ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ?
  * 楽器編成の基本は、ビッグバンドにあり!  ーP・60
【 ビッグ・パンドにはそれこそ膨大な組合せがあるが、思い切って要約してしまえば、ジャズの入門者には次の三つを覚えれば十分だろう。
それは「ビッグ・バンド」「スモール・コンポ」「ビアノ・トリオ」の三バターン。そしてこの三形態も、基本はビッグ・バンドにあるので、
まずこれを見ていこう。ビッグ・バンドの土台を支えているのはリズム・セクション。 リズム・セクションというのは、ピアノ、べース、
ドラムスそしてギターから成っている。なぜこれらの楽器をリズム・セッションと呼ぶかと言えば、ジャズの要のリズムを提供するからだ。
だがベースとドラムスは先ほどの説明から分かるとしでも、初めての人は、ピアノとギターがリズム楽器というところがわかりにくいかも。
 クラシックでは、ピアノは、オーケストラをバックに従えたピアノ協奏曲を例に出すまでもなく華麗な主役であり、ロック・ファンにとって、
もちろんギター・ソロが目玉になっている。しかしロックでもサイド・ギターが渋くリズムをカットしているようにジャズのビッグ・バンドも、
ギターはコードを掻き鳴らしつつリズムを提供している。そしてピアノもまったく同じことをやっているのだ。
 そしてそのコード・サウンドを押さえたリズム・セクションに乗って、ビッグ・バンドの花形楽器ホーン・セクションがバンド・サウンド
吹き鳴らす。ホーン・セクションというのは、おのおの数名からなるトランペット、サックス類、トロンボーンのことを指し、
これにサックスを受け持つミュージシャンが適宜楽器を持ち替えて、たとえばフルートなどを吹いたりする。またスイング時代のバンドでは、
ベニー・グッドマン・バンドのようにクラリネットが加わることが多かった。】
 ▼ ビッグ・バンドの楽器編成を基として、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターがリズム・セッションの基本。
  ジャズファンの、まず初め憶える第一歩である。 そこからピッグ・アップしたのが、スモール・コンポとなる。
  トランペットはジャズの花形だが、リズム・セッションにならない。
  * ジャズの花形楽器、トランペット
【 ジャズの歴史のところで、サッチモの吹いたトランペットの親戚のような楽器としてコルネットが、1920年代は主役だった。
しかしモダン期以降は逆転して、ほとんどがトランペットに変わっていった。トランペットはジャズを代表する楽器といって過言でない。
よく通る高音域と華やかな音色の輝きが、ジャズのダイナミックな特質と一致しているからだろう。実際ルイ・アームストロング
はじめ、一時代を築くようなミュージシャンにはトランペッターが多い。代表例はマイルス・デーヴィス、クリフォード・ブラウン
そしてリー・モーガンだろう。】
 ▼ トランペットが主流なら、トランペットが聞こえたら、モダン・ジャズとみてよい?
  ・・・・・・・

3391, 911・考えない・日本人  ー7
2010年07月08日(木)
   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、
故に反省意識が生まれない。故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類で唯一無二の
原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、
見当違いの悔恨の思考を働かせて死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の三歳児性は、
無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。 われわれ日本人は動物心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。
知能ではなく、心理として狸や狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る脳みそは、内言語と反省では作りえない
言語以前の反応である。ニャーという猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人はその「音」を使ってきた。
「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・・
人間が人間の条件とされたものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」(自己満足した
卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字のとおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に
人間性を失った人間を嘆く言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
 〜〜
 この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、
それさえ気づかない三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず「ウィ(我われ)」しか言えない
幼児性から抜け出れない日本人。そして、あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうもならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
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16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。
その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、
旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。
全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、
何回シリーズで書くことにした。
 まずは ー序章  旅を作るー から
   一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』で記した次の定義がもっとも的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー
 ・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。そこには旅を作る、という要素が入り込む
 余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、旅をする人が作るのだ。・・・
 (解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを
 主にすることをいう」ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして、
 文化・文明というより、大自然に触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。
  夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって
  その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、そして、
  その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。
  その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が膨らんでいく。
  とにかく一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
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2651, ロジャーズ 中国の時代 −1
 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。20年近く前に中国を訪れて以来、
5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、この本によると、更に変わっているようだ。ただ、その劇的な成長に対する反動が、
どういうカタチでくるのか問題だが。そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。
ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き国際商品の高騰を予言した冒険投資家。これは中国株投資の手の内を明かした
全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ
100倍になったのである。ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。
ソ連のように分裂というカタチを通るのか? これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 
独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、やはり同じ道を通るのだろう。 
この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
  〜〜
中国人の友だちが言うには、「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、世界経済が何十年にも
わたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。扉を閉ざして社会主義桃源郷を作ろうとしていたのだ。 
私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。
食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 
サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、
新しいことを始めたりするのも不可能だった。生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。
資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、
こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」
 〜〜
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
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2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!            ー読書日記ー
 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、内容が濃いからだろう。 冒頭からして、
深く考えさせられる。特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、少し取上げたことがある。 
敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
 ーオーストラリアの蜜蜂ー
かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、
オーストラリアでは常夏のように年中、なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、
仕事は始まった。最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、やがてほとんど蜜を
集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。年中花のある恵まれたところに移って、
蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、
きびしい環境におかれた方がよく働く。欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。それがやがて社会の繁栄に結びつく、
そう考えるのである。悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。ハングリーならよく働くというわけだ。 
ひとりひとりについても同じことが言える。いまアメリカでもつとも優秀な学生は、ベトナムカンボジアからボート・ピープル
としてアメリカへ渡った難民家族の子女であると言われる。ハーヴァード・イエール、プリンストンなどの名門大学へ
すいすい入学する。ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。べトナム・カンボジアからの
難民が秀才、才媛だけをつれて行ったわけではあるまい。不目由・不如意な環境で育ったために、石にかじりついても、といった
勉強をした。ハングリーだったからこそ、目ざましく学力をのばしたのである。
ーー
現在の韓国や中国、そしてインドの若者が目覚め、必死に学んでいるが、ユトリ教育とか訳のわからない理屈で遊び呆けてきた
日本の若者の姿が痛た痛たしい。この文章は本の発刊の3年前の10年前に書かれた内容である。現在の日本は更に問題が深刻化している、
いや、表面化してきたということだ。「茹で蛙」という言葉があるが、自分が茹で蛙と気づけばよいが、茹で上がった蛙は、
その自分の姿が解らないものである。 それも、周りの蛙がホボ茹で上がっていれば、気づけというほうが無理? ・ω・]ノ ヂャァネッ !
・・・・・・・
2006年07月08日(土)
 1922, 第二次・関東大震災      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/           
今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)
地震が起こる確率は70?という。その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。死者は最大で13000人というから、
1000人に一人になる。イメージでは5~6万以上の死者と思えそうだが。700万人の避難者が出て、建物の全壊や焼失は85万棟。
損失の総額は110兆円と予測される。国家予算の150?になる。もっと、恐ろしい事実がある。マグニチュード8程度の
地震発生が予測される原発が、世界に一つある。中部電力浜岡原子力発電所である。 政府や電力会社は「『安全基準』を満たしている」
というが、専門家の間では、安全基準自体を疑問視する声が根強い。よく、そんな場所に造ったものだ。東海地震にしても、
関東大震災にしても、単独ではなく、一つの地震につづいて起こる可能性が高いという。そんなこと考えることないよ!
というかもしれないが、一昨年の暮れに、私の地元でマサカの大地震があった。夜になると近所は真っ暗闇になり、近くの学校に
被災者で一杯になった。そして新幹線が脱線をして惨劇一歩手前。現在でも裏の我が家の貸家には『被災者が住んでいる』という事実がある。
私なら、間違いなく何処かに引っ越すが! もう一度言う、間違いなく引っ越す。せめて住居は埼玉か、千葉か、鎌倉かにする。
歳を召されたかたは、それも寿命でよいが! 地震の予知は、実際のところ無理だという。関東に住むのも、働くのも、
命がけになったのだ。少し脅かすと、関東沖でインドネシア沖の大地震クラスが発生して大津波が来たら、数十万でなく・・
今月の日経新聞の「私の履歴書」は小松左京である。「日本沈没」を書いたSF作家の・・ 
日本の人口は昨年より減り始めたが、東京の人口は、この先10年間は増え続けるという。
年配を中心としてだから、それはそれでいいか? 30歳と27歳のわが息子よ! うするっぺ~か? 埼玉辺に住むようだから、
安心か〜 それに避難所も、三国の山を越えればあるのだから、大丈夫か! 越後も、日本海に面して、北朝鮮の頭のいかれた
ドン様がミサイルで恐喝をされており、柏崎原発にミサイルを・・・ どちらも同じことだ・・
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2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3
 ー 宇野千代語録 −2
 忘れるということは得なことである。 私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、すぐに忘れた。
人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。(「願望」より)
 ー内語ー  そうだよな〜、そうだよな〜! でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。 この人、強い人なんだ!
 あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、
幸福の種を探してみてください。最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、そのうち
どんなときにも幸福を探すのが癖になります。そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。
(「幸福に生きる知恵」より)
 −内語ー  そうか?そうか!
「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。化粧はしていても、決して、してはいないように、素顔であるように
見えなければならない。身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、しゃんとしていなければならない。(「願望」より)
 ー内語ー  純粋の粋か?
「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、
と私は思うのである。世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、私は、
そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。(「しあわせ人生」より)
 ー内語ー 泥棒の方がまだまし?・・・、まあいいか! その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ?
 恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、と思う間柄の人たちは、
ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。      (「願望」より)
 ー内語ー  深い言葉だね!離れれば、直ぐに、その言葉ー気持ちの真実が見えてくるものね!
 人間はいくつになっても、恋愛をしてはいけない、と言うことはありません。
それどころか、恋愛感情の枯渇している人は、もう、人間をやめているのだ、と思いませんか。 「普段着」より
 −内語ー(            )
理解するとは何か、ただ、ただ、そのもの自身を尊敬することである。
人々よ、あなたが何事をでも、理解する事を望むのであったら、ただ、ただ、
そのもの自身のことを、とことんまで尊敬することである。    (「普段着」より)
 −内語ー  そうか!そうか!  
人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。何を好んで、不幸な気持ちの伝染、
不幸な気持ちの反射を願うものがあるか。幸福は幸福を呼ぶ。幸福は自分の心にも反射するが、
また、多くの人々の心にも反射する。(「生きて行く私・下」より)
 −内語ー  すべての根っこに夫婦関係があります!
・・・・・・・・・
2004年07月08日(木)
 1192, 国家破綻?ー読書日記  藤原直哉           長岡中央図書館 2004年7月3日
この4月に出版された国家破綻?を読んで、暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことができた。不況をセンセーショナルに
書いてあるが、ジックリと読んでみるとけっして誇張には思えない。現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、
少し景気が持ち直しているように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
去年の11月のりそな銀行の破綻、そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。
アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。小泉首相も改革といいながら実際のところ何もできない現状を見ていると、
20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済も
いつ崩壊するどうかの状態といってよい。現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。
円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、紙くずになる。ハイパーインフレが必ず来るという
筆者の主張も当たり前といえば当たり前である。国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いた
ことがあったが、いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と同時に紙くずになった
歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。もう守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。
現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。
・・・・・・・
003年07月08日ー アラスカ旅行中
・・・・・・・
2002年07月08日ー スイス旅行中
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2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!
まずコペンハーゲン
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由    2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド         4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ
5日目はストックホルムへ             6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ                8日目はレニングラード
9日目もレニングラード              10日目モスクワ
11日目帰路