これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、それが全くない。
恐らく10年以上、一日2〜3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、
ここにあるためだろう。 ある人が「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、
忠告された。 毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から
何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広くする。
心は言葉である。毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。
何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、公開することの効果を感じ取っている。
だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、
書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。その上に、いわれのない?
数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、
このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 
結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・
   2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い

 ・・・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
 2010年04月11日(日)