* 心理学が自虐 
(−P199) もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれるべきものがあるとすれば、
それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、
つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。 われわれの無意識はわれわれに信じたいように信じさせる
傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを得ないことか、
単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を
無邪気に信じ込むことが出来なくなる。 それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、受け入れ、引き受けることで
初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。
なぜなら、そうした「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法薬物療法がいくつも知られてしまったからである。
とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが
危険であるのと同様に、世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に唾しなければならない。
願望充足をたくらむわれわれの無意識が、そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独をごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがためなのだ。
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 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに
自分自身で気がついていないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識はわれわれに
信じたいように信じさせる傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、
信じざるを得ないことか、単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。」とは、恐ろしい自己洞察にも思われる。
その視点からみれば、ムシのよさを備えた世界観や欺瞞として、輪廻転生や、極楽浄土、宇宙人の存在、超能力等々を
斬って捨てるところが虚無だからこそ可能である。
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3032,青年と成年の境目
 2009年07月24日(金)
 青年と成年の境目とは何だろうか、何度か考えたことがあった。
「就職をし、結婚をして家庭を持って落ち着き先を見出した時」とは思っていた。
 開高健は以下の文章は、そのあたりを明快に書いている。
  ーまずは、その部分より
【「青春」という言葉があります。私なりに定義をすると、「自分の気に入った、自分の適した職業を見つけるまで、どんどん職業を
 変えていける条件と心のある時期」を「青春」というんじゃないか。 職業を選んでしまうと、それはもう青春ではなくて
「青」が「成」という字になる。職業を選んだときからアダルトになるじゃないですか。  (佐治敬三氏との対談より)】
 成るほど、その通りである。そうすると、私は34歳までは青年だったということだ。考えてみると、そうかもしれない。 
 青春は、理想を求め彷徨い漂っている時期をいうのである。それでは、中学校を卒業して就職し、一途に仕事をしてきた人には
 青年期は無かったというのか? その辺の判断は非常に難しいが、如何だろうか? そのファジーな部分からみると、人生に希望を
 持って具体的に行動をしている人が青年期というのだろう。 一生、足元を踏み固めずに、夢見るオノコがいるが、彼を万年青年とは
 いわない。万年青年という言葉には、深い教養の上で理想を追い求める人をいう。人にとって、その職業の占める位置は大きい。 
 連れ添いと同じぐらいといって良い。力=仕事、愛=家庭、知=教養とすると、青年期は、それぞれのカタチを模索し
 吸収している時期をいう。 見っともなく、ボロボロで、大きく変化をしている時、だから光輝いているのである。 
 成年期は、その光を失った時というと、そうでもない。仕事や、家庭つくりに全身をぶつけている違う輝きが出る時である。 
 そうこう考えると、就職と、結婚が大きな境目といってよい。 自立した時が成年にアップスケールした時である。
 心は何時も青年だが、身体は老年になっていく。諦念するしかないか! ところで、青年期も、成年期もない人がいる。ドッキ!
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2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。 
 とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主と割り切れば、
「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、
 まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、
 女を愛することもできないし、女にも愛されない」。
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風なことをいう者には東光は容赦ない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと死にゃあいいだろう。
 そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。オレたちは
 命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには
 何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 「そんなことわかるかい!」。
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これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。
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2007年07月24日(火)
 2303, また地震!どうなっている?まったく!? 7
 ー風評で観光地が壊滅状態ー
まだまだ、地震の話はつづく。2?3回のつもりだったが、いくらでもあるものである。
この地震原発の風評が、観光を直撃している。これから一ヶ月近くの稼ぎ時期の海水浴場と、温泉などの観光旅館である。
死活問題であろうが、他人事ではない。8月~10月は当方にとっても一年間の利益の殆どを稼ぐ時期である。
今年は政令都市になった勢いで、一割近くの売り上げアップを期待していたが、これでは大幅でないとしても、マイナスも覚悟を
しなくてはなるまい。この商売の宿命である。さっそく地元紙に取上げられていたのが、寺泊港の名物の海と魚の「アメ横」通り。
10軒以上の魚市場風の店が立ち並び、1千台?以上の駐車場は、平日でも車で溢れる。休日は観光バスが大挙して押し寄せてくる。
近くには小洒落たレストランや、海洋深海水をつかった風呂が売りの入浴施設「きんぱち」などが立ち並んで、若いカップルなどで
賑っている。去年も知人の元部下が経営をしているレストランに行って食事をしてきたが、なかなか主人には強気な雰囲気が
漂っていた。ところが、その日を境に寺泊はゴーストタウン化。駐車場には殆ど車が見当たらず、目も当てられない惨状という。
毎年7月20日前後に始まる臨海学校も軒並み中止。群馬から受け入れ予定だった小学生約5千人はキャンセルになったと報じていた。
まだ被災地の柏崎周辺は災害関係者の宿泊があって、差し引きゼロだろうが、寺泊や村上の瀬波温泉など風評だけで壊滅状態という。 
全く関係ない湯沢や、佐渡までさえもキャンセルが相次いでいるから、この観光シーズンを前に深刻な問題になっている。
さらに米など農水産まで影響する可能性もあるから深刻である。下手をすると、コシヒカリというだけで、新潟の酒というだけで、
敬遠される可能性がある。 恐ろしいことである! 
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2006年07月24日(月)
1938, 急増“働く貧困層
                    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
昨夜のNHKスペシャルがシビアな内容であった。(急増“働く貧困層"07/23(日) 後09:00 >> 後10:15 )
 ▽400万世帯が生活保護水準以下
 ▽リストラで年収200万・父親の涙
 ▽仕事に就けない若者都会を漂流 等が、骨組みとして構成されていた
NHKも日曜日のゴールデンタイムの21時に思い切った番組を組むものだが、これが現実であるからだ。
  ーまずはNHKのHPから紹介文をコピーしてみるー
いくら働いても豊かになれない「ワーキングプア」と呼ばれる低所得者層の実態をリポートする。
働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできないワーキングプア世帯は全世帯の約10分の1に当たる400万世帯とも、
それ以上ともいわれる。景気が回復に転じたとされる都会でも正社員は狭き門で3人に1人が非正規雇用で働いている。
子どもを抱える低所得世帯では食べるのに精いっぱいで、子どもの将来にも暗い影を落としている。
一方、地方では低収入が原因で税金を払えない人が急増している。基幹産業の農業は厳しい価格競争にさらされ、
離農する人が後を絶たず、集落の存続すら危ぶまれている。高齢者世帯には医療費や介護保険料の負担増が追い打ちをかけている。
憲法が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」さえ脅かされかねないワーキングプアの深刻な実態に迫り、
これから目指すべき社会の在り方を模索する。
ーー
現実の地方経済は信じられないような落ち込みなので、この番組は身近の現状の断面を鋭く切り取った内容として
受け止めることができた。 この番組の中での印象的なケースといえば
・30歳過ぎのホームレスが職を求めて彷徨う姿が生々しく深刻である。
 このままいって最後に食えなくなったとき、犯罪しか生きる道はなくなる?
・地方都市の寂れた商店街の洋服屋のお爺ちゃんの姿も現代の姿だ。 妻は痴呆症で入院、国民年金の大部分は
 その支払いで消えていく。 生活保護を受けるには、持ち家と預金が有ってはならない規定がある。
 それが人間としての尊厳の問題となって決断できないでいる。
・50歳のお父さん、中学生の少年二人を抱えて月に21~22万円で生活をしている。奥さんには先立たれ、数年前にはリストラされ、
 現在は3つのアルバイト先で働いている姿が映し出されていた。身近で、これに近い姿を多く見ているので他の世界の出来事ではない。
 商家で生まれ育って、幼児の頃から生々しい浮き沈みの世界を見てきたので 現実の問題として深く沈んだ時の恐ろしさには、
 さほど驚かないが・・・
今までは勝ち組?にスポットライトに当てられていたが、反対に、ワーキングプアの姿を通して現代を考えてみる必要がある!
倒産、離婚、生活苦、そして自殺のケース。もっと辛辣に時代を見つめた番組を作ってよい!普通の生活がしたいだけ!という言葉が重い
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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字      ー読書日記        
 ー30万苗字の調査から見えたことー
図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。知っていることといえば、佐藤などの藤は、
藤原氏の藤から頂いたこと位である。日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、その苗字の驚くべき由来などを紹介。
中国人の姓、約3500、韓国人の姓、約250。欧州では、全てあわせても30000というから、いかに日本が多いかわかる。
まず「鈴木」がもともとは熊野方言で、稲束の中心の一本棒であると述べている。江戸時代末期の人口が3000万人、そのうち苗字が
あったのが4パーの100万人。苗字の数は10000と推測されるから、明治以降から三十倍に増えたことになる。
この本によると、苗字の由来には様々なタイプがあるが、大体次の三つになる。
  1、地名型  2、職業・屋号型  3、官職型
1、苗字の8割が地名に由来するという。 たとえば、全国に無数ある田中、内田、中村・・といった地名。
 その地と何らかの関わりがあると考えられる。それが領主の血筋か、領民か、単に地名から名を貰ったかである。
 田中などの地名は全国に数千とあるから、それだけの源がある。 何代かを遡れば自分が何処の田中か解るだろう。 
 逆に、黛は埼玉県児玉郡上里町にしかない地名。 そこしかないから解りやすい。どこかに転じると、
 自分の出身の名前を残しておきたくなるのが人情。
2、職業・屋号型
 戦国時代が終わって、豊臣、徳川の時代になると、百姓町人は刀を取り上げられ、苗字を名乗ることが禁じられた。
 武士を特権化するため、差別的階級制度を構築したのである。 そこで何々の在の〇〇兵衛、で用が足りたかというと、
 それだけでは 無理であった。 特に江戸などの都市圏の町人は、名前も自分の商売と考えた。
 取引上、必要になった。たとえば、糸屋の九兵衛とか。 俵屋、枡屋、針屋、飴屋などなど。 元は蕎麦屋でも、
 職業を布屋になれば布を売っていても 「蕎麦屋」という屋号にしていた。明治時代になって、目出度く苗字を名乗ることを
 許された時に、屋をとって苗字にすることが多かった。 綿屋を綿矢とか、綿谷とかにした。
3、官職型
 官職型としては、
大蔵ー勘定方  監物ー出納係  工藤ー今でいう国土交通方
左近ー宮中を警護する左右に分かれていた役所の官史
太宰ー九州統監の役人 などなどある。
 
その他にも、信仰由来のもの(神、釈、三輪)   芸名型(幸若、善阿弥陀世阿弥
名前型(太郎、源内、為貞、源五郎)       外来型(高麗、百済、秦) などがある。   ー つづく
 ーーー 
光文新書 丹羽基二著
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2004年07月24日(土)
 1208, 自殺 3万4427人
昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7?も増加して3万4427人と報じていた。
 ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45?、経済苦が25? 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70?、女子が30?
鬱病が30?70?。 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万?2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ
20万都市で一週間に一人が、日本全体では、毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。
大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に
駆られるという。何か解るような気しないでもないが。「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。 しかし自殺をしようとする人の大部分が「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。
歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を過ごしていたら、自分でも死にたくなる。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人の立場からみれば、その苦しみから解放される唯一の方法
かもしれない。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人アルベルトとの自殺の議論があった。
ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。
自殺は、けっしてバカな人間や卑怯者するのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない時に
仕方なくとるものと主張した。一方、アルベルトは、自殺に対して徹底的に反感を持つ。彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない
弱さから引き起こされる」と考えていた。この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が悲劇のもとに
なることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。
死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。しかし、生きることも、生きるだけの理由もある。自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない!いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。 地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!
・・・・・・・・・
2003年07月24日(木)
 841, 初めての経験ーユースブック
 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30?オフで出ていた。早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から
本が送られてきた。大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」
と考えも及ばない事をいう。恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが? そのシステムは革命的だ。
 アマゾンのweb書店に入ると「買った本を売りに出しませんかと?」、過去に買った本の一覧が出てきて、その売値まで書いてある。
汚さないように読み、手数料を払って売ればよいのだ。合理的そのものだ。これでは益々本が売れなくなるだろう。
本以外では楽天市場があるが、そこで買ったことはまだない。消費者の立場で有利なシステムなら、早くやった方がよい。
今度アマゾンは、本だけでなく他の商品の販売を本格的に始めてきた。本の半分近くは、週2回以上書店に行くにかかわらず、
web書店で買っている。恐らく今度はユースブックを買う頻度が多くなるだろう。 面白い時代である。
数年後にはTVにインターネットが組み込まれて、気楽にweb上で買い物をする時代になる。
・・・・・・・・・
2002年07月24日(水)
 466,内山由蔵さんからの葉書
W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、だいぶ勉強しました。ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも
市議の中では云々されています。日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして新潟の万代島の再開発のホテルをやるとか
云っていますが、永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになった
ユニクロ、一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。ユニクロも元の元気はありませんね。大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、
キッドも閉まったまま。どうするか考えはありませんか?市民センターは一日600人の入場があるとか。
お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。私は元気でいます。
ー葉書の日付は7月20日ー2002年
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2001年07月24日(火)

先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルとトンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。 100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。赤いドレスの女が踊っている。
写真を撮ろうか、それとも見ることに集中しようか迷ったが両方にすることにした。
まさしく水の精が踊っているようであった。 一生に残る感動的場面であった。明日写真アルバムの載せます