば分母の一のようなもの。
心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。あれこれの生活の
ありようなど所詮は分子的な存在でしかない。ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。
他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。
「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」
に押し込んでしまう。財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。
したがって、このとき「私」と「幸福」との間に、定義に大きな懸隔があることになる。
所有者は所有物ではないからだ。 主体の「私」は、客体の「幸福」ではない。
「『私』は『幸福』でない」、つまり「私は幸福ではない」のことになる。
個人がそれを所有するという仕方で人は幸福であり得ないのが、幸福は所有物でない理由よりも、むしろ「私」は個人である
という理由によっている。もっと言うならば「私」というものは「ない」。 「ない」ものが何かを所有することなどできない。
その理由で、人は「私は幸福になりたい」という仕方では幸福になることはできない。「私は私である」「私は個人である」
「私は存在する」という「私」をめぐる長い思い込みは、さらに「私は死ぬ」「人生は一度きりである」、
「だから私は幸福でなければならない」などの観念へと分岐し、いよいよ我をかきたてる。
「死後、幸福なる」という奇妙な観念は、その一種といえよう。
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字数の関係で、次回になるが、内容は仏教の滅私の世界になってくる。
まあ哲学も、宗教も重なりはあって当然だが、「私」を考えると尽きることはない。
{「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。} の部分も深く考えてみる必要がある。
超越確実言明の「私は私、他人は他人」は、思い込みでしかなかった、ということ?
これに気づいた時、誰もが慄然とするのだろうが、誰も気が付かないうちに生前に戻ってしまう?
(。^0^。)ノ サイナラ!
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2005年11月13日(日)
1685, ザ・マインドマップ−3 −読書日記 (~O~)ふぁ・・
ー技術的ルールとして、
1、強調
・中心イメージを置く ・絵を使う
・中心イメージには3つ以上の色をつかう ・イメージと言葉を立体的にする
・感覚にうったえる−視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など
・字、線、イメージの大きさに変化をつける ・スペースを整理して使う
・適当な余白を残す (ρ_-)
2、連想
(字数の関係でカット2008年11月13日)
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2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ −3
小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ば。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。
当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。
その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。 その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官として
ナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
◎ 小プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙
伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け、私は嬉しく感じました。
というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。
恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められる
とすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるいは価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2003年11月13日(木)
953, 腰痛ー2
腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが悪かったようだ。
腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に
書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。
腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。
しかし今まで一回も医者がかりはない。経験上、暖めていると長くて10日で大体は直ってしまうからだ。
その治療法を40年近くしている。 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。
デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、運動のやりすぎ、等々ある。
今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。
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401, 腰痛 - 1
2002年05月09日(木)
(字数の関係でカット2008年11月13日)
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579,ある時間の断片ー11
- 2002年11月13日(水)
1968年 9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。気持ちもすっきりした。午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきた。仕方がないが、あまり開放をしていると自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。 当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから仕方がないことだ。
これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。 そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
1968年 9月30日ー月曜
8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。 武澤先生に皮肉を言われた
ー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた −気持ちだけは積極的になっているが、
その実はやっていることはいい加減だということだ。 ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。
気持ちが落ち着かず中途半端であった。 校庭であった奥野と中野と話をする。試験がその後あった、
ここは出ないと思っていたところが出てしまった。もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。
何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?