「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。
まったく“新しい経済”が始まる」と著者。 製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、
日本に不可欠な経済政策等を提言する。
 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を
起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 
米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 
それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。
戦後からアメリカを追い続けたのが日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から
「ネットワーク型資本主義」へ変える役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。
モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。
環境問題と農林水産業が、オバマグリーン・ニューディールもあり注目される。世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、
ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへパラダイムシフトしていくことになる。 
ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。
その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 
必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、
道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。
この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。
その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや
ユーストリームである。 情報過多が人間のあり方を変えていく世紀が21Cである。
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2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
  写真集『スナック』 山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。
スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、
いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した
写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。 
さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の上半身のカラー写真が味がある。
スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を
撮っておけば良かったと、この写真集をみて後悔している。 ほぼ全てが忘却の彼方。
 この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、気取りがないところが良い。
何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと品定めをして、
愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!                         
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2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
 2008年06月13日(金)
第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
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真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。
これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローン
住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRB金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、
アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。
そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。 その中で日本の生きる道は技術大国として、その特徴を活かすしかない。
NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを発足させ維持に懸命。
しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。
中国はバブル崩壊、ロシアは資源価格下落で弱体するだろう。株価乱高下がバブル崩壊、大暴落のシグナル。
それは歴史は常にくり返すということで、過去のケースを見ればわかるだろう。
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 一年前としては、なかなか鋭い内容になる。この文脈からみると、現在の原油穀物の暴騰=バブルも、
この数年で弾けることになる。大小にかかわらず、その金融大動乱の中生き抜くことが最優先しなければならない時代。
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   ー目次ー       2007年6月5日発行
  第一章 世界同時株安は、世界的バブルの終わりの始まり
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)
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2007年06月13日(水)
2262, 「正しいスーツの定義」
                   (゚∇^*)オハヨ♪
図書館で借りてきた本の中に、もう亡くなったファッション・プロデューサーの石津謙介がビジネスの場の「正しいスーツ」
の定義をしていた。今さらスーツの定義ではなかろうが、ビジネスのベースとして知っていていいだろ。
クールビズも、それを猛暑の1?2月間は崩そうではないか!という面ではよいが、あくまでもフォーマルではない。
あの政治家の場違い!を見れば解る。といって、この定義はビジネスのベースで、TPOSで変えてもよい。
  ーー
 *石津の定義の部分を抜粋すると、
ービジネスの場の「正しいスーツ」の定義たったひとつ。
目立ってはいけない。これです。ビジネスの服装に、個性は不要です。
不要というより、あってはいけない。個性は服にではなく、その人の仕事にこそ表されるべきです。
スーツの色は濃厚か、中間色以上の濃いグレー。ようするにドブネズミ。オフィスでは緑や茶系は通用しません。
デザインは伝統的なイギリス調か、落着いた都会的なアメリカ風。
前ボタンは2~3つ。長すぎない袖で、シャツがのぞくように。ネクタイは4本しかいりません。
2?3色の細めに斜めに入ったもの、いわゆるレジタル・ストライブ。 
無地のニットタイ。ちょっとしたパーティにも通用する細かい小紋柄。あとは、余裕があれば色を少しそろえる。
ソックスは意外と目立つものですよ。できれば無地。柄なら伝統のもの。
色はスーツに合わせる。ベルト。穴は3?5個つと決まってます。キラキラの大きなものは関心しません。
濃紺やネズミのスーツに似合うのは、黒い靴です。底はゴム製が最上。革底など意味ないですよ。
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私が学生時代にアイビー・ルックを流行らせた人がいう言葉だから重みがあるし、
丸の内でのサラリーマンの背広は濃紺、黒で、上記の姿である。
現在では当たり前だが。ビジネスには相手に意識させない服装を!ということ。
クールビズで半袖もいいが、基本はやはり背広である。
  *他のファッション関係の本には、
「スーツの基本は濃紺無地。生地はサージ。非常に良質なものは、着たときに品がよくなるもの。
いいものを少なくてもよいから大事に着るのが基本。ワイシャツは実用的な木綿。中でもアイリッシュ綿がいい。
色は白がいいが、他の色に対する臆病さが表れているようで、もうひとつ冴えない。
紺のスーツには青系の、茶のジャケットにはベージュといった濃淡を合わせるといい。
ネクタイは、服と同色系、服と反対色、この段階を通り過ぎて、勝手な組み合わせができるようになった時、
意外と着こなしも身についている。
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「カジュアルの基本は濃紺のブレザーと、濃紺かグレーのズボン」と、ファッション関係の本で読んだことがある。
厚めより、四季に着れるもので、少し値段の張った良いものをベースに。
シャツやポロを季節に合わせて変えるといいようだ。服装は、第二の皮膚というくらい大事なものである。
特に歳を重ねれば重ねるほど、気をつけなければなるまい。     ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
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2006年06月13日(火)
1897, 治安悪化
              おはよ?!(*^ワ^*)i
先日、スナックで飲んでいたら一見客の入店を断っていた。最近、周辺のスナックで泥棒が頻繁に入るという。
その前に必ず新規の客として下見に来るので、一見客に、どの店も神経を尖らせているという。
長岡地震後にヨソモノが多くなり、比例して泥棒が増えているという。
よく行く居酒屋も一年ほど前に入られたが、金銭は置かないので被害は無かったとのこと。
  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
(字数の関係でカット2008年06月13日)
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2005年06月13日(月)
 1532, 「おばさん」の定義
図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。
「オバサン」の私のイメージでいうと、以下の通りである。
  1.傲慢で緊張感が全くない         2.自己中心的かつ利己的で
  3.他人の噂話が日々の潤いになっている   4.他人の行動が気になり節介をやきたがり
  5.服装が世帯じみていて、アンバランス   6.知性が全く感じられない
「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」と言われると返す言葉もないが。
しかし「何がオジサン・オバサンか」は、自覚をしておかなくてはならない。
その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、アンバランスになってしまう。
その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、
放漫のため 気がまわらなくなるのだ。まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、年齢だからと諦めては駄目!」ということを
聞いたことがある。諦めたと同時にオバサンに転落するのだ。心のクローゼットも整理をしなくてはならないが。
 姉をみていても、オバサン化をしているかどうかは五分五分である。
常に何かを求めて、世界に自分を晒している環境にいるかどうで左右する。
新幹線にオバサンのグループが入ってくると、異物がチン入してきた雰囲気になる。
新幹線の車内は社会の集約された場である。そこに全く緊張感のない変な集団が入ってくると・・・?
ゾロリゾロリ軍団という弛緩の塊が異様に目立つのだ! 懐かしのメロディーで、昔のアイドル歌手が出てくるが、
その外形の変容や、「普通のオバサン以下になっている弛緩の姿」を見ると、悲しく哀れになる。
一番大事な時期に基礎教養を蓄積しなかった無残な姿が、そのまま露出している。
中尾ミエなどの三人トリオや、天地真理などが典型である。今日も、スーパーの近くで「凄いオバサン」を見た。
ブラジャーなしで、アパパーを着て、頭はボウボウで、だいたい想像がつきそう?
「エ~、何処かのカアチャンの家の中の姿?」そこまで、言うな!家の中は弛緩の場だから?
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2004年06月13日(日)
 1167, 哲学についてー3
 哲学の歴史については、いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると
 ・紀元前6〜4世紀にギリシャに始まる、それもソクラテス以前と、以後の分けることができる
  ソクラテス以前は最初に登場した特徴は
 ・宗教や権威や伝統とは関係ない、論理で現実や世界を理解しようとした。これは、それまでとは全く違った画期的なもの。
 ・他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。
  そして、「宇宙とは何からできているのか」「何が大地をまっすぐにささえているのか」「万物は何からできているのか」
  という根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。
  またヘラクレイトスが「万物は流転する」という有名な言葉をのこしている。この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で
  「ピュタゴラスの定理」で、数学の  幾何学的概念を考え出した。「平方」や「立法」である。  
  ソクラテス以後は、まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。
  彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」「敬虔とは何か」 とくに「正義と何か」を問いかけたとき、いろいろな人間や
  判断や法律などの 取り決めに対して、その何らかの真実を探り出そうとした。彼はすべてを疑えと人びとに教え、
  権力や権威あるという人びとの無知を 徹底的に暴いていった。彼がここまで哲学の代名詞のようにいわれるのは
  基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。ソクラテスは誠実であることこそ、何よりも大切であるとして、
  神や法に対する義務より自分自身への義務こそ最も優先にすべしと説いた。そしてプラトンアリストテレスへと現在への
  西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。
 ・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。 これは、キリスト教会の影響が大である。
  キリスト教と矛盾するものは、排除すべきものとして、徹底的に吟味された。あくまでも哲学としては、
  キリスト教との結合の範疇でしかなかった。トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。
  そして、中世になってやっと近代科学がはじまったのである。         つづく
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2003年06月13日(金)
800,「ありがとう」の言葉〜3
「幸せの宇宙構造」ー七つの言葉「祝福神」ーより
自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。
そのために私たちが発すべき言葉は・うれしい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ついてる、
の七つ(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。
そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になるということになります。
人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。 私の周囲の環境や、自分が立たされた状況は
すべて自分の発した言葉によって形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、
愛している、大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまう。
私の周りの多くの人がそうなってしまいました。  私には最近、次のようなメッセージが届いています。
七つの「祝福神」を年間、五千回唱える人はその言葉を再び言いたくなるような現象が来年、五千回降ってくる。
逆に嫌だ、嫌だ、疲れたという否定的な恨み言葉を五千回発すると、その言葉を言いたくなるような現象が、
来年五千回降ってくると。 五万回発すれば五万回、十万回発すれば十万回降ってくるというという意味です。
私は自分や仲間たちの身の回りに起こる現象を知れば知るほど、このメッセージが正しいと納得せざるを得ません。
 損得勘定で七つの「祝福神」を繰り返し口にしてきました。
でもいつのまにか夕焼けを見ては「きれいだなあ、楽しいな」と感動し、お茶一杯飲むのでも「ああ、幸せだ。ありがたい」
と心から喜べるようになっていることに気づきました。口先だけだったありがとうを何万回、何十万回と繰返すうちに、
身の回りのありとあらゆることが本当にありがたいと思えるようになりました。
損得勘定でやってきたら、最後には一つひとつのありがとうの言葉に真心がこもるようになりました。
そして、いま本当に幸せを実感しています。 宇宙に対してありがとうの言葉を投げかけていると、
誰が一番豊かになり得をするのか。それは自分です。このことに改めて思いをめぐらしていただきたい。
宇宙の方程式はシンプルですが、やればやるほどその深さに驚くことでしょう。
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ー感想文ー
当たり前のことだが、その当たり前のことがこういう時代になればこそ、失われそうになる。
戦場の真っ只中でこうは言ってられないのも事実だ。大不況の中で、どうしても暗い風潮に流されやすいからこそ、
言葉ー心のコントロールが必要である。その意味で一番大事な言葉『ありがとう』を含めた七福神の言葉をセットして
おくことは重要である。20年近く前に般若心教を憶えて数万回唱えてきた。その効果は絶大あった。
二人の子供と会社の正社員全員も含めて三桁近い人がこのお経を暗記してくれた事が最大の成果であった。
「ありがとう」を数万回数十万回いうことはそれに匹敵すると直感をした。特に良いのは細切れ時間をつかえることだ。
もし若い人がこれを実行したら、人間的な暖かさがプラスされ若さの輝きを更に増すだろう。
この小林正観氏の本を、この本を含めて他の著書と供に3冊注文をした。
web上の書店にはなく、直接出版社に電話で宅配にしてもらった。他の二冊も面白かったら読書日記として書くつもりだが、
初回だから面白かったのかもしれない。いずれにしてもシンプルで解りやすい習慣だ。
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2002年06月13日(木)
 436,凄い時代ー光ファイバーの時代
ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。
光ファイバーが各家庭やオフィスに入るという。会社の方の切り替えも考えて早速NTTにきてもらって話を聞いた。
契約後、導入に3ヶ月位かかるが9月より新潟でも可能という。 そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに
直接メールやチャットが映像でやり取り出来るようになる。あるペットの好きな人が、映像でチャットで話している。
そこの席が空いていればそこに入り,お互いの顔を見ながら話ができる。驚きである。またホームページ内で映像も編集しておけば、
いつでもそれをみる事ができる。今まではスイスの写真を見る事ができたが、今度は映像をみる事ができる。
メールも映像を送れるしTV電話もできる。ホームページも個人サテライトスタジオになってしまう。
3~4年前では考えられない現象がいまや現実になろうとしている。携帯TV電話の時代に、これなど当たり前の事かもしれない。
インターネットとホームページに集中しているが、それを超えた?時代の変化がきている。
光ファイバーの家庭への導入は3年先と考えていたのが、あと数ヶ月と現実になってきている。
出張が減るのは間違いないだろう。1000倍~2000倍の大量の情報量が安価になりTV会議や営業活動も
一般的になる。面白い反面、ナンバーワンしか生存できない競争社会の到来だ。
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2001年06月13日(水)
 [51] 無駄な事なし
人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。もっともある程度燃焼してきたから、
言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。 
ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと、姉より死後聞いて
立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。