一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に男5人、女1人、合計6名の従業員。 
首都圏など人口密度の高い好立地なら別に不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さである。 
ガラス向うに見える厨房が異常に大きい。 やき鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯に、酒一本で、
二人で4000円なら安い。 土曜の17時半にしては客が少ないのに、隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。
そこでHPをみたところ30店舗ほどのチェーン店。一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードや惣菜販売コーナーに、
焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っているのである。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、店名は「とりせい」で違ってはいたが、同じ系列。
思ったとおりであった。 100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねているのである。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。
厨房が店のわりに大きい理由は、そこにあったのである。
 その隣にある「朝日山」に先々週に入ったが、ここは以前からある店が移転開店をした店。10年以上は行ってはなかったが、
酒造メーカーの朝日山の直営店で、直送のため酒そのものが美味しいのを売りにしている良い店である。
こういう時代には、何か仕掛けがないと経営は難しい時代である。そういえば、新潟駅に隣接している再開発のビルに
1Fで蕎麦屋、2Fでスナックを経営している人がいるが、これは関係ないか? 2Fは居抜きの店だから何とかやれるのだろうが。

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2009年05月31日(日)
ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが
検証する番組である。1993年、2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度を
増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。ここで再放送されていた4回分全てを
過って見ていたが、改めて時系列に連続して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化してきた。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター・派遣など、
必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が幅を利かせる時代になっている。
一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、
非正規社員など、弱い立場の人から次々と職を失っていくのが現実である。
何が、これほどまでに雇用環境を悪化させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた
人々の姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用のあり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝さん(慶応大学教授)/司会:桜井洋子アナウンサー&林家三平
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた中高年世代を早期退職という名の
 合理化が襲った。 定年まで勤め上げることを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。
 その戸惑いを通して、私たちの働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
■NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」  2006年放送
 働いても働いても生活保護の水準以下の収入しか得られない「ワーキングプア」。
 都会には定職に就けない若者があふれ、地方では税金が払えないほどに困窮する自営業者が急増している。
 彼らの悲痛な叫びを通して、行き詰った社会のあり方を考える。
■NHKスペシャル「リストラの果てに 日雇いに流れ込む人々」  2009年放送
 リストラされた中高年、派遣切りされた非正規社員が今、日雇い派遣の仕事に殺到している。
 しかし、違法な派遣業者が横行し、2010年4月から日雇い派遣は原則禁止となる見込み。
 最後の受け皿を失った労働者たちは、どこへ向かうのか・・・。
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 以上だが、それぞれに色いろ事情があるが、一度、坂を転げ落ちると、浮かび上がるのに、大きな壁が
出来てしまうのが現実である。 身近に色いろの破綻を見てきたが、何時、自分に降りかかってくる可能性がある。
最悪のケースでも何とかなる準備はしてあるとしても、今は世界恐慌の序曲である。 どうなることやら?
失業率が5%を超えたと騒いでいるが、10%、15%となる可能性がある。 現在の失業者が大よそ350万人。
一時給付金でワークシェアリングをしている人、250万人というから、実質8%ということになる。
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2008年05月31日(土)
 2614, 東京湾 漂流死体は語る ?1
図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。
深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、
家庭の事情を知ることとなる。横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると不幸な生き様が垣間見えてくるという。
読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。
ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から
叫びとして突き刺さってくる。死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。
これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。
この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。
アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。
死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。
だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 
 ーー
 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、
横浜港……。 経済大国ニッポンの大動脈を担ってさ様ざまな船が往来する東京湾
……この現代社会の縮図ともいえる東京湾をはじめ、太平洋の荒波が打ち寄せる房総東岸など、
関東近隣の海を舞台に繰り広げられる犯罪の捜査、取締まりの最前線で私は働いてきた。
そして、この手で揚収した漂流死体も数え切れないほどである。
海上での「漂流死体情報」に接するや、私はなりふり構わず巡視艇や監視取締艇で飛び出していく。
死体との出会いは一刻でも早い方がいい。風や潮流で流され、それだけ発見揚収が難しくなるからだ。
現場に直行し、死体を発見揚収し、合掌ののち、他殺か自殺か、あるいは事件死なのかといった、
いわゆる事件がらみの死体かどうかをはっきりさせるため捜査活動を展開する。
 死因、死亡時期などを明らかにするため検視を行い、解剖に立会い、また、これらと並行して死体の人相、特徴、
着衣、所持金など手掛かりとなるものを頼りに身元を突き止め、さらに死者の肉親、友人などから事情聴取をすすめ、
「なぜ漂流死体となったのか」を徹底的に調べていく。 それは「死者の生前の旅」を辿っていくことに等しい。
その結果、我々は死者が決して触れて欲しくなかったであろう生前の隠しておきたい部分までほじくり返すことにもなる。
そして、その過程で出会うさまざまな人間模様・・・ これらの漂流死体は、ある意味で現代を生きる私たちの
もう一つの姿でもあるような気がしてならない。
 「死」という壮絶な経験をした死体が語る人間の在り方は、虚飾がないだけに、いずれもその迫力には圧倒され、
かつ、真に迫ってくる。 不思議なもので、自分自身が直接、揚収した死体のことなどは、それが10年、
20年前のことであっても、つい『昨日の』とのように、鮮明に蘇ってくる。
私は死体と接するとき、そのたびに「相手は死体でも人間だ。血の通った私たちと同じ人間なんだ」……と考え、
常に温かい気持ちで接するように心がけてきた。 そんな気持ちで接していると、死体がひとりでに
何か語りかけてくるような気がするし、時にはしきりに何か訴えているようにも感じることがある。
生と死を超えたところで見せる人間の壮絶さとでもいうのだろうか。
 死体と対面するたびに、つい私は「生きるとは」…「人間とは」…:と考えさせられてしまう。
自殺であれ、事件がらみであれ、冷たい海の中から揚収し、死に至る経緯を調べ上げ、供養し成仏させるのも
我々海上保安官の重要な仕事の一つであると私は思っている。
また、これまでの経験から、漂流死体はそれだけでは決して死んでいるのではなく、発見され、揚収され、
その死因を明確にされるまでは生き続けているのではないかとも思う。
                         つづく
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2007年05月31日(木)
2249, 耐震偽装 ?5
                 (o゚▽゚)o オハョ?
以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、
社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。
しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。
検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。
ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。
私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。
もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? 
という疑問がわく!しかし・・・・・??}
??の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に象徴的に出ている。 
政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く!
P-408
そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。
手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。
僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。
田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。
「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、
アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。
(以下字数の関係で中間カット09年05月31日)
ーーー
信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。
この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。それよりネットで飛び交っているから
何時どこで発火するかだ。 恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。
建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、買い控えが始まっているというが・・
私は元々アンチ・マンション派だが。                  つづく
                           ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
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2006年05月31日(水)
 1884, 家電の買い替え期間   (。・∀・)ノ゙オハヨウ!
家電の買い替え期間は、大体どのくらいのものだろうか?と思っていたら、先日の日経新聞の中にあった。
・冷蔵庫    10年      ・洗濯機    9年
・掃除機    7年
・エヤコン   10年      ・カラーtv    9年
・ビデオカメラ 6年半      ・DVDプレーヤ 4年半
デジタルカメラ 3年      ・パソコン   4年半
・携帯電話   2年半
  以上であるが、我家の実体は大よそだが、
・冷蔵庫は  20年近く    ・洗濯機は  15年
・掃除機   10年      ・エヤコン  10年と25年
・カラーtvは 7~8年     ・DVDは  5年
・パソコンは 3年      ・携帯電話  3年
・電気釜   10年
家電には当たり外れがある。使い方にもよるだろうが、同じラインの中でタマタマ工程の中で
偶然仕上がりが良いものと、悪いものが出る。 これは致し方ないものだが。
私の経験からみると、TVに関することだがソニーはよい。シロモノは松下電器は外れが少ない。  ヾ(^ω^*) バイ                  
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2005年05月31日(火)
 1519, 知らないことを知らない恐ろしさ!
一昨日の日曜日のNHKスペシャ
「日本の群像・再起への20年 銀行マン苦闘」が刺激的であり、怒りを感じざるを得なかった。
ユダヤ資本に翻弄されている現在の日本経済を焙り出した内容であった。
その象徴として勝者のゴールドマン・サックス会長と、敗者の元長銀会長の姿を対比させ、映し出していた。
「1985年の日本のプラザ合意は、ユダヤ資本のアメリカの銀行が仕組んだもの」と、平然と嘯いていたのには
怒り心頭になった。アメリカが日本に国内消費の拡大を求め、バブルのキッカケをつくったのだ。
そして、「アメリカ国内不動産の高値掴みを誘導した」と、平然と話していた。
そして、現在は逆に「日本の落ちきった不動産を買いまくっている」と。ゴールドマン・サックスのトップの言葉が凄い。
「知らないという事を知らないで、バブルでアメリカの不動産を買いまくっていた日本人ビジネスマンの姿が・・」
その戦略的経済戦争に負けたのが、現在の日本経済の姿である。
現在の日本では、順調に業績を伸ばしている外資金融機関に日本の学生が殺到している。
その反面、不良債権の処理に苦しみながら、再起をめざしている日本の銀行の姿がある。
が、両国の銀行にどんな違いがあったのか?が、辛らつなカタチで映し出されていた。
特に敗者の象徴の日本長期信用銀行の元会長が現在も、その時の貸し出しに対する裁判の係争中であるのが印象的であった。
「知らないことを知らないことの恐ろしさ」の結果が、現在の日本であろう。 他人事でないのが、恐ろしいが。
ソクラテスの「私は多くの知っているのではない。何も知らないというということを知っているだけだ」が、身に沁みる。
・・・・・・・・・
2004年05月31日(月)
 1154, つれづれなるままに
・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。
今までは千回まではと踏ん張ってきた。毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。
それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。
・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)のファミリーレストランに急遽いった。
隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」のどちらかと思いながら、店の前までいった。 
サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。
サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。
メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。まあ、他人事でないか。仕方なく江戸沢に入ったが、
出てきて何か損をしたような気分であった。・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二?三回目である。
そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。
梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?・昨日は異常なほど暑い一日であった。 
今朝もどんよりしている。晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。 天候も人生みたいなものだ。
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2003年05月31日(土)
 787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて
今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。電話が二本入ってきた。
 NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、お笑いの部分もあった。
今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。アッパークラスの5?の人種は例外である。
専門店ー冠婚葬祭の式場か手軽にレストランでする時代だ。 それをオオクラホテルで村上牛を特別注文をしての
特別企画をとかいう時代ではなくなっている。また長期滞在型ホテルが展望風呂をいれて拡張をしているが、
だからといって周辺のホテルと同じ稼働率でしかないーリネン業者の情報だから間違いがない。魚がいなくなっているだけ。
国内のビジネス客がこの2~3年で、3分の1になったのだ。3割減ったのではないのだ。
更に他の業界ーマンション業界とか、メンテ業界などが参入してきて、競争激化になっているだけだ。
企業が事務所を合理化の為に廃止したり、新潟・長野・群馬を高崎に統合したり、二時間までは宿泊原則禁止とかして、
日帰り圏になったりしている。事務所代わりに月曜日から金曜日にホテルに宿泊をして、営業をするようになった。
  また長期滞在マンションをも滞在型ホテルがターゲットにしている。敵はホテルではなくて、貸しビルやマンションなのだ。
いま起きていることは、垣根を越えた競争の時代になっている。昨夜のTVに出ていた立教大学の岡本教授といえば、
観光科を創設した人だったが?そこまでは解っていないレベルでしかないのだ!その背後にあるものは情報革命ーIT化が進み、
合理化が可能になった為である。ビジネス客が3分の1ということは、ホテル業そのものの壊滅状態といってよい。
その中で生きていかなくてはならいのが、実情である。朱鷺メッセが8000室の予約が入っているとか、結婚式が年内満杯とか、
開業の年だけは、ブームに乗っているのかもしれないが、どう見てもおかしい!2~3年後に必ず、この馬脚があらわれる。 
誰がタクシーを使ってあそこまでいって宿泊するのだろうか!一日5人か10人ならいるかもしれないが。長岡のGホテルは、
その程度しか宿泊はないとか。それも駅から歩いて3分の好立地であるのに。他人事ではないのが深刻だが何とか切り抜けそうだが? 
津波が日本・世界にきているのは事実である。その先端の大波がこの業界に来たということだ。
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2002年05月31日(金)
 423, 酒の話?1
学生時代も、勤めていた時代も、どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。
地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。特に勤めてからのそれぞれの地方の酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。なんともいえない味がそれぞれの店にあった。歴史の深みであろうか。転勤商売も苦しいだけ、
そういう楽しみもある。苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。新潟では20年前から5年位前までの酒が、
特に美味しい思い出が多くある。大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。
それと数年前に亡くなったが「新潟駅前の花園の町内会長をしていた不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。数十回も。自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びである。
亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験し