先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」
という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ
向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。
それを「誰が電気自動車を殺したのか」というテーマのドキュメントも放送していた。
石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー
日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコのように生まれ、
今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、
自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進する
オバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレーのIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを
握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、
ガソリン車の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など様々な
課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、
ガソリンエンジンから電気モーターに替わることで、車体は高熱の問題から解放され、鉄の車体に縛られなくなる。
・その結果、部品が3万ユニットから10分の1に減らすことができ、ユニークなデザインも可能になる。 
・中国の世界の貧しい層を ターゲットにした 13万円の 電気自動車 をみると、何が必要か不要でないかを
 根底から考え直すときが来ているようだ。 
・また、インドのクルマは小さくて狭い道の多いヨーロッパに良いという。 
・投資家の支援を受けて、自由な発想で電気自動車を開発するシリコンバレーの 新興企業 … 
 既存のクルマとは明らかに異なるデザインで、SFの世界に入り込んだようである。
・近い将来、自動車は 一番大きな “ 家電 ” になる、と 豪語する Googleグループ。
・超軽量ファイバーで、3輪の 電気自動車を作ったシリコンバレーの 社長は言う。
 《自動車メーカーの 人間は、「 自動車は、4輪で 箱型の乗り物 」 と思い込んでいる …》
  以上だが僅か1年で、これだけ激しく時代が変化するのだから驚きである。
 自動車の電子化が今後、果てなく続くことになると、部品メーカーが淘汰されていくことになる。 
                電気自動車でなく、電子自動車の時代??
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2764 ,ウォール街の魔女
2008年10月29日(水)

  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のようなものを持っていた。
  銀行の破綻(はたん)や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくった。
  さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストランですまし、
  安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、
  その息子がケガをしたときは、治療代をケチり片足を切断させられた。
 ▼モノを作って売るわけではない。「金」だけを信じ、投機と吝嗇(りんしょく)とで巨万の富を築く。
 「魔女」的な部分を除けば彼女もこの街の典型的な住人だったのだろう。そのウォール街が今、集中砲火を浴びている。
  言うまでもなく世界の金融危機の発信地としてである。
 ▼特に株など買ったことがなく、毎日コツコツ働いているだけという米国人の反発は強い。
 「何で税金で奴(やつ)らの失敗の尻ぬぐいを」となるからだ。
  そこらの空気を察して、投票日が迫った大統領選の両候補ともウォール街を「強欲」と非難しているそうだ。
 ▼国際的にも金融市場の改革を求める声が強い。
  だがへティの時代から投資家たちの「強欲」が世界の経済を動かしてきたのも事実だ。
  それを封じては世界経済そのものが破綻する。問題は投資する側とされる側との信頼をどう取り戻すかなのだろう。
  ーーー                                 (産経新聞 10月25日)
  ジェイ・ナッシュという女性を笑うことは出来ない。資本主義の原型そのもの。事業の出発点は似たようなことを強いられる。 
 まずは種銭を大事に扱わないと失敗する。アメリカ資本主義帝国の崩壊の原点をみるのに、丁度よい人物を取り上げている。
 それにしても上手い文章を書くものだ! 面白い人物がいるものだ。先日観たDVDの「天国の門」の娼婦の館の御婦人に似ていた。
 「言葉を除けば、あと残るのは愛情?それとも金? 空気と同じで無いと死んでしまうのはドチラ?」
 彼女なら、こう言っただろう! 自由も、平等(差別)も、愛情も、9割は金で買える(替える)から、狂うのである。
  成るほど、人間は狂った猿というが・・・

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2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4
                (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
*まわり道*
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
  同じようなことが、立花隆の文章にあった。
 「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
  誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。 
  行ったきりの人生もあるが・・・  精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な事例。 
  一つや二つは、迷路の迷い込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生である。
  お伽噺や神話は、その理想の物語として我々に提示される。 まわり道こそ、物語なのである。 
  その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、しかし真実と夢があった!
  逆にまわり道のない人生は、そこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、
 「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」 
  という言葉が重く聞こえた。   
   ーp.121ー
  ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
 「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口が
 あらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。
 けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間見捨てられているわけではない。
 いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、
 たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
 人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ
 個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも多くの風景にせっし、
 多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと「わが道」にたどりついたとき、
 すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・」
  ーー
 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。
 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、
 決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。   
 そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 まわり道の中でこそ、個性ができるのである。
                                       honnja ヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年10月29日(日)
2035, 躁鬱病について −3
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ

 世界には躁鬱病状態で芸術活動をつづけた人が多くいる。ドイツの作家のゲーテが、その代表例である。
・18歳から亡くなる83歳まで、躁状態が八回、鬱状態が五回あった。当然、そう状態のときに創作活動が活発に行われた。
・ロシアの作家のトルストイも、82年間の人生の最後の30年間は、躁鬱を繰り返していた。
 鬱状態のときに、構想を練り、躁状態のときに、一挙に書き上げるというのが創作活動に必要なことかも知れない。
  そういえば、一番危ないのが「初老性うつ病」がある。60歳直後あたりにくる「うつ病」である。
 「自分の人生、果してこれでよかったのか?」という疑念と、老齢への体質の変わり目が、重なることが原因である。
 特に何も考えず、ただ平々凡々と生きてきた反動である。神様が「そういう人には、厳しくあたる」のも至極当然である。
 この時期に、それまでの無理がたたって、胃潰瘍、高血圧、癌、糖尿病など体内のホルモンや神経系が乱れる時期と重なり、
 それらが意欲の低下や、不眠症も加わり、うつ病になりやすくなる。 特に癌からなりやすくなり、四分の一にのぼるという。
 昔は、うつ病は「神経衰弱」と言われていた。見るところ、資産家など恵まれた環境に人はうつ病になる人は少ない。
 その対極にある、頭を使わない末端労働者の二種類の人種も少ない。
 我がままを許される階層と、末端で生存欲求さえ満たされればよい階層は、ノイローゼなど関係ないのである。  
 その意味で中途半端な人や、生真面目の人がなりやすい。 居直ってしまえばよいが、その居直ることが出来ない。
 それと女性が男性の二倍の確率になるのも特徴の一つ。 発散する機会が半分以下?と、身体の構造の違いもある。
 「一人遊び」の出来る人は、ノイローゼになりにくい。独りの世界で、ストレスを解消できるからである。
 それがライフワークであれば尚のこと良い。ライフワークという自分の世界と、現実の世界を二つ以上もって、
 その一つが上手くいかないときは、他の世界に比重を移動させるバランス感覚を常に意識しておけばよいが、
 それが出来ないから病気になってしまう。 心の風邪だから、そういう人の傍に寄らないことだ。
 それも慢性ときているから、自分がかかったと思ったら近寄らない気の使いも必要だ。
                               ー つづく
               (+●∀●)ノさいなら!
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2005年10月29日(土)
1670, 「全ての装備を知恵に置き換えること」−1
                     −読書日記
「全ての装備を 知恵に置き換えること」図書館で何げなく借りてきた旅行記である。
  著者は、まだ28歳の芸大の大学院生だ。
・高校の時にインドを旅して以来、世界中を旅するようになった。
・そして現在は、芸大の籍を置いて旅行中。
・北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト「POLE TO ROLE]の旅をしたり、
・世界7大陸最高峰登頂を目指すとともに、
・大学院では人類学、民俗学などの領域に関心を持つ。
 プロとしての旅行探検家である。旅を続けるために大學に行き、大学院に行き、本を出版している。
秘境旅行をしていると、このような一人旅をしている男に必ず出会う。
共通点は禅僧のような顔をして、優しく、悲しそうな顔をしている。 日本の高僧?のあの??からみると、数段よい顔である。 
当然であるが!この本の集約は 「はじめに」の「全ての装備を知恵に置き換えること」の章中の冒険旅行の恩師
イヴォン・シュイナードというカルフォルニア生まれの男との対話といってよい。(この本によると今年亡くなったとあった。)
このような著者のような男には、先生が何人かいるものだ。
その一番の先生であるイヴォン・シュイナードは、パタゴニアという登山用品などを売っている創業者。
その彼が著者の質問の答の言葉がよい。 冒険に対する質問の答えが、人生の答えにもなっている。
  ー幾つか書き写してみる
(以下は字数の関係でカットー2007年10月29日)

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 2004年10月29日(金)
 1305, まさか、地元で大地震!−6

昨日、地震以来初めて新潟の会社に出社する。 新幹線が不通の為、久々に車出勤である。
高速道路は長岡〜月夜野間が不通のため、新潟方面はガラガラだが長岡方面は工事関係のトラックなどで異常な多さだった。
昨夜は新潟に泊まったが、地震は殆んどなかったようだ。
気象庁の発表によると、一昨日の余震で、さらに岩盤が動いたため大きな余震の確率が大きくなっているという。
 今日から三日以内の余震の確率は
M 6 以上 (ところによって震度6)確率が20?  7日以内は40?
M 5・5 以上(        5強)   40?        60?
M 5 以上 (         5)    80?        90?
この数字を見る限り、非常事態である。 恐ろしいことだ。
地元ゼネコンの特需(道路復旧などの公共事業の大幅予算の追加)を除けば、新潟県の経済は大打撃である。
最悪の不況が更に悪化することは間違いない。先行きを考えると、すえ恐ろしい。
ー地元ゼネコンの株が急騰しているというから現金なものだ。
東京から2時間圏内の駅前型ホテルが、この数年で不況業種に入ったが、復興の為の宿泊が当面増える。
また、新幹線の不通で、2時間圏内が当分6時間圏になるから日帰りは無理になる。
この事態は当分はプラスにはたらくが、それも目先のことだろう。
緊急融資が特別枠で追加される可能性も大きい?から、プラスプラスに考えるしかないないか!

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2003年10月29日(水)
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記

 各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を説いている。 すべてを終えたとき、「生」と「死」
の本当の姿があらわれるのだ。 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」と言われたという。 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、
生も達成とみていない・・死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。 ロスは生そのものの大切さについて教えてくれる。
彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれた気持ちになる。
 ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー
・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面している人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。
 死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための時間が残されていない。
 1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。
 その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。そして幾度も訪れてこないことに失望した。
 準備は完了していたからである。しかし、死ななかった理由は私にはまだ学ぶべきレッスン、最後のレッスンがあったからです。
 そのレッスンの多くは人の生についての究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
 今度は「死」そのものではなく「生」についてである。
・人には誰でもガンジーヒットラーが住んでいる。象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
 もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ否定性と卑小性をあらわしているのだ。
 人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、己のなかにも他人の中にもあるベストなものを
 見つけ出す作業である。人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。人間が地球上にいるのは、
 互いに癒しあうためである。これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。精神と魂の癒しである。
・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
 気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死についての問題ではなく、生についての問題である。
 '確かに私は豊かな暮らしを実現した。しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'というように最も大切な問題である。
 多くの人々は確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、
 膨大なエネルギーを費やしてきた。
・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき焦眉の急の課題になる。
 大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを未解決のままで終わる。 問題の一部しか解決できない人も多い。
・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。一度だけの人生では習得不可能であろう。
 でも、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、それだけ充実した人生になり、本当に人生をおくることができる。 
 いつ死ぬかは不明であるが、死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'と言えることになる。  
                            「ライフレッスン」 エリザベス キューブラー・ロス (著),
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 564, 一点集中主義  ー 2002年10月29日(火)
少ない資源を最大に生かすには集中しかない。 例えで解りやすいのが「錐の論法」だ。
一点にエネルギーを集中することで穴をあける事が可能になる。 それと前回書いた虫眼鏡も然りである。
集中はその中で更に核爆発をも起こす。 集中は潜在能力への穴である。人間は無限の潜在能力があるといわれているが、
その秘密のトンネルが一点集中である。マクドナルドのハンバーグや、キューピーのマヨネーズ、味の素など幾らでも事例はある。
分散も必要だ、一点に集中したものを分散する例としてセブンイレブンがいえる。
50坪の店を一万店出店することで、三越や本体のイトーヨーカ堂を追い抜いてしまった。
資源が少ないのに、その少ない資源を更に分散をしてしまう。淘汰されるのは淘汰されるべくしてされているのだ。
何かを始めようとしたら、それまでのやっていた事を全てをいったん止めてしまう事だ。それか人に任せてしまうかだ。
空即是色である。人間可能な事は、目前の努力だけだ、それも一点への。以前書いた一点豪華主義をコピーしておこう。
ーーーーー
2001年12月12日(水) 
 267,一点豪華主義

一点豪華主義(一点豪華主義)趣味でも、仕事でも、人生でも総てにいえる事だが、これだけは特別というものに金をかける、
人生の総てをかけることが重要だ。 反面それがアンバランスでもいいかという問題が残るが。それでもいいかどうかは、
やはり本人の問題でもある。金も、暇も、能力もない人間でもこれは可能だ。好きな何かを見つけ一点集中的にエネルギーを注ぐ。
それを続けていれば、それについてプロの領域にたっする。私のそれは、ご存知のとおり秘境ツアーだ。
他人の評価など全く関係ない、それが好きでたまらないからだ。パソコンもあと2〜3年経つと、それに近い存在になるかもしれない。
旅行のネタをインターネットに載せるのも理にかなってる。「絵の好きな人が旅行先で景色を書いている」のを見ると、
人生の一番の奥義を見ているようだ。 一番好きな旅行で好きな絵を描ける幸せは何も変えられないだろう。 
ピアノも一曲だけを練習すれば、弾けるようになるという。 今度ピアノの先生について一曲おぼえてみようかと思うが、無理か?
 ーーーーー
H0511妙な夢―(?)   
2001/10/29

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ
一周してもどってきて布団に入る。 ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢?である。これが夢か幽体離脱七日まだわからない。
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
初めは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではなかった。
 ところで当社の関係先の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。