ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。
《 おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、今加筆しております。書きかけのメール完成させて、送信します。
 ツイッターのことですが、私、どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。と言うのは、
 ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無いように感じております。つまらないのです。
 貴方みたいな、「ツイ友?」でも出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている者はいません。
 良い方法があれば教えて下さい。》  以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 
 ―私も何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。
・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに見ていると面白くなっている。
・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローからネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。。
・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。 面白くなるまで、粘るしかない。(絶対の面白いから)
  ー以下は知人へのメールの返事。
 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。 実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽に
フォロー先の人に話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に「美味しそうですね」とか、
発信すると返事が返ってきます。 もっとも、この二人と貴方だけですが。
以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの文を随想日記に去年8月に書きましたが、
その人もツイッターを開始しました。 私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに
仙台の同年代といえば、彼ではないかと思っています。 しかし、ツイッター上で話していません。
照れくさいのか?どうか、40年前の知人の呟きを見ているだけで、面白いもの。 (しかし私の思い込みで、違う人かも?)
さきほどの obentouでフォローしている人の弁当を毎日見ているだけで面白いのです。その人のフォローされている中は
世界中の人が、このキーワードで反応して obentou の写真を投稿しています。それと「たけし」や、「黒柳徹子」「加藤登紀子
梨本勝」など、違った世界の人の呟きや日常は、思わず引き込まれます。 これが面白くない訳がありません。
 自分の呟いた後に、 #長岡 と入れれば、直ぐに長岡の人が反応してきます。私は数回で、何人から反応があったので、
逆に止めました。 自分の壁でしょうが。 とにかく、一日一回書き込みを入れて、#設計事務所 でも、 #藤の花 でも、
#竹の箸づくりでも、入れてみれば、思わない反応が出ると思われます。 これはブログやメール、そして携帯電話以上?に
社会に与えるインパクトは大きくなります。これからはモバイル携帯電話や、iPadのような電子端末が爆発的に普及します。
それらに最適なネットシステムになります。 先日、ブログ専用のビデオカメラを買いましたが、タダ驚きです。
コンセプトが、これまでのビデオカメラが「晴れの舞台を記録する」ものから、ツイッターや、ブログの登録する前提の
コンセプトでつくられているので、非常に使うほうからみたらありがたいものです。
・書くことより、まずはフォローを増やして、多種の呟きやブログを楽しむことが第一
・おはようの一言でも、フォローしている方からすると、息ぶきが感じられるもの。 書かないわけには見れないですから。
・twitpicと検索を入れると、写真専門のツイッターが出てきますから、そこにはリアルタイムの世界中の写真が出ています。
 メキシコだったり豪州だったり、それを見ているだけでも価値があります。 面白いものを感じないのは、自分の厚い壁か、
 時間をとってないからです。   ーまあ、半分は自分に向けて書いている内容?・・・でも、これは間違いなく面白い!


2010/01/06
3198, 句読点とは妖精のようなもの! ー2

* 検索で「句読点の打ち方」と入れたら、次のようなものが出てきた。

・文の息の切れ目に読点を打つ
・対等に語句を並べる場合に打つ
・難読、誤読を避けるため使う
・文の構造を分かりやすくするために打つ
・節と節の間に打つ(彼も喜び、私も喜んだ)
・前置きの節や語句を区切る(その夜、あなたはいなかった)
・挿入された節や語句を区切る(私はそんなことは、前にも言ったように、していない)
・主語を明確にするために打つ(私は、彼はそんなことはしていないと思う)
・修飾する語とされる語の関係を明確にするために打つ
・読点と他の符号との連続はなるべく避ける
・会話の場合は「 」の外側に句点を打たない
・会話以外の場合で、「 」や( )などで文が終わるときは句点を打つ
・「 」や( )などのなかに入る最後の文については句点を打たない
・「――」や「……」で終わる文には句点を打つ
・箇条書きには句点を打たない
 ー以上だが、本を読み込み、自分の文章を書き続れば自然と身につくものだが、
 上記は、ほぼ実行している。(会話の場合は、どうだったか?)
 上記の句読点の打ち方を見る限り「妖精のようなもの」には、疑問だが。
 チャンとしたルールがあり、別に神秘的ではないし、神のシモベには思えない。
 文の息使いは、それぞれあるから、上記のことを守っていれば、あまり意識をすることはない。