「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * さかさまな世界-
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに踏み込む足裏が痛い。右手をそっと
後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。
大学に入学して初めてのバイト先。 苛立った僕はその後、事務員の女性たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと届かないんですもん。
ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、和式はたまらなくつらいんですよ」
僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは顔を見合わせる。ひとりの事務員が切り出した。
「あの……トイレヅトベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」     東京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落としてしまった・・・
拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。
同時に、私の足元でひざまずいていた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。
我に返り慌てて振り返ったが、無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。       岐阜県 横山奈津子
 * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミがひとつ入っていた。  長崎県 トンビ
 ▼ シンデレラの片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、互いに、一生に一回あるかないか。
  こういう思いもかけない偶然は、誰も経験しているが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
  「洗濯バサミ」、これもあり得る話。 野生の鳥は思いもよらない頭脳を持っている。そうでなくては、
  四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 こういう話は純真に聞き入れる方だ。
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3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―仕事も投資も成功できる「起こりえる未来」の読み方 ≫ 中原 圭介 (著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」の道半ば。
これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を予測して、事前に手を打っておくことが必要。
経済予測脳をもっていれば、誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が可能になる。
それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を送ることができるのか。
 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。 特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、 
 変化をジックリと見極め、それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けてどう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのかを捉えるようになる。
 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、人と社会は非合理的な側面が含まれるため、
 色いろな基礎教養をベースの上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
 ・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。
 その背景には本格的情報化社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を持ちはじめた
 20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネットなどの情報手段の革命がある。そのことを、明確に把握していないと、
 現在の状況を見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが、
「この恐慌は過ってない歴史的世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマにしているが、
 それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。 そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦世界恐慌
 そして第二次世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 特に、茹で蛙の日本は、である。  
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3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
   ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
 以下の部分で、その原理を説明している。 これでは多神教が敵うわけがない。
 それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人だからだろう。
 彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれていれば、どうもこうもない。
 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し違うのですね。
  終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて
  律法を守ってきた自分たちを窮状から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
  出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれがそういう目に
  あわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが降りてきて政治権力を握るということになる。
  そもそもユダヤ人は、幾度も周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる願いは、
  メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということなんです。ただし強力な国を作りたいという
  願いはありますが、全世界をユダヤ教}色にしてやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教イスラームより
  はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教キリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやってくるのは現世的な救いなのですが、
  キリスト教では幻想的にというか、非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考えるところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的にはないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。
 その時にアッラーの前に引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
 で、死者たちは、それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。
 だからイスラームでは火葬は御法度。裁きも具体的で、ちょっと御伽話みたいですが、それぞれの人の左右の両肩に天使がいて、
ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。
 裁きのときはその双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は地獄行きです。
 裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということはできません。そのときは現世はなくなってしまい、
 天国と地獄になるのです。『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国しか書かれていない。
 そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない
 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなるかは書かれていない。
 ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。
 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、
 最後の審判は怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。だから殉教したい人が多くなる。
   〜〜
これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。ニャロメの赤塚など、この程度の天国を十二分に味わったはず。
日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。と、思うのも多神教徒の浅はかさか! 天国はアラブの地の貧乏人の夢か!  
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2759, ソロスは警告する −3
2008年10月24日(金)
 ー要点をまとめると、以下の通りになるー
 この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
* 「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、
 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。
 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の
              平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。
* これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。
 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、
  観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は
  人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】
 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】
  これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。
* 現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張時代が終焉を迎えている。(中略)  
 ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、人々が誤った投資行動を続ける原因になった
「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、
 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。
* ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、
 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって
 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。
  ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー
●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー
再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが
生み出す円環だと見ることが可能である。 
  (字数の制限の関係でカット09年10月24日)
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2007年10月24日(水)
2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 戸塚の幼児・少年期の教育論は、自分の経験を省みると一つ一つが、よく解る。
いじめのプロセスを飛ばした部分は青年期になってから、その数倍も跳ね返ってきた。
反面、彼のいう躾や見えない指導は両親からシッカリと仕込まれてきた。片親の場合や、父親が軟弱の場合に
指導チェックが行われない可能性が大きい。やはり理想をいえば小学校時代までは両親の深い愛情と躾が必要である。
両親から5〜6歳の時、こっ酷く殴られたことが何回あった。 但しそれ以降は一切なかった。 
さすがと思ったのは、大學に入ると同時に一人前として、人格の尊重をするようになった。 
多くの子供を育てて経験からの知識であろう。神谷 美恵子の本にあった人生の諸段階にそって導いていたことになる。
道理にそれほど差がある訳がない。 子供がまともに育てるには、それなりのステップが必要ということになる。
出来ちゃった婚」など、生まれ出る子供からしたら「ふざけるな!」である。その時点で・・、
これ以上書かない方が良いか? ー彼の幼児期の教育論の部分を抜粋してみる。 
  *体罰は三歳から小学生いっぱい*
 では、子供たちのどの時期に何をすればいいのか。それが善でも、もちろん施すにはそれぞれ時期がある。
 年齢に応じたやり方があり、それを超えると虐待になつてしまう。
・三歳までは、完全に保護された状態で肉体と精神が成長していくのが望ましい。
  (以下、字数の関係でカット09年10月24日)
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2006年10月24日(火)
 2030, カラスの話
        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、今でも思っている。 
時々からからかったりしていたからだ。また私の散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀、セキレイ、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、
時には襲うようだ。ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。あれは何かの集会ではないだろうか?
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
 ・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
       (字数の制限の関係でカット09年10月24日)     \(^▽^*)バイ!
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2005年10月24日(月)
1665, 中越地震から一年!
昨年の「バードウォッチング」をまず、コピーしてみる。
ー10月23日ー
 去年の丁度今頃に地震がおこった。早夕食が終わった直後であったが、あまり恐怖心はなかった。
秘境旅行を続けてきたのが一番の理由であろう。一回の旅行で、圧縮されたトラブルがほとんどでる。
創業を何回もしてきたこともあるし、仕事の関係で常に現場では何かが起こっている。
真っ暗の中、一つずついま出来る手順をふめばよい。 身の危険が無かったこともあるが、
「この程度でなんで騒ぐの?」が、実感であった。それぞれの建物事情もあるのだろうが。
刺激の濃い日々だったのか。現在も同じ? 丁度花火が打ち上げられている。  黙祷!!
 ーー
以上であるが、実際は凄かった?喉元過ぎればか。近くの高校と小学校が避難所になっていて、一週間は近所のほとんどの家は
(避難をしていて)真っ暗であった。その瞬間からは、毎日ライブでこの随想日記に書いてある。危機になればなるほど面白がる、
楽しむ悪癖がある。良くいえば余裕がある? 悪くいえば性格が歪んでいることになる。 やはり場数を踏んでいることか。
ただ、山古志などの全壊した村で避難所に住んでいる人が一万人近くいるのも厳然たる事実である。
車で10分もしない所に、避難所で生活している人がいる。時々近くを通るが、彼らが普段の生活に戻ることを祈る。
そういえば、自宅内の貸家に被災者が住んでいる。彼らが自宅の裏の貸家を見にきた時の姿が目に焼きついている。
その一年前に、水害にあってやっと落ち着き始めたところ再度、地震にあったという。
一家して、疲れきった肩を落とした姿が印象的だった。
・・・・・・
2004年10月24日(日)
1300, まさか、地元で大地震
10分ほど前に、電気が復旧する。長岡の市民の4分の1が、学校などの施設に避難しているとラジオで言っていた。
電気とガスが切断されていれば仕方ないのだろうが。仕方がないので17時前に郊外にファミリーレストラン
探しに行くが、一軒だけ和風の地元のファミレスの電気がついていた。そこで食事後、家に帰ってきて18時半に就寝。 
直ぐ熟睡。 電気が今日中に復帰とラジオで言っていたので、電気のスイッチをいれていた。
それが23時半に復旧。何がともあれ飛び起きて、この随想日記を書いている。地震がおきた時は、丁度早夕食を
終えようとしていた時であった。普段、土曜日は家内と居酒屋か、近くのサエゼリアなどで食事をすることになっている。
たまたま、長岡近郊の小千谷市のスーパー・センターにドライブをかねて買い物に行き、惣菜を買ったために、
家で珍しく食事をしていた。殆ど、前ぶりもなく激しい地震がおきた。サイドボードに、コーヒーカップや、茶碗や、
皿が多く詰め込まれている。その半分ほどが、揺れで外に飛び出して割れてしまった。大きな地震が4回、他に小さな
地震が10回前後も揺れ続いた。一時間ほどかと、時計を見ると2時間半も経っていたのには驚いた。
一度なら、それほど驚かないが4度も大きな地震には恐ろしいより、笑ってしまった。 
と同時に、そこが私の面白いところ!「これは県内で、二桁の前半の死者の数が出るだろう」と、
地震の最中に家内に言っていた。 現在起きていることに対しても、解説的な自分が可笑しい。   ーつづく
 * ああ〜、0時一分前、このソフト今日中でなくては翌日の日付になってしまう。
  ギリギリ間に合った! それにしても余震が絶え間なく起こっている!                             
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2003年10月24日(金)
933, 強みに焦点をあわせよ(集中せよ) ー2
ドラッカーの過去の書物の中から「強み」について、抜粋していた本の項目から書き写してみた。
この中で印象的な言葉として、「無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも遙かに多くのエネルギーと
努力を必要とする」である。これは人に対しても、自分の中の能力に対してもいえることだ。
自分の不得手を直すより、得意分野に努力を集中すべきということだ。不得手を直すのは、むしろ害になることもある。
そこに気持ちの集中がいってしまうからだ。「得手に帆を揚げ」という言葉が日本にもある。プラス思考にもつながってくる。
 大組織のサラリーマンに嫁いだ姉たちを見ていると、マイナス思考になってしまっているのが分かる。まずはマイナスを
お互い指摘しあう世界であるからだ。それがまず必要なこともわかるが、マイナスのカバーに神経を研ぎ減らしている。
 ー抜粋ー
・自分の強みはわかりにくい
 ー誰もが、自分の強みをよくわかっていると思う。
 しかし、たいていは間違っている。 わかっているのは、せいぜい弱みである。
・不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。
 ー自分の強みに集中すべきだ。 無能を並みの水準にするには、
 一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。
  ー以下は、字数の関係でカット(2007年10月24日)
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559, ある逸話-外地のガイド

  • 2002年10月24日(木)

海外の現地の日本人ガイドにはあまりプライバシーを詳しく聞くなといわれている。
日本で訳ありの経緯できている人が多いという。イスラエル南アフリカなど日本人の殆ど行かない所では、寂しいのだろう、
自分で全てを話してくれた。南アフリカでの話は今でもハッキリと憶えている。50歳ぐらいの女性であった。
日本の商社に勤めていて、英国人と恋愛結婚して初めは英国本土に行ったが、平凡な生き方に嫌気をさした
旦那の意向で南アフリカに十数年前にきたという。ケープタウンに日本人は二十人前後しかいないと言っていた。
日本人同士の付き合いは殆どないとか。日本人の墓は女性名で一つしかなく、その墓を見てきたが冷えつく思いだったという。
子供ができた時に子供の名前を日本名にするか、英国名にするか大モメだったという。
女性の場合、自分が死んだときに生きてきた自分の証明が残るのは日本名の子供の名前だけになる。
自分という存在が完全消滅してしまうような不安にかられるという。外人と結婚して外地暮らしは若いうちは良いが、
歳をとった時に辛いと言われているが、自分はそれを知らなかった!と言っていた。聞いていても身に沁みる話であった。
人生いろいろあるものだ。10年近く前、ニュージーランドに行った時も70歳近い女の老添乗員が悲鳴をあげていっていた。
「40数年前に豊かさを求めてこの地に来たが、この地より日本が遙かに豊かになってしまった。大誤算だった!」
現在は日本も事情が変わり、そうでもないだろうが??! 全ての事は±ゼロである。
・・・・・・・
[196] 本格的チェーン店の出現
  2001/10/24
日本にもやっと国内資本系のチェーン店で本物が出始めてきた。ユニクロ、家具のニトリしまむら、イタメシのサエゼリア、
100円ショップ、無印良品、全国居酒屋チェーンの一部、そして上記の店は今の日本において本格的なチェーン。
 (以下、字数の関係でカット10年10月24日)