* 今年の読書の総括をしてみる。?
・まずは、川口慧恵の「チベット旅行記」である。知人に紹介されてさっそく読んだが、期待通りに面白い。
 明治期に僧・河口慧恵がインドからヒマラヤを大した装備無しに越え、身元が知れれば死刑になるチベットのラサに潜入し、
 帰還するまでの旅行記である。 信じられないような苦難の中、信心が、それをなさしめたのである。
 宗教とは、信心とは何かを、その体験を通して教えてくれる。 明治期に一人の僧の眼を通して当時のチベットの社会を
 目の当たりしているように感じられ、当時の世界に引きこまれてしまった。これまで読んだ本の中でも印象に残る一冊。
・次に、内田和成著「仮説思考」が考えさせられた。 仮説思考力とは、情報収集の途中や分析作業
 以前にもつ「仮の答え」のことである。経験を積まないうちから、早い段階から結論を出して考える
 訓練をしておくと、失敗も多いが学ぶことも多い。 そのプロセスで、仮説思考は進歩する。
 実際には、それしかないが、実際に「仮説思考」と、目の前に突きつけられと、躊躇する。
・そして、共同幻想から、岸田秀の「唯幻論」を知り、また、茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでみた。
 茂木は、「サンタクロース」は存在するかという、子供の切実な問いを、真正面に捉えて、
 「生きること、仮想すること」の根本的な意味を論じている。 我われは、過去を振るかえると、
 現象は夢・幻ということが、おぼろげながら分かるが、実際の生活の中では、その実感は持てないもの。
 その論は、ゾロアスター教の経典にあったという。 般若心教の空即是色の論も似ているが。
                                        ーつづく
 ・・・・・・・・・
2825, 年末、つれづれに
2008年12月29日(月)

この数ヶ月前から、長岡の駅裏のバス停車場前のベンチにいるホームレスの男三人。
雪の中でも、しっかりといる。 気の毒だが、酒を飲んで騒いだり、街頭のアルバイト学生を追い掛け回したりするのを
目撃するにつけ、同情する気が起きない。家内は数回も声を掛けられたという。 私も先日の通勤帰りに初めて声を
掛けられたが、身につまされる思いである。事業を何度か立ち上げるたびに、失敗を想定した時に、底知れぬ恐怖に落ちる。
事例は周辺で過去に多く見てきたから、その凄惨さを知り尽くしている。経済変動のたびに、もしかしたら倒産するのではと! 
そして後は、そのときになったら対処するしかないと!と、夜も眠れないことが度々であった。 
しかし、何時の間にか厚生年金を満額貰える年齢に達した。家内も40年近く厚生年金に入っているので、あと一年少しで
貰える年齢になる。これで最悪でも普通の生活は確保される、それでも大恐慌は何が起こるか分からない。
むしろ心配で夜も寝れない方が張りがあって、生きがいになってきた、というのは振り返った時にいえること。
来年は解雇された派遣が全国的にホームレスになって溢れるという。また名古屋では、派遣で働いていたブラジル人の
帰国ラッシュがニュースの話題になっていた。帰国しても不景気で仕事がないが、帰るしかないという。 
来年は失業者問題と、倒産が社会問題になる。危ない領域に入った。 毎日が倒産や失業者で、凄惨な日々が続く。 
そして、過去のケースからみると10年以内に三次世界大戦が始る可能性がある。
少なくとも今年の数倍の混乱の事態とは、どんなものか? 今年も、あと2日になったが、歴史的残るような事件が
次から次へと続いた。中国・深川の大地震、中国の暴動、北京オリンピックミャンマーのサイクロン、
アメリカの黒人大統領の当選、そして、金融大恐慌である。前にも書いたが、今年は本に例えるなら「目次」と、
「前書き」部分のなる年である。来年は、「序文」に当たる年である。恐ろしい序文にならなければと、祈るだけである。 
しかし・・・  そういえば、今年は葬式が身近に一度も無かった。 それと結婚式もである。
 
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2007年12月29日(土)
2460, 2007年度の総括
             。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
 今年も、あと二日になった。 一年の早く過ぎること!それでも、振り返ってみると色いろなことがあった。
・身近では、柏崎沖地震である。親戚や知人が多く住んでいたことと、ホテルに風評被害を直撃したこともあり、
 やはり大きな出来事であった。
・次男の結婚が次である。(お雛様の3月3日・明治会館)そういう時節になったということである。
・そして実家の商売を引き継いだ兄の会社が倒産。 27期連続赤字なら仕方がない。
 実家は私が引き継いだカタチ?だから、まだ救いがあるが?
新潟駅の立体交差の再開発工事が4月01日に着工、雰囲気が一変した。
 ホテルも大口の団体が入り、目先は順調に推移。同日から政令指定都市にもなった。
・葬式は親戚が三人と、高校の同級生が一人。
・政治向きでは、日本では予測どおり安部が自滅。 参院民主党が大勝利。 
 アメリカはジュニアの現大統領がレイム・ダックになった。
・石油が急騰、アメリカがサプライム問題とイラク戦争の疲弊が目立ち始めた。日本でも、同じようにサプライム問題や
 景気後退感が出る。比較的、平穏に思えたが、こうして列記してみると、結構色いろなことがあった。
 大変動期であるが、それでも来年以降を考えると、まだまだ平穏の年ということか。 
 人生を生きることは、このようなことを毎年経験してきたことになる。人の一生は、それぞれに、
 その人の経験で詰まっている。それぞれの時に、それぞれの出来事が生じ、そのプロセスが生きるということ。
 生きるということは生易しいものではない反面、生きた分だけ充実感も残る。その中でも良い年であった。 
 日々是好日である。
                        ヽ【・ω・】ノ バイ
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2006年12月29日(金)
2096, 下流喰い −5
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ            
最近、まったく週刊誌や月刊誌を買わなくなったが、以前は文藝春秋(月刊)や週刊文春を数ヶ月に一度は買っていた。
このHPを開いたあたりから、読まなくなった。時々、図書館で立ち読みをしても面白くないのは、年齢もあるのだろう。
というわけで新宿の歌舞伎町の、その後の様子など知りようもない。
石原都知事になってから徹底した取り締まりをしたことと、監視カメラの設置などで風俗の呼び込みなどが激減して、
昔の猥雑さが無くなったというが。ところが、この本で歌舞伎町の風俗事情が説明してあった。成程、色々事情があるものだ。
*歌舞伎町の風俗事情*
 ソープランドをのぞいて、当たり前だが本番が禁止されていたが、以前はそれは表向きの話であった。
実際は、その裏で本番の盛況をきわめていた。警察の集中取締で、さすがに鳴りを潜めざるを得なくなった。
どこの店でも「本番はご法度」を謳っているが、そこはアジアの歓楽街である。
どこの店も現在も「本番要員」をこっそりと確保し、客のニーズに応じている。
「接客をする女の子が10人いるとしたら、そのうち5人の場合、歌舞伎町ではまず手入れをくらう。
しかしゼロだったら、絶対にお客は寄り付かない。だから今は本番要員を2^3人置いて、混ぜてつかう。
それだけの人数でも口コミで評判は広がるから、店は何とかやっていける」 (飲食店店主)
それら本番要員の供給を一手に仕切ってきたのが、暴力団もしくはそれに限りなく近い女衒たちだった。
 そうした暴力団につながるフロント企業が、歌舞伎町一帯で手広く『レディース・ローン』を営んでいる。
新宿の『レディース・ローン』の特徴として、その多くがホストクラブと裏で繋がっている。
ホスト達は、トラブルの保険として暴力団と個人契約をしている者が少なくない。
最近はホストの中に暴力団の準構成員が混じっていて、女性の多重債務者情報は『金のなる木』として重要視されている。
「最初に多重債務の女に目をつけたのが、ホストのケツ持ちをしていたある暴力団員だった。
ホストクラブの支払いを500万以上溜めている女たちは、わりと簡単に身体を売る。
そうした女達を一手に集めれば、商売になると気づいたのですよ」(風俗雑誌のベテラン編集者)
  ーーー
 以上だが、私たちに知らない闇の深さが花柳界、いや下流世界にはあるようだ。
事情は歌舞伎町でも新潟など地方でも同じと見てよいだろう。フィリッピン・パブが
華やかなりしとき、数回行ったことがあるが、あの裏に、そういう世界があったのだろう。
                    *^ワ^*)i バイバイ 
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2005年12月29日(木)
1731, 私が選ぶ今年の10大ニュース     
                      ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
新聞に今年の総括として10大ニュースが発表されているが、
 以下は私の選んだ10大ニュースである。 フム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
  ー日本版・10大事件ー
 1、人口が初めて減少に転じる 二年早く2004年に人口ピークとなる。
 2、衆議院自民党が歴史的大勝
 3、JR福知山線で脱線、107名死亡
 4、耐震強度偽装で大揺れ
 5、郵政民営化関連法が成立
 6、愛知万博が開かれる
 7、堤義明西武グループ会長逮捕
 8、小学生女児が相次いで殺害される
 9、アスベスト関連死、次々と明るみ
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝
  大相撲では、外人歴史が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関
       (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? それとも(。・・)_且~~ お茶どうぞ
ー外国版・10大事件ー
 1、大災害が続く  パキスタン地震アメリカ南部超大型ハリケーン
 2、テロがつづく ロンドンの同時爆破テロ、バリ島のイスラム過激派テロ、エジプトの同時爆破テロ
 3、NY原油が高騰、60ドル代に
 4、ブッシュが再選される
 5、ローマ法王ヨハネ?が死亡
 6、フランスで、アラブ系の大暴動
 7、韓国でES細胞論文の捏造が発覚   韓国のイメージの失墜
 8、イスラエルガザ地区の撤退
 9、中国で人口13億人突破
10、中国で鶏インフルエンザで死亡、再び危険状態に入る (。・_・)ノ”【   】” メモ貼り付け
私が選んだニュースとはこんなものだ。去年が、身辺の中越地震があり、スマトラ沖大地震で30万人が死亡した
大事件があったため比較的小粒な事件しかなかったように思えるが、やはり大事件が続いたといえる年であった。 
人口減少が予測より二年早く始った歴史的年といえる。 国内では、自民党の大勝で郵政民営化の流れがついて、
それを象徴とした国家レベルのリストラが決定したといってよい。また東京からバブルの兆しが出てきた年ともいえる。
世相として、毎日のように凄惨な殺人が紙面やTV画面を賑わした。 ますます時代はアメリカナイズしているよう。  
                               。゚+.(・∀・)゚+.゚ バイイ!!
  ーーーーーーー
 2004年12月29日(水)
1366, あなたにできること

 文芸春秋12月号の 巻頭随筆 の小川洋子の「あなたにできること」がよかった。
 中越震災のNHKスペシャルの題名が確か、「あなたにできること」であった。
 時期からみて、この随想がヒント?ではなかっただろうか。
 心に響く内容であったので、その文章を抜粋して考えてみた。
  ーーー
  ー16年前ほど前、文芸誌「海燕」に小説を書くようになったとき、
  最も驚いたのが、編集者が親身になって私の作品と向かい合ってくれたことだった。
  どうして自分の小説でもないのに。というほど圧倒されるような気持ちに陥った。
  その彼はまだ私と同い歳のまだ若いのに、思慮深く、決してうろたえない人であった。
  どういうわけか、ふと小さな灯りがともり、私の中に新しい場面が浮かんだ。
  すぐさま私はゲラに赤ペンで、十数行ほどの書き込みをした。・・・
  その時、編集者の視線が痛いほど鋭く手元に突き刺さってくるのがわかり私は恐ろしかった。
  仕方がないので、恐る恐る一歩ずつ進んでゆくしかなかった。      (´・ω・`)_且~~ イカガ?
  以来私にとって、ズット編集者は恐い存在であり、完成前の未熟な小説の前で
  彼等の内面ではどのような思いが渦巻いているのか、想像もできないでいる。
  そんなある日、偶然「『ニューヨーカー』とわたし 編集者を愛した40年」という本を手にした。
  アメリカの『ニューヨーカー』という雑誌のライターである、リリアン・ロスの自伝であった。
  内容の多くは、名物編集長ウィリアム・ショーンとの出会い、結婚を許されない状況の中、
  関係を深めていくないように割かれているが、私が興味を持ったのは、編集者としてのショーンの姿。
  サリンジャーレイチェル・カーソンなどの信頼を寄せられていた。
  作家がどこに向かっているにせよ、そこまでの道のりをしめすことができた。
  そして、「あなたにできることはあなたにしかできないんですよ」と言って、作家を励ました。・・・
  耳にたこができるほど、何度でも作家達はショーンのこの言葉を聞きたかったという。
  私も16年間、同じ言葉で励まされてきた。別の言葉で、態度であるけれど、大勢の編集者に導かれてきた。
  私の小説にどれほどの意味があるのですか、素晴らしい小説は世界には一杯あるのに・・・・。
  そんな気分になって座り込もうとする私を、無理やりにでも立ち上がらせてくれた。
  ・・・ウィリアム・ショーンは既に亡くなり、文芸誌『海燕』は休刊になった。
  けれどもショーンの残してくれた言葉は、今までの小説に向かいあってくれたすべての編集者たちの声と
  一体になり、心の中で響き続けている。       ーーー   (*゚Д゚)つミ匚_ _ あ゙!
  以上であるが、読んでいて自分の内面、過去に対して深く考えさせられた。
  NHK・BSの「遠くにありて日本人」のバイク・ビルダーの生き方にしても、
  ひた向きに何かを創造している姿勢と精神の真髄に、改めて教えられた思いである。
  「私にしかできないことは私にしかできない」それが何か一度考え直してみる必要がある。
  随想は自分にしか書けないことを書けばよい。毎日書き続けると、自分に書けないこと
  しか書くしかないが。 それが毎日書き続ける効用である。

・・・・・・・
2003年12月29日(月)
 999, 人間って何の為に生きているの?
昨日、TVで「男はつらいよ」を見ていたら、「人間って何の為に生きているの?」という質問に
「『ああ〜、生きていて良かった!』と思う為に生きている」という寅さんの言葉が良い。 
刹那的な言葉であると同時に,複雑な思いが残る。「ああ〜、生きていないほうが良かったのに!」
と思いざるを得ないような背景があるからこそ、この言葉の重みが出るのだ。
また、柴又の住職が「寅さんの言葉を借りて仏様は話しているんだよ。
仏様は愚か者を、むしろ愛しているようだ」という言葉に監督の思い入れを感じた。
ところで、この質問を自分に投げかけられた何と答えるだろうか?
「飯食って、糞して、死ぬだけ」という名僧・暁烏敏の言葉が思い浮かぶ反面、
「よく遊び、よく学び、よく働くこと」が私の答えになる。死ぬ時に「ア〜よい人生だった!」と思えるかどうかだ。
 哲学とか何とか難しいことを言っているが、突き詰めればこの問題になる。
「自分の人生は何だったのか?」=「人間って何の為に生きているの?」しか究極はない。
生老病死」という大問題を乗り越えた果てに「あ〜生きていて良かった!」と言えてこそ人生を勝ち取ったことになる。
 そういえば母や叔母から、この言葉を聞いたことがあった。
叔母の場合足を切断するかしないかの瀬戸際に、あわや信濃川に投身自殺をしそうになって思いとどまった。
その後切断しないで済んだが、その直後に法事で聞いた話である。絶望の果てに、この言葉がある。  
暁烏敏といえば「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」の歌がよい。

・・・・・・・
2002年12月29日(日)
 625, 朝鮮戦争の不安
来年の一月下旬に米国のイラク攻撃は避けられない情勢になってきた。 攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、
あっけなく終わった場合や、直前にイラクにクーデターが起きた場合の方が日本にとって問題である。そのエネルギーを
そのまま北朝鮮に向けられるからだ。北朝鮮が間接的に日本にテロを仕掛ける事で牽制をしてくる可能性がある。
すでに自衛隊ではシュミレーションで原発への攻撃に対する作戦を想定しているという。北朝鮮は脅しと嘘で周囲から
物資や資金を脅し取ってきた国家。それが不可能になった時に最後の賭けに出てきた時の暴発が恐ろしい。
柏崎原発をかかえている新潟は一番攻撃されやすい。多くの工作員と武器も日本に入っているというから、
工作員のテロの格好の攻撃対象になる。米国のアメニティーの代表のデズニーランドもテロとして宣伝効果がある。
全く防御という面で丸裸だ。そうでもないのに死に瀕している日本経済が破滅のきっかけにならねばよいが。
これも現実味をおびてきた。来年は世界中が緊迫した状況になる。アフガンやテロやイスラエルの問題でも
対岸の火事であったが、来年からは直接わが身に迫る問題が目白押しになってくる。
借入の多い装置産業の当社など景気に左右するからキビシイ状況になる可能性がある。
今までが恵まれすぎていたと割り切るしかないのか。
 
・・・・・・・・・
2001年12月29日(土)
 284、[大倒産時代]
  大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」を図書館から借りてきて読んでみて、
その深刻さに改めて驚いた。そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに襲われるという。
今年はこの表題ほどでなかった?から来年がそのしわ寄せが大きくなるのではと不安になってきた。
100万社の倒産予備軍控えているという。今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、
この数年で倒産するとしたら、一年で5万社あたりになる。考えただけで背筋が寒くなる。
データーから読むとそう考えざるを得ないという。来年4月のペイオフの第一弾、その翌年四月の第二段と控えている。
今もそれに近いが、倒産が日常茶飯事になりつつある。
身近にマイカルが、新潟鉄工が、新潟中央銀行が倒産したが、それが日常になり驚かない時代に入ってきた。
それが飛び火して身近の火事にならないという保障がない時代である。
誰もが未体験ゾーンに入ってしまった感が出てきた。とくに今まで溜まっていた膿が来年一挙に出ようとしている。
この本によると、「放漫経営による倒産」は死語に成ってしまったという。
「不況倒産」がほとんどという。この波は新構造不況業種を洗い、名門・老舗企業を
飲みこんでいく。 発火点は地方都市より始まり、大都会へと荒れ狂うという。
その典型が長岡市であり、新潟市に思えて仕方がない。公共工事が多く占めている新潟県は直撃そのものである。
その中で経営者はケチ、ガンコ、ムクチが必要要素とか。それにしてもそこまできたか!というのが実感である。
........
ある時間の断片
 12月29日 1968年
今朝5時に長岡に到着する。バスで帰るのは初めてである。
6時に就寝、11時に起床する。12時まで裏に住む正子さんと話をする。昼飯を食べた後に本を読む。  
昨夜、この日記を書くために頭を使いすぎたようだ。あまり頭を使うと否定的な気分になってしまう。
楽観的に自分を置いておかなくては。今の私は悲観的になってはならないのだ。
楽観面から悲観を引っ張りあげなくては。夜になって父が帰ってくる。何か話していてもシックリいかない。
寝る前に年賀はがきを書いて午前1時に寝る。 このところ、親しい石川、深井、佐藤、兼古ともギクシャク。
いま上手くいっているのは川崎位のものだ。何か焦って友人達と摩擦を起こしている。
個人主義といいながら、エゴになっているのではないか。