エコロジーをもじった「セコロジー」の特集を日曜日の朝番「がっちり」で放送していた。
 セコイことなら幾らでもネタがある。 といって、一々書くのも何だが、しかし露悪趣味を
 自認しているものとして書かない訳にはいかない。 その前に、この番組で紹介していた
 「セコイ」内容とは・・
「タクトモ・ドットコム」は、深夜に同じ方向に帰る人を携帯電話サイトで探して、割り勘で帰るもの。
  その値段まで、サイトのソフトが探し出してくれる。
「試食会・com]も面白い。 レストランサイドが、予約の空いている日時を提示、その時間帯に申し込むと、
 半額で食事ができる。レストランも、席を開けておくより埋まっていた方が良いという思惑がある。
 私のセコロジーは、
・海外ツアーである。 夏休み直前・直後の7月、9月とか、11月のツアーは半値近い値段になる。 そこを狙う。 
・通勤帰りの新幹線が18時に長岡駅に着くが、駅の食品スーパーなどの食品街が一斉に値段が下げる。
 更に、切り落としのハムや焼き豚も買い得。 また朝、新潟駅に着くのが9時、これも前日の売れ残りの 
 精肉や果物が、三分の一から半値に値下げをしている。 バナナなどは殆ど無傷のものが三分の一。
・本屋で欲しい本を見つけても、メモを取って、ネットで中古本を買うか、図書館で借りる。
 中古本なら、送料込みで半額から三分の一。健康機器、小型家電、デジカメ、音響機器もネットなら三割以上は安い。
・聞くところによると、主婦が「3日間新幹線乗り放題1万2千円」のサービス期間の切符を三人×4千円で買って、
 それぞれが東京へ日帰り旅行をするとか。 三日間、毎日東京を日帰りで通うというツワモノもいる。
・極めつけは、サラリーマが、電話の呼び出し音で切る回数を帰宅時間のサインとしたもの。これなら加算されない。
 三回で切ると21時、4回は22時とか、6回は何時になるか分からないとか、まあ面白い。
・やはりTVのワイドショーで特集していたのが、「端っこ商品」ハムや、燻製、ケーキ、など端っこなど
 カタチの崩れたが内容は同じ商品が三分の一、半額以下で販売しているのを特集したもの。
・カミサンは19時過ぎると、姿が消える。聞くと、100メートル先のスーパーが値段を下げる時間だという。
  こんなところだが、それだけ、世知辛い時代に入ったということか。
 父親から、「必要なものは使ってもよいが、不必要なもの、体裁のための金は徹底的に節約しろ」と、
 徹底的に教え込まれたが、父ほどに徹することは出来なかった。「小金を使う人間は大金は使えない」ということも。
  しかし晩年には「金は使えるうちに使っておけ」というようになった。色いろ両親から教わったが、その割りに・・

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2750, 閑話小題
2008年10月15日(水)
 
 *株価は反騰しているが
株価が昨日、久々に大きく反騰したが、今月末か来月にかけて再び大きな暴落の場面がやってくるだろう。
今回、世界の主要な各国が株の暴落を防ぐために公的資金注入を協調するというが、それも目先の処理でしかない。
この事態は、詐欺同様のサブプライムの債権処理でも回復に最低10年は要する。 しかし、それだけでなく、
健全な?プライム債権、消費者ローン債権、不動産債権、各国の国債、他もろもろの債権の信用崩壊も始ったのである。
これが、今日・明日に解決できるわけがないのは自明のこと。 さらに情報化で各国の指導者の知らないことまで、
一般の大衆の方が知りうる社会になってしまった現実がある。 実際に、今回の日本の大臣の中には、誰がみても、
その資格のない能力の人が任命されている。 今回の金融危機も、あれだけのエリート?が真面目な顔をして
「ここまで深刻な問題になろうとは!」と、いっている。まだ冷静に眺める余裕はあるが、実際の大津波が目の前にして、
そのことの重大さに唖然としている。具体的には、まずはハイパーインフレなのか、それとも現在の事業に直接に
覆いかぶさってくるのか? 人類が過って経験をしたことのない事態。 予測不能である。 
ブッシュが戦後最低いやアメリカ史上最低の大統領ではなく、数千年レベルの歴史に残る
最悪な大統領として名をなすだろう。 ローマを焼き払ったネロのような人物として・・
ネロはローマだが、ブッシュは世界を炎上させたのだから・・・
  ーー
 *衆院選挙とアメリカ大統領選挙、どうなった?
恐慌前夜の様相の事態の中、日米の選挙の影が薄れてしまった。
どっちらが勝つかが、日本にとってもアメリカにとっても大問題なのに・・・
流れからいって日米とも民主党が勝利の形勢だが、問題は、その後である。
イラクからの撤退が早まり、北朝鮮との戦争も不景気のため回避するか、逆にやるか?だ。
来年一月の大統領の交代までは世界は、麻痺の状態が続くしかない。 
   ーー
 *新潟駅前で大の男が拉致未遂?
先週の話しだが、新潟駅前の駐車場で地元の大手の三幸製菓の社長が二人連れの男にスタンガンで襲われ、
ワンボックスカーで拉致されそうになったという事件があった。拉致未遂事件が身近で起こるとは、物騒なことだ。
たまたま狙われたのか、それとも何か狙われる理由があったのか?不明だが。最近、長岡でも新潟でも気楽に
歩けなくなってきたのは事実。4月初旬に、長岡で客引き防止法が出来たのに拘わらず二人の客引きに、強引に
何処かの店に連れて行かれそうになった。大騒ぎをしたため逃げたが・・・ 最近は朝鮮人や中国人の客引きが多いので、
一つ間違えば何をされるかわからない。それ以来、タクシーで帰宅するようにしている。
拉致といえば、20年前から 会社も自宅も電話で現金を振り込むよう電話があったら、「ある言葉」を何気なく二回いう。
その場合、直ぐに警察に電話をするようにというと決めてある。 

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2007年10月15日(月)
 2386, ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章
「ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章」 
          G.キングスレイ ウォード (著),飛鳥新社

題名だけをみると軽そうだが、ある本に推奨してあったので買って読んでみた。
(とにかくアマゾンで、中古本を安く手軽に買えるのがよい)
以前、書店で平積みになっていた「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の著者の書いた本である。
私自身、サラリーマンの経験が少ないので、組織の束縛と逆に気楽さは最小であった。
そのためか当たり前と思える部分が多いが、一般的には定年で組織から離れるのは、大きな節目になる。
この本では長寿社会の中で、人生の果てへのまだ遠い道のりの中、プラス思考で身近な人たちと親密な関係を保って、
旅行や趣味を広げるように勧めている。私の両親が商売人で42歳と38歳時の子供だったので、若い時から、
その晩年のすごし方、死に様を身近に見ることができた。そして色いろな人生訓を特に母親から教えてもらった。
そのお陰で比較的豊かな人生?を享受できたと自認している。 (アホ!)
そして、ここで書いてあることは、当たり前の事として理解することができた。
問題は、周辺にいる八割の人生の何たるかを知らない「妨害者」と著者が呼んでいる人たちである。 
世間様のいう俗説や、常識とかいう世界が全てと思い、そこから一歩も出ようとしない「あの方々」のことである。
そういう自分こそ「あの方々」ではないかと自嘲している日々だが。
それから日々脱皮するのが生きるということ、いや学ぶということだろう。
 こういう箇所を直に見つけ出してしまう癖がある。
  ーまずは、そこから・・
 ーー
私が40歳で小型飛行機の操縦を習おうとした時に聞かされた、「いい歳をしてもっと安全なことを探したらどうか」
と忠告を受けた。それと同じようなことを妻も同じような人種「妨害者」から「何ですって、もういい歳ですよ。
今更そんなことをしてどうなるのですか」というのでした。自分が止められないので他人の努力をあしらわないでいられない。
「くだらないことを言わないでちょうだい」と妻は心のなかで冷静な判断を下しました。
妻にはまだ、十年も、二十年も、もしかしたらそれ以上の人生があります。実現したい夢もたくさんあります。
この友人についても同じことが言えますし、彼自身もそのことは十分に理解していました。
彼こそは将来を危険にさらす愚か者です。しかし私の妻は違います。妻の煙草をやめる決意は揺るぎませんでした。
生まれつきの性格か、あるいは後天的な習性のせいか、同じコップを見ても、もう半分空だと感じる人と、
まだ半分あると感じる入がいます。いまお話ししている「妨害者」は、人生に喜びや希望やユーモアを見出せない人たち。
宿命と憂鬱が彼らの親友で、古い格言にもあるように「不幸は社交好き」なので、「妨害者」はことあるごとに
不幸をまき散らします。何かの行事に顔を出さなければ、家族で旅行でもしていたのか、とは聞かないで、
病気だったのか、と聞くのでしょう。 足を挫けば、一生正常に歩けなくなる可能性を説明し、
身体のどこかが痛むと言えば、腫瘍学の権威に診てもらえと忠告するでしょう。
ただ、いい天気だね、と言っても、彼らはきっと、長くは続かないだろう、と言うのです。彼らはまた、
知ったかぶりで、助言がしたくてたまらない人たちです。彼らの助言を受け入れてはいけません。
彼らのいじけた心で汚れた、つまらない助言に決まっています。同じ人間として、
彼らも私たちの仲間であることに違いはありませんが、ときには私も彼らを避けたいと思います。
(以下字数の関係でカット、2008年10月15日)
ーーー
ドキッとするかも知れないが、彼らなりの世界があるから、その世界で群れていれば良い、それが彼らの人生であるからだ。
しかし彼らの暗示に引っかからないことである。私の知人の一人が、一歩も自分の世界から出れなかった人である。
しかし考えてみれば、自分も同じでしかない!気がついているかどうか?の問題だが、考えてみたら対比の問題でしかない!
要は、自分こそ自分の妨害者ということである。それを一番知っているから、直ぐに本の中でそういう箇所を見つけるのである。
嵐が丘」を書いたエミリー・ブロンテは英国・ヨークシャーの片田舎で外面的にはあまり変化のない日常生活を送りながら、
深い激情的の小説を書いている。その人によるということか! という訳で、いま一度、よーく読み直すことにしました。はい!
                      byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ニャーンw           
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2006年10月15日(日)
2021, 「新潟ワシントンホテル」が撤退
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ さむい
                
一昨日の地元の新聞に「新潟ワシントンホテル」の撤退が報じられていた。
12年前のピーク時の50?以下に売り上げが激減、三年前から赤字に転落。
同社の支配人が「市内ホテルの供給過剰や、施設の供給過剰で、飲食や宿泊客が減った上に、
プラーカ(専門店街)の閉鎖が大きな打撃になった」とコメントしていた。
同業者の立場からみえてくるのは
・直接原因は「東横イン」のオープンと、プラーカの閉鎖、
・間接原因は首都圏からのビジネス宿泊の激減−4分の1、
 この十年で新幹線の朝晩には多く乗っているが、日帰りが定着してしまった。
・企業が経費節減のため、2時間圏内の宿泊を禁止したことと、
・地方経済の低迷、
・さらにインターネットやイントラネット、携帯電話の普及も大きな原因にあげられる。
 大型のホテルの撤退は初めてであるため、やはりショックは大きい。
 駅の連絡路から直接ホテルに入ることができ、戦略的にこれ以上の好立地の場所は無い。
 10年位前までは、「他は悪くてもワシントンだけは安定している」というのが通り相場であったが、ついにである。
 という当方も、12年前の三分の二まで売り上げが減り、リストラなどで辛うじて黒字は保っているが・・・
 大手のホテル納入業者の専務の話によると、「県内、特に新潟市内の99?のホテルは赤字!」    
 実際のビジネス客の宿泊は、実感として10年前に比べ四分の一に激減しているようだ。
 そこに他業種の参入もあり、中途半端な地方の地方都市型ホテル(飲食・会議室・結婚式)の業態の終焉の結果である。  
 駅再開発工事が来年から本格的に始まり、その工事関係者の宿泊が期待できるので、何とか頑張っている・・
朱鷺メッセや、東横イン入居の再開発ビル工事の時の数字の裏づけがあるが・・・)
 たまたま、同日に地元大手ゼネコンの植木組社長のインタビュー記事が地元紙に載っていた。
 「公共工事がピーク時の7年前の4分の1に激減。 何とかこの二年間は中越地震の特需で持ちこたえたが、
 それも終わった現在非常に厳しい局面を向かえている」という内容であった。 関東・東海ベルトラインを除いた地方経済は
 瀕死の状態である!無責任と思われるだろうが、それもまた面白いといえば面白い!
    ・・本当に? そう思わないと、知恵もエネルギーも出てきはしない!
追記)「新潟ワシントン撤退」と、検索をかけたら金沢の片町のワシントンホテル(200室)の
撤退のニュースも出てきた。 撤退できるのは、まだ健全ともいえるが・・・契約期間もあるのだろう。
                  (+●∀●)ノ さいなら!
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2005年10月15日(土)
1656, 吹き来る風が私に云う

    帰 郷     中原中也
  柱も庭も乾いてゐる   今日は好い天気だ
 縁の下では蜘蛛の巣が   心細そうに揺れている
  山では枯木も息を吐く  あゝ今日は好い天気だ
 路傍(ばた)の草影が   あどけない愁みをする
  これが私の故里(ふるさと)だ  さやかに風も吹いてゐる
 心置きなく泣かれよと   年増婦(としま)の低い声もする
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・ 吹き来る風が私に云ふ

生まれ故郷に帰った中也が、自分に向かってつくった歌である。
何か万人の心の声といってよいだろう! ほんとうに、オイお前なにをして来たのか?
自分の人生を生きてきたというのか? これでよかったのか?
だれもが、この気持ちを持っているだろう。 私など、何回思ったことだろう。
そして、次の言葉で、その言葉を打ち消す。 ー仕方がないじゃないか、精一杯やったじゃないか。
これしかできないのも自分。 まあ、いいや。 と。中原中也の詩は、悲しい。しかし、悲しみを慰めてくれる。

・・・・・・・
2004年10月15日(金)
1291, 「元気の出る言葉」ー5
どん底からはい上がるコトバー2

■やりもせんで、できんというな。(by 堀之内九一郎
 一言 〜若いうちはね〜
■見返りを求めるな、そうすれば行動は制限されない。
 一言 〜解からない
■打ちのめされるような人生の経験は、もっとも豊かな報いをもたらし得る。
 一言 〜「           」
■自分について知ることは貴重であり、欠かせないことです。
 それは、危険な楽観主義とともに、陥りやすい失望を避けさせます。
■機会を待て。だがけっして時を待つな。(by ヴィルヘルム・ミュラー
 一言 〜何々、何々?何々!チャンス?呼吸?
■自分の中に奇跡をおこせ。 (by 大越俊夫)
 一言 〜まあ、いいか!何おかいわん
■行動は感情に従うように思われているが、実際には行動と感情は同時に働くのである。
 意思の力でより直接的に支配されている行動を規制することによって、意思に支配されにくい
 感情をも規制することができる。つまり、快活さを失った時、他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、
 いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、しゃべったりしながら、すでに快活さを取り戻したように振舞うことである。
                                (by ウィリアム・ジェームズ)
■一貫したものは環境においてでなく、自分みずからのうちに求めよ。(by ゲーテ
■高尚な目的をもたぬ魂は、舵のない船のようなもの。(by アイリーン・キャディ)
■転んだ人を笑うな、彼らは歩こうとしていたんだ。 (by 米倉誠一郎
 一言 〜笑っている人は、歩けない自分に苦笑していることに気が付いてないんだから! それが自分の姿でもある。 
■成功は目的にではなくその過程にあります。 楽しみの半分はそこに行き着くまでにあります。(by ギタ・ベリン)
 一言 〜旅と旅行の差をいっているだけじゃない?
■それまでに経験した失敗は、人生観を見出すための月謝と思えば、安いものだ。 (by 堤康次郎
 一言 〜それが人生の最終に来るから、安いといえなんだよ!
■雨だれが石を穿(うが)つのは、激しく落ちるからではなく、何度も落ちるからだ。(by ルクレティウス
■勝つは負ける日の初め、負けるはやがて勝つ日の初め。(by 吉川英治
 一言 〜 ・・・・・・・
■これからを信じれば、今の過ちは許せる。
 一言 〜これで禁酒、禁煙を失敗するんじゃない?
■いちいち、「うそ」や「まちがい」をほじくりだして、無視できないひとがいるが、
 成功のためにそれは無駄なようである。 (by 船井幸雄
 一言 〜この人へのコメントを敢えて書く フニャ〜!
   
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  2003年10月15日(水)
 924, アイスランド旅行記ー4
   ーつれづれに雑記
・ツアー仲間の話は書いていて面白い反面、物悲しいことが多い。 今回は同じバスではなかったが、痴呆症?
 の65歳位の女性の話である。アイスランド最終日に初めて気がついてのだが、そのバスの同行者数人が面倒を
 見ていることに気がついたのだ。 それから注意してみていると、全ておかしいのだ。
 目が虚ろ、いつも誰かに質問をしているのだが、その結果が違うことをしている。
 羽田に着いて、モノレールに乗る時も質問をしながら、結果として違う行為をしていた。
 まあ人生そのものだが。帰りの列車で、独り考えてみたら凄い人であったということだ。
 軽い痴呆症の人?が独りツアーに参加をして、ちゃんと帰っていったのだ。 決して軽蔑をして言っているのではない!
 意志があれば何事も可能ということである。 そこに、その人の人生が全て現れているのだ。
 前回の添乗員がある話をしてくれた。車椅子の人を家族の人が連れてきて、たった一言「お願いします!」といって、
 逃げるようにして帰っていったという。結果としてツアー仲間が最後まで全員が協力しあって無事帰ってきたという。
 痴呆症のオバアチャンもあったという。これも全員が最後までみたという。今回は隣のバスで明らかに同じケースであった?。
・色いろツアーに参加したが、添乗員の面白い人に出会う。「ヌーの河渡り」の添乗員が、自分がホモと酒を飲んで
 告白したハプニングがあったり、元大手銀行員の経歴の持ち主であったり。今回の添乗員が飛びっきり面白い人であった。
 若い女性なのだが、お嬢様なのか、ただバカなのか? 全て自分のレンズを通してクドクド説明をして話すのだ。
 お客は親位の年齢で、こういうツアーに参加しているレベル。何でも解っている相手ということが解らないらしい。
 まず結論を言って、その結論に沿って、その説明をするのが添乗員の当たり前の世界と思っていたが、初めから最後まで
その逆をしているのだ。 全員がイライラしているのが解る。全て自分本位を、そのままお客に知らずに出してしまっている。
 しかし良い点もある。「何々でございまーす!」と最後に歌うように鼻声をはりあげるのだ。
 そしていつも現地ガイドと大声で笑って話しているのだ。イライラもその声で、ガックリして怒りを忘れてしまう。
 まあしようがないかという諦めを押し付けてしまうのだ。これはノウハウであろう。
  旅行は普段会えない人に会えるのがよい。 いやな人もいるが!

 ・・・・・・・・・
 550, ビールの飲み方
 - 2002年10月15日(火)

ベトナムに行った時の話だが、朝から晩まで中華系料理。昼飯も、どうしてもビールが必要になる。
一本なら良いが、異常な暑さの為どうしても二本飲みたくなる。もちろん350mlだが、脂系の食事のため二本を
飲むと腹の心配になる。そこで考えたのが、コップに一口分(5分の1)をついで、ゆっくり味わって飲む事だった。
それが美味しいのだ。少ないビールを味わって飲んだからだ。その後は全くその事を忘れていた。
先日、図書館で池波正太郎の「男の作法」という随筆集を借りた。その中でビールの飲み方が書いてあった。
「一口づつ、その都度ついでイッキに飲むこと」
なるほどと納得をした。それと酒飲みの底の深さを改めて知った。
私の場合はそれさえもユックリと飲む事だが。量の制限がない時も、少量を一気に飲むのも悪くない。
その都度接ぐのが面倒だが、そこを習慣をしてしまえばいい。ケチクサク見えるだろうが,美味く粋にのむ為だ。
日本酒をお猪口をひっくり返して底についで飲むのが安くて酔うのは知っていたが。

 ・・・・・・
「187]」強い人  2001/10/15

 私の周辺に非常に強い人がいる。何を持って強いのかと難しいことは横において、そういう人を観察してみると、
10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。
精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。
人生の何かを教えられる。そこで自身は如何であろうか。少なくとも10歳までは、多くの人にたっぷりそそがれたことに氣づいた。
両親からはベタベタしたそれでなく、間接的な絹木綿的な感覚の愛情であったようだ。
やはり直接しっかりとじかに愛情を受けた人は違う。 愛情のなかで親の愛情ほど、強いものはない。
一番の自我愛だからだろう。だからその子は我侭になってしまうのだろう。子供にとって両親の不和ほど不幸の事はない。
子供に対しては絶対愛と夫婦愛の両輪が必要という事か。