* エアロビックス
 スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、スタジオで色々なプログラムをこなしている。 
15〜20分の休憩をおいて何かが30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど参加者が少ない。
男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。
 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、
12人がステップ台とマシーンを交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者が冷たい?視線で、
行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、
この梅雨の湿気で一回限りにしている。 
 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして参加したが、
意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など
10回以上は参加した。 最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。
 それにしても、あの熱気は凄い。時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを堪えている。
今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。
面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか?  ここまで、くれば同じか!
 そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯では、2〜3割位は減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。
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3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2
2010年06月25日(金)
    「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、
老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、
その時の成績順が、そのまま人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・ 
そんなことは、この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、街中の学校区ということで集まっていただけ。 
地元には大学の付属の小中学校もある。学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 
子供なりに腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校に、
わざわざ越境していたと数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。
 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば
チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を
表すというが、次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。
 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。
その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、
これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。
結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。
これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。
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3003、アルコール依存症
2009年06月25日(木)
  これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。
 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 
 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。
 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準)
・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、
 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。   ー適応
・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応
 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。
・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」    ー適応
 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。
・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。  ー半適応
・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応
・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。     ー不適応
・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応
  これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、
 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。 また国際基準というから。
  少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。
 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。
 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。
 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 
 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。
  解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。
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2639, 世界の原子力発電の実情はどうか?
 2008年06月25日(水)
このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。
更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。
地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である
今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、
今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。
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世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、
計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、
06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 
ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。
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情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。
それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。
それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。
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2007/08/06
 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?     ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。
 ーインターネットで早速しらべてみた。  
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37パーセント。世界全体として原子力の依存度が
高まる傾向にある。現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。
日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、スウェーデン
エネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める
石油依存度は、2001年度に50%になった。(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う) 現在の日本には、53基の原発があり、
発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。電力10社では原発31%、石炭火力26%、
LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。
その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。
(字数制限のためカット2010年6月25日)
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007年06月25日(月)
2274, 現在とは何か         (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ
 「現在」とは何だろうか? 
歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。
ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 
決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。
文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、?ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也
一橋大学名誉教授)の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。
難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。
 ーその内容の一部を抜粋してみるー
ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。
その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。
しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。
一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。
 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、
 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。
 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・
 かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後
 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。
二、次に、持続する現在がある。
 私たちの意識の下層は過去を残している。
 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが
 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。
三、一回限りの現在がある。
 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。子供はたしかに成長する過程にあるが、完結した全的人間でもある。
 戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、孤独なものには援助の手が現在になる。
 一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。
四、最後に決断の領域がある。
 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として
 対するのであり、時間も客観的に流れていくのではなく、自分が捉えることによってはじめて生きてくるということが解った。
 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、自分の目で歴史を見るということであり、そのためには
 自分の内面に対応する歴史を発見しなければならないのである。私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。
 古代、中世、近代という時代区分が確立しているとされ、それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかった。
 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、それらを意識していた人々の暮らしと
 思想を見出さなければならないのだと、思い知ったのである。私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから
 始めたのである。当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。私もその議論の中にいた。
 しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから出発しようとしていた。私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、
 その地域の歴史を起こしていくことを考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。
  ーー
 ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。
・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、
・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、
・現在は、一回限りであり(一期一会)、
・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、はじめて生きてくる。
 現在は、自分が主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、
 ということである。「現在」という問題も、結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。
般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。        (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ
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2006年06月25日(日)
1909, スペイン画家・堀越千秋 −1
            ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス!
以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。
世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを紹介する番組である。
強烈な個性的人物が、日本人のアイディンテティーを守りながら、活躍している姿を放送していた。
その中で選ばれた人を、日本のスタジオに呼び寄せて紹介する特集があった。
その中でも特に、堀越千秋さんが印象的であった。題名は「フラメンコの心を描く?スペイン 堀越千秋?」              
そこで彼が1枚の絵を描きあがるプロセスを数日にわたって撮影した場面があった。大きなキャンパスに茶色の背景を塗りたくり、
数時間もジッと見ているだけ、そしておもむろに描きたしていく。自分の潜在意識から滲みだしてくる抽象画である。
キャンパスに全身全霊を叩きつけて、スペインの情熱を自分を通して放射させるのだ。      
 (2009年6月25日カット)
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2005年06月25日(土)
 1544, 私の酒中日記 ー10   
     金沢 ー6   ー1972年3月某日
武蔵店の店次長と最近飲むようになった。店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。
これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、
目の前に店の女子がいる。丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。ところで、店次長の今日の話が面白い。
金沢でよく言われている裏話があるという。その地区でしか聞けない面白い話しである。「能登と福井の女は止めておけ、
嫁を貰うなら富山がよい。自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。
富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、
能登だけは止めておけ。自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」その同僚女子は
金沢周辺の出身で問題はなかったが。そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。
神社のあるところは湧き水が特に良いからだという。人間も米も水しだい、こと結婚相手の女性は湧き水の綺麗なところがよい。
今日は居酒屋から、スナックに行く。以前から飲みに誘われていた女性だったので、これでよかった。二年先輩の彼女だが、
サッパリしていて好きなタイプだ。去年の暮れに二日間、金沢の郊外で一緒に売り出しのダイレクトメール配りをしたことがあった。
下手なデートよりズット面白かったが。彼氏のいる女性は安心して遊べるし、複数なら問題はない。三人で、かなり盛り上がった。
ところで、先日会社の私的な集まりがあった。40人位の若手の男社員が集められていた。西友ストアの資本提携に対する
反対総会のようであった。西武系の東大出の嫌味な人事部長と、慶応出のキザな総務課長が乗り込んできたが、
あまりも見下すような気持ちが露出していた。その爆発なのだろうが、明らかに社長が裏で動いているのが解った。
その直後、西武から来ていた10人ぐらいの社員が一せいに引き上げた。重大な局面にあるようだ。
会社は弱者の立場に多ってはならないケースとして、しっかり見ておかなくては!
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2004年06月25日(金)
1179, 哲学についてー10
 ー現在の哲学
現在の哲学はどうなっているのだろう。現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。
この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく
根源的生命力のことをいう。構造主義とは[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」
(無意識)を探求する]と、いうことである。 解りやすく大雑把にいえば
「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」その構造主義を唱えたのはソシュールである。
彼は人間は言語を持つことで人間になった、「人間は言葉だ」と主張。構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。
このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。
情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。
情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする社会といってよい。
その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。
哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に重要になってきている。
自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。
「哲学について考える」を書いてきた効用か、今までとは何か違った目で「哲学」の本を読めるようになった。この程度でだ。
ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。何冊か書いてみると
「哲学のカフェ」 ノーラ・K  「ソフィーの世界ヨースタイン・ゴルデル 
「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太  「哲学がわかった!」鷲田小弥太
「哲学のコテン101物語」木田元  「新哲学入門」三木清
ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ  「ユング」コリー・ウイルソンなどなど、30〜40冊以上はあるが、
それを理解しているかといえば話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30〜40とした。
哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。難しいことをシンプルに、
シンプルのことを深く、深いことを面白くである。哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。
ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義
とかの概念をテーマにして書くつもりである。  次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。
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2003年06月25日(水)
812, 変な人が書いた成功法則  ー 読書日記
(2008年6月25日字数の関係でカット)
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2002年06月25日(火)
448,吉村作治ー考古学について ?1
 昨日、彼の講演があったので聞いてきた。エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、
一言一言が非常に興味をもてた。 講演内容を時系列にそのまま書いてみる
・考古学は人間学である。 骨董屋とは違う
・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる
  (字数の関係でカット2008年6月25日)           ー 続くー
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2001年06月25日(月)
 [63] 秘境ツアーコーナー故障中
3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。
ホームページ面白いがメンテとランニング大変!
好きだからやってるが、そうでなくては無理。          ーつづく