『iPad 対 キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著

 *「ウィスパーネット」が、kindleの秘密
アマゾンが発売した電子ペーパー本といったようなキンドル。「ウィスパーネット」といわれる通信機能が特徴。
ユーザーは通信をなにも意識しなくてもよい、何故なら通信料は書籍の代金にふくまれているので、別に支払う必要がない。
現在ではアメリカ?だけで41万冊の種類が用意されており、電子書籍の価格はハードカバーが25〜30ドルくらいに対して9・99ドル。
新刊も同時に発売されるものが多く、その場合、紙の6割ぐらいで売られている。この威力は使った人にしか分からないという。
まだ日本では馴染みが少ないが、要は「アマゾンのネットで本を注文すると紙の本の替わりに電子ペーパーキンドルに直接、着信する」
のが特徴。 決済は、これまでのようにネット上でおこなわれる。iPod に似ているが、違うところは、直接端末に着信するところ。
これまでのアマゾンの顧客を、そのまま取り込めるのがミソ。 更に新聞や雑誌も普及始めているという。
アマゾンは、kindleそのもので儲けることでなく、あくまで電子ブックを売ることが目的。ライバルは現在のところ、ソニーとアップル。
アメリカ国内では、キンドル200万台に対してソニーは100万台を売っている。 ソニーは、日本よりも出版が自由な米国で先行。 
一方、iPadは、電子書籍端末専用ではないノートPCと携帯の中間の、他の機能を多くそろえた汎用機を目指しており、
リビングでつかわれるシーンを想定している。またiPhonむけの専用OSをつかえることで、その顧客の取り込みが有利。
他にも、それぞれの特徴を生かした端末が多く出てきている。それにしても、端末にパソコンで注文した書籍が、直接、
振り込まれるのには驚いた。 iPodは、一度音楽をパソコンに振り込むのに対し、端末の先の通信代を考えないで済む
「ウィスパーネット」には、驚いてしまった。 音楽も、近い将来、機能としてつく可能性すらある。 
                                             次回は、ソニーの戦略                  
 ・・・・・・・
3049,ハリネズミのジレンマ
2009年08月10日(月)
哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。
 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような?
《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。外は吹雪で巣穴の中は寒い。
 そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、互いの針で相手を傷つけあうことになる。痛さで体を離すが
 今度は寒くてたまらない。一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く相手のぬくもりを
 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》
 〜〜
  若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 
 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。 
 8人きょうだいの末っ子で、家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。 
 私の家庭では付かず離れず、自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。
 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、
 自然態なのである。 大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。だから人混みの中の孤独には慣れている。
 他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係などで)自我が露出してしまい、
 一人よがりになりがちになる。  成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 
 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。
  ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。 独居老人のジレンマでもある。
 ・・・・・・・・・・
2684, 己の地平の地を耕す
 2008年08月10日(日)
知人が二人、最近になって(とはいえ10年前から)素人菜園に凝っている。たまたま事務所で二人が出会ったとき、
嬉々として話が弾んだ。何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。
『心身にとって、これほど良いことは無い』と二人は口をそろえて言う。それを聞いていて畑での一連作業が、
何か自分の心を耕しているに感じた。人生は考えてみれば畑を耕すのに似ている。長い人生の道のりも計画通りに楽しみ生きるより、
苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。 たどたどしく泥まみれが人生である。
イソップの寓話に、面白いのがある。
《葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。
「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。
私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。
しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。
畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》
 父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。 
そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。
(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。今度借りて読んでみようか)
「ところで御前さん、人生の畑を耕したの? それも真剣に?」と問われれば、「う〜ん、耕してきました! これでも 」 
そして、「上を見れば限がない、横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。
このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。
テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・
畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 
土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。
「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」
ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。国土に土が殆ど無いのである。
岩石の上に辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。藻は菌で出来ているので土は必要としない。
しかし、それは堆積はしない。その時になって、成るほど我々は生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。
人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。
・・・・・・・・・・
2007年08月10日(金)
2320, 「朝青龍」問題について −2
               ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
これほど、単純だが困った問題はないだろう! 朝青龍は大相撲の世界で5年間も君臨してきた。
一人横綱を張っていたこともあり、その実績から少々の我侭も見逃されてきた。
ところが、情報化には彼も勝てなかった。仮病疑惑のサッカーの映像が放送されたからには言い逃れができない。
また相撲協会も彼を庇うことはできない事態になってしまった。 相手は世論である。実質の引退勧告をしてしまった。
これで本人は土俵に立つことも、他の力士に合わせる顔がない。このまま大相撲に残ったとしても、全ての力士から
「引退勧告されて無様にも出てきたモンゴル野郎」でしかない存在に凋落したのだから、ノイローゼになって当然である。
辞めてしまった力士など日本では誰も相手にしない。 辞めるに辞められないが、残っても
「無様な恥さらし野郎というレッテル」は、もう取ることはできない。悩むだろうし、死にたくなるだろう。
モンゴルの英雄も日本で大横綱と言われいればこそ成り立つので、これで辞めれば英雄も、単なる国辱ものでしかない。
ー彼の心の内といえばー
「一人横綱を利用して今まで何度も仮病で同じことをしたのに、今回は何で?
 あの映像が、拙かった!あれさえなければ!畜生め、あれさえ出なければ・・」
「俺のやってきた結果は、こんなことで全てフイになってしまったのか?
 それにしても俺も好き放題してきた!強ければ全てが許されると信じてきたが、
 どうも今回は、それまでのツケが一挙にきた、それも取り返しがつかない事態だ」
「辞めればいいだろう!と思っていたが。いざ窮地になると、辞めてしまえば
 自分には何もない。妻さえ呆れかえって国に帰ってしまった。どうにもならない!」
「いろいろと回転木馬のように頭の中を走っている。 解決などない、あるのは時間である。
 ならば、この状態を続けるしかない。モンゴルに帰るには引退しかない。 ただジッとしているしかない!」
 というところだろう。 実際のところ、どうしたらよいのか? 誰かが、この男に、こう忠言すればよいか?
「『悟るとは、平気で死ぬことではない、実は平気で生きることである』と、恥を恥として割り切って、
嘲笑の中で勇気を奮って、相撲を取れるだけ取るしかない。それが大横綱への試練である。
人生の中で多かれ少なかれ誰でも経験すること。それが早く来たと割り切ること。
ここで辞めれば、ここまでの男でしかない!時間が全てを解決する」 高度過ぎて、無理か!この程度の男には。
 ある精神科医が『心の全身骨折』と言っていたが、本当に言いえて妙である! 
下手をすると、立ち直れないかもしれない危険もある。            バ━━ヾ(●′ω`)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年08月10日(木)
1955, 片づけられない女−1
             \(^▽^*)おはよう
昨日、昼休み何げなくTVをつけると、「TV史上一番の片づけられない女」というタイトルが出てきた。
ある30代の女性の部屋をレポートするもの。チャンネルを切り替えようとしたが、どれほど酷いものか見ることにした。
1DKのドアを開けて一歩踏み込んで見て、驚いたなんでものじゃない。部屋が足の踏み場の無いゴミ箱である。
玄関のすぐ右に台所があるが、流台の高さまでゴミが積みあがっている。かろうじて、冷蔵庫を掻き分けるようにして開けると、
4年前の食品が、そのままある。冷蔵庫の上の生卵は、一年前のもの。奥の8畳位の洋間に行く通路はゴミで、
うず高く埋まっていて、1mごとに足の踏み場の空間があり、そこをジャンプしながら部屋まで行く。部屋は、
中央に布団が敷いてあり、布団の半分はゴミで隠れている。部屋はゴミの山で埋もれている。その殆どが、食べた後の
ゴミを丸めたスーパーの袋で埋まっている。4年間、一度も掃除をしてないという。臭い感知器で測ったところ、
その部屋は425の臭さ(普通の部屋で25)。ラッキョウは125で、腐った豆腐が500である。ほぼ腐った豆腐の臭さで、
本人は慣れてしまい平気である。部屋の窓は2年間、一度も開けたことが無いという。本人は「仕事のストレスなどで全く片付ける
意欲がわかない」という。精神科の医師がインタビューで、「最近の20・30歳代のキャリア・ウーマンに多い」と言っていた。
ストレスが原因で、ゴミが更にストレスを加速させているが、これが病気だから手の打ちようがない・・
そこで、TV局が呼んだ‘片づけのプロのオバサン’がやってきた。しかし、そのあまりの酷さに唖然とした。
先ずはゴミの搬出、その量が何と二トントラック一杯。お手伝いオバサンが4人加わって、掃除と後片づけをするのに
10時間もかかった。以前、行きつけの店のママの紹介で、ある女性が店を出したいと相談を受けたことがある。
ところが、偶然にその人を知っている人がいて、「あの女が店を出す!冗談でない。自分の行きつけの店のママが部屋に行って、
その部屋の汚さに開いた口が閉まらなかった。そんな人間が店を出して上手くいくわけがない!」と吐き捨てるように言った。
「絶対に出すべきでない。一軒の店を出すのに、最低で10年をかけなくては駄目!
そう甘いものではない!」と、忠告をした。 しかし、本人その気になり開店準備を始めたが、
開店前に頓挫をして・・、その後は行方不明と聞いている。それにしても、昨日のあれは ひ・ど・い! 
他人のことを、いってられないか? 多かれ少なかれ、潔癖症の人以外は、何らか似ているところがあるだろうが。
(字数の関係でカット09年08月10日)
・・・・・・・・
2005年08月10日(水)
 1590, 自民郵政解散の攻防−4
昨日の全ての大新聞の一面で、各社政治部長郵政解散の論評をしていた。なるほど、それぞれ一理ある。思ったより小泉首相
厳しい内容が多かった。賛成反対の両者を配慮しなければならないためか、思い切って書けなかったこともあったようだ。
小泉の前の談合的な政治手法では思い切った改革は不可能に近い。また小泉首相アメリカ大統領型の選挙で直接国民に問う
手法は時代に合っている。自民党をぶっ潰すだけでも、この解散はよいが、果たしてどうなることか。
あと一ヵ月後に歴史的場面?に立ち会うことができる。それにしても、民主党が政権とるつもりでいるらしい。
反自民党という意味で本来は民主党支持なのだが、今回のように敵失を待って自らの郵政改革案も出さないのは実におかしい。
消去法からいっても民主党は論外とすると、やはり小泉自民党は有利になる。「新党」構想も早くも失速?始めたという。 
自民党郵政民営化造反組の間でささやかれていた「新党」構想が、早くも失速。解散前までは「同憂の士で新しい流れを作る」
平沼赳夫)などと威勢が良かったが、ふたを開けると、「公認されないなら無所属で」の声ばかり。 小泉政権の終息も見越して、
いつでも復帰できるように身軽にしておきたい、という情けない有様である。
衆院本会議で反対票を投じた衆院議員37人と参院採決で反対した参院議員22人を加え新党を作れば、
60人近い勢力になる。新党結成で、新政権作りのキャスチングボートを握る戦略をとればよい。
ところが解散・総選挙が決まると、
・綿貫が「あくまでも自民党を愛している。このまま自民党で頑張っていきたい」
野田聖子元郵政相も「『自民党野田聖子』を自負している。
 公認してもらう努力はしたいが、(だめなら)無所属で出る」
・「自民党が嫌で別の道を歩もうというのではない」(亀井久興国土庁長官
亀井静香政調会長まで「新党にすぐ飛びつくことはしない。自民党公認で選挙をやりたい」という様だ。
 それだけのタマはいないと改革派にバカにされていたが、その言葉通りである。
選挙結果次第では小泉が退陣に追い込まれる可能性もあり、簡単に新党はつくれない事情もある。
来年9月には小泉首相の党総裁としての任期が切れるため、「小泉が降りれば、また一緒にやれる。
政党にしてしまうとやっかいになる」というから、哀れを越えて惨めに見えてくる。
無所属で隠れて上手くいけば当選しようという魂胆である。 実質、負け戦を自ら認めた結果である。
昨日の昼のワイドショーで、藤井と小林とかいう反対派の(元)代議士が猪瀬氏に質問攻めにあい、
必死に弁明をしていたのが哀れであった。 TVは真実をそのまま映像に映し出す。
ーーーーーーーー
昨日の産経新聞の「産経抄」がよい。
 ー産経抄
今回の解散をなんと名づければよいのか。 参議院での「郵政民営化法案」の否決が引き金となったのだから常識的には
郵政解散」だろう。反小泉陣営からは「腹いせ解散」「自爆解散」といった呼び名も聞こえてくる。▼確かに、法案に反対した議員を
公認しない姿勢を崩さなければ、自民党分裂選挙を迫られる。それでなくても、平成十五年の総選挙の比例代表、昨年の参院選では
民主党に敗れている。怒りにかられて、討ち死にを選んだ「狂気の沙汰(さた)」と見えなくもない。
(以下字数の関係でカット2008年08月10日)
 ・・・・・・・・・・
2004年08月10日(火)
 1225, つれづれなるままに
・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。 フッと思いついて、近くの図書館のHPを検索にかけたところ、
 その本が有った。 図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。 
 その時、「インターネットで調べることが可能なはずだが」と思ったのだろう。 お金は少し注意すれば使わないで済む。
 情報化は、無駄を省いてくれる一例である。 不景気になるはずだ。
・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。
 インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。
 ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、お客はそれを知っている。
 インターネットを使いこなせるかどうかの情報ギャップがますます大きくなっている。
 もう数年で、携帯電話やモバイル・パソコンで生中継の野球を見る時代が来る。
・心の帆
 「得手に帆を上げよ!」という言葉がある。人間の運命を決めるのは 心に張られた帆である。それも得意の帆を立てることだ。 
 しかし、我々を動かすのは、決して帆だけではない。「時代の風」である。風はその時代ごとに、向きも場所も変わる。
 今は情報化と、デフレと、グローバル化いう風が吹いている。
・・・・・・・・
2003年08月10日(日)
 858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ
 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が二件たて続きに起きた。
そういうものだ。 あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。
ホテルの立ち上げを創めると、必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に身辺におきる。
本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、
その波乗りを楽しむ位でないと神経をやられてしまう。創めたからには突き抜けなくてはならない。 
その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、こういうものだと腹が据わる。
縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。
こんなもんだろうと、直視しながら一つずつこなしていくしかない。それも一つ一つが極限の出来事である。
そしてピークの出来事が重ねてやってくる。それは経験を重ねると見極めがつく。
それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。同時に「ああ今回はこの程度か!」と心の奥の声がする。
遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。これは仕事だけでなく人生一般にもいえる事である。
  一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。
  神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。
・・・・・・・・
2002年08月10日(土)
 483, 経営セミナーにて  −2 
30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。
しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。2000万?はつかった。
しかし土地を二回転がし、すぐ元はとった。そういう事だけはクールだ。
ある時解った、これはレジャーだと。 レジャーと割り切っていたほうが逆に情報を受け取る事ができる。
副産物として井の中の蛙の自分を確認できることだ。 地方にいるとどうしても王様蛙になってしまう。
結構面白い人に多く会えるのも収穫だった。全国各地では、その地方では名士様がくる、それがよい。
地方にいると、そういう人を仰ぎ見るが、別にどおって事ががない。自分のテリトリーの狭さがよく判る。
常に意識をメジャー(全国区)において置かないと、経営判断が鈍ってしまう。
トノサマガエルはマイナー世界を自覚できない人の喩えだ。
情報の宝庫だが、それを噛み砕き自分の知恵に変えなくては全く価値はない。
どうしても噛み砕けず頭でっかちになってしまう。それでここ3年は行ってないが。
・・・・・・・・・
2001年08月10日(金)
 [104] 自己不認識
いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。
ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。
その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。ブラックジョークである。
こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、得意満面で女性遍歴を話し出す。
女性にもてるとは、解りやすい事例でいうと、女性環境に恵まれないからスナックに行って、
ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる。それを表面だけ見ていた人が誤解すること?
知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。
男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。
ある往年の大女優が随想で「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」
と書いていた。女性の場合自覚するが?男の場合,気がつかないから恐い。まあ、どうでもよい話だが。