NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどでないと見過ごしていた。
しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビアの内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の
息子が中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせたいのに、その彼女が、母親の目には下流家庭の娘。
 その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」
というところで、終わった。しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、猛勉強で今さら!が現実。
 私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは上・中流など全く意識にはない。
自分のことを一番知っている? しかし学歴と学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
その姉も倒産し、友人、親戚から金を借りまくって、最後は失意の中、ガンで亡くなってしまった。現象社会が全てというのも、
それはそれで愛らしいが・・ しかし、自分より少し下の人?に「あなた達とは身分が違うのです」という意識は、付きまとっていた。
 現在、全国的にみて上流といえるのは、年収3千万で、中流は5百〜1千万、下流は二百万以下というところ。
私も、この倒産劇で・・・ 最近、近所の変?なオバサンに蔑ました視線を感じるが。 90パーセントが金で処理出来るのが社会で、
年収で判断するのも一つの目安。 しかし、そんなもの、その辺の輩の下衆の視線でしかない。 『下流の宴』の作家の林真理子は、
団塊世代であり、同世代の女性たちの多くのファンを持っている。 私の家内も大ファンで、常に図書館で新刊を借りてきて読んでいる。
団塊の世代は戦後の日本の成長とともにバブルを謳歌し、そして崩壊を経験し、現在、定年を向かえている。 
その大部分も現在は収入からして、中流から下流の時期に入ってきている。
 人生は、最後は必ず敗者になる。それを意識していれば、こんな見方に左右されることはない。しかし、それは、60歳を過ぎ、
年金年齢に近づいてこそ言えること。 女は、その辺のことはシビア。60歳まで生活費を、ある程度は維持しなければならない。
家庭を築き、子供を社会に送り出し、年金生活に入るまでは、ある程度の生活費は稼ぎ続けなければならない。やはり競争社会に
生きている現実がある。 下流なら、図書館で本を借りて徹底的に読めばよい。それで、上流とかの人種の楽しみや、遊びを遥かに
こえた道楽になる。そういう人は下流とはいわない。 しかし現代の風潮に流され、目先の満足しか見えないのは大問題。
 この言葉にこだわった時が下流か。それより卑しさが基準になる! すると・・あの男? えっ自分? 娑婆娑婆。
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3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だからこそ、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。」は、分かりやすい。
  = 哲学とは =    (P−217)