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  「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)

 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り上げ批判、
小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディアの劣化を鋭く問うている。
「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。
小泉・竹中虚構改革で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用しただけという。
 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、日本は重症になって当然。
去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。
 数年前に、アメリカの投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ. 合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に進めた。
あれは我われが意図的に仕掛けた政治的な戦略。 その結果としてのバブル崩壊と、その後の失われた10年で、
我われは日本を徹底的に買い叩いた。》と・・。それに対して、評論家が誰も反論をしなかったのも驚きであった。
 それがユダヤ資本のやり方で、日本は米国の隷属国家のために彼等のなすがままだったのである。
そのユダヤ新自由主義アメリカ金融が、アメリカ国内だけでなく世界に向けて似たような犯罪行為を行った結果が
この金融危機を招いたのは今さら言うまでもない。 サブプライム・ローンなどの傷物債権を束ねて、
同じ穴のムジナ(=格付け会社)に高い評価をつけさせて、ばら撒いたのである。これは見方によれば国家詐欺である。 
それが新自由主義の正体だったのである。 その日本版の子分が小泉であり、竹中という。
 実際のところ、私も9・15の金融危機が起こるまでは、新自由主義を支持してきた。世界が、自由化で、かつ
グローバル化の流れなら仕方がない上に、競争社会は世界を進歩させると信じて疑わなかった。
 しかしアメリカの格付け機関の基準を日本の企業や金融機関に押し付け、日本を撹乱したことは間違いない事実。
高杉良は、ここで
小泉政権の5年半が日本を非常に傷めた。『官から民へ』のスローガンの象徴が郵政民営化と断定。
その結果は無残であると。 利益を出す効率化のもとに郵便局は減り、国民のライフラインはズタズタになろうとしている。
もし日本郵政グループがアメリカの銀行などに出資をしておれば、現在の金融危機で大変なことになっていた。
生活基盤の維持は国が関与すべきだ」という。この改革で、日本の元気だったミドルの活力の素が力を失い、
『勝ち組』と『負け組』に分極してしまった。」という。
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 この改革は、何だったのだろうか? ユダヤの陰謀ということか? 最近、周囲を見渡すと、
中間層が少なくなってきている。 上流とやらも減ってきているし、居たとしても、風前の灯のところが多い。
医者とか、弁護士、それと官僚がいるが・・・
 宮内、堀江モン、木村剛、それと村上ファンド。 一時期は脚光を浴びたが今や、戦犯扱いである。

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2679, ソルジェニーツィンが亡くなった
2008年08月05日(火)

ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。
その経験を書いたものだが、彼の文からソ連共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
それに対して日本は高度成長期で絶頂期、その温度差にも驚かされた本であった。
ー経歴からして骨入りである。(ウィキぺディアより)
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。
1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。
1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。
1958年にニキータ・フルシチョフによって名誉回復される。
1962年、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーに。
1964年10月15日のフルシチョフ失脚から暗転。1970年度ノーベル文学賞を受賞するも、
1974年2月12日逮捕、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。
   スイスを経て、1976年9月米国に移住。
1990年8月ミハイル・ゴルバチョフペレストロイカソ連市民権回復。
   同年9月、『甦れ、わがロシアよ〜私なりの改革への提言』
   はソビエト国内で2,650万部が出版されソ連国民の白熱の議論を呼んだ。
   ゴルバチョフは同月25日ソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えた。
1994年5月27日亡命先の米国からロシア連邦に帰国。1997年5月からロシア科学アカデミーの正会員(芸術院)。
2007年6月13日ロシア文化勲章を受章。
2008年8月3日、モスクワの自宅で死去[1]。
 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。
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40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
この小説を読んだ感想は、「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、
この二人の権力者は歴史的汚点」と、直感したことを憶えている。
現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が小汚い気がする。
それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。 現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中!
このアメリカの隷属に尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。
何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが根こそぎ解消できることも事実。
「この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは我々の世代だろう!」の、心の奥の声、これも事実。

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2007年08月05日(日)
2315, 風評で県外観光客が10分の1!ですと
              ・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
先日の読売新聞によると、
「・・県によると、7月16日の地震発生以降、県内での旅館やホテルのキャンセルは、約5万件に上り、
県外からの観光客は例年の10分の1以下にとどまっている。地震の被害がほとんどなかった佐渡妙高高原
越後湯沢温泉でも観光客が激減し、原発の被災などによる風評被害が深刻化している。」(2007年8月2日 読売新聞)
当社にとって、あまり関係ないと思っていた風評も、日ごと影響が出始めている。
今のところ10?ほどだが、県外の観光客が10分の1とは尋常ではない。特に一年で一番の稼ぎ時の
リゾートホテル・旅館は致命的である。地元民も自粛をして、飲食や温泉などに出ないから堪ったものではない。
三年前の地震からやっと立ち上がろうとした矢先である。天災だから、何処に不満の矢先を持って行きようがない。
新潟市内の居酒屋屋スナックも、その日を境に売り上げが激減して、全く回復の兆しがないという。
この長岡祭りの名物の花火も、私が見るところ昨年の人出の6割。
この十年間、信濃川の土手のある場所に行くが、20時過ぎると当然のことながら、
座る場所がない。人の流れに沿いながら見てきたが、今年は自由席が半分以上も空いていた。
新潟から長岡への17時過ぎの新幹線も、例年の混雑のやはり6掛け。
8月の2日からの10日間は当方にとっても稼ぎ時だが、少しだが影響が出ている。
2〜3割ダウンではないからまだよいが、それでもこの時期のダウンは痛手である。この影響は当分の間は続きそう。
寺泊に先週の土曜日に行ってきたが、さすがにゴーストタウンほどではなかったが、
駐車場は三分の一は空いていた。一年の一番のピーク時からみたら数分の一だろう。
ここは県外の観光客が多いので死活問題の事態である。2~3年は生き残りをかけた状態が続くだろう。
全く他人事ではない。日にちが経つほど、深刻度が深くなる。連続二回と、原発の直下型と火災はイメージがあまりに悪い。
柏崎市内の土地が大きく下落を始めたと親戚から情報が入ってきた。外部の人は誰も買わないし、原発再開が無いとしたら、
柏崎経済は壊滅。もし再開すれば、即死の怯えて生きていかなくてはならない。
どちらにしても下がるのは当たり前である。その影響は長岡も遅かれ受けるであろう。
  ところで、日本の原子力の依存度はどうなっているのか、調べてみようか。
   インターネットは、思いついたことが気楽に調べることが出来るから便利である。
                            グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
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2006年08月05日(土)
1950, 第四回新潟県活性化の会ー概要        
        (+>∀<+)ノおぁはは〜よう!

7月の28日に行われた「新潟県活性化の会」の概要を、私の主観でマトメてみた。
 ーー
*「環日本海拠点都市宣言」をする。
 −冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 
  この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。これからは環日本海の時代である。
  首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。
  それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。
  このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井(北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。
日本海時代の象徴として、首都東京から新幹線の新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
新潟空港までの新幹線延長工事が、55億の投資で延長工事が可能かどうか? 
  それを可能にする構想案を一般募集をする。採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
「新潟国際空港への新幹線直接乗入れゴーゴー(55)作戦」いうネーミングにする。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能
  ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。(高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・)
  高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。
新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。
 ーー
以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。
それぞれの個性が意見として出てくるのと、「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。

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2005年08月05日(金)
1585, 自民郵政解散の攻防

いま現在、自民党が下野の恐れが出てきた。そのため衆院で反対票を投じた連中が慌てだした。
流れからいって、一般の国民から不支持をされることは間違いがないからだ。再選はホボ絶望になる。
これで衆院を解散すれば、郵政改革阻止の犯人探しになって血祭りに間違いなく
されてしまう。旧守派は、その現実的な可能性に震える事態になってしまった。
参院本会議で否決されれば2時間後に、解散の為の臨時閣議が開かれて衆議院本会場で万歳が待っている。
その瞬間から代議士ではなくなるのだ。一度、解散をして抵抗勢力をマトメテ処分するに良いチャンスになる。
その意味で郵政民営化は賛成だが、参院での否決も賛成である。この事態に、もっと恐れているのは民主党であろう。
彼等は本来は改革派のはずだが、小泉首相に改革というキーワードを奪われてしまった。
この郵政の民営化は避けて通れない問題であるが、いまさら賛成にまわれない。
このイメージを選挙に使われたら、負け戦になってしまう。
昨夜から、急に自民党内で解散回避の大きな動きが出てきた。自民党下野の可能が現実味を帯びたからだ。
日曜日朝のTVモーニングショーが旧守派への弾劾になる可能性がある。そうなったら、否決ができなくなる?
みている方も、この緊迫感を充分に感じ取れる事態である。これで可決したら、
小泉首相は歴史の残る業績を残すことになる。政治はやったら止められないという、なるほど!

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2004年08月05日(木)
1220, 日記について

このホームページで随想日記と、日々の出来事を書いているバードウォッチングを公開しているが、
その他に手書きで「10行日記を」つけている。ところが、最近はマンネリぎみである。
 そこで以前買った「4行日記」と、荒川洋治の「日記をつける」と阿久悠の「日記力」を読みかえしてみた。
・その日付けと曜日と天気を書き、 時系列に書くのもよいー特に天気はその日の自然環境であるから重要だという。
「今日は快晴で、うだるような暑さであった」とか
・身辺の出来事を書いて、会った人の会話の内容、食事の内容、夢の内容等を具体的に書くー時間も書いておくとよい
・その日読んだ本、TVのドラマの感想
・今日の新聞記事の気になったスポーツとか、政治等の感想を書く。
それ位のことなら幾らでも身辺に転がっている。雑事として、あまり書かなかった内容こそ、後で読んでみると大事が多い。
日記は、「その日でしか書けないこと」を書くことが重要だという。 ホテルの客室と同じで、その日に売らなくては、
単なる空間でしかないのだ。 その日の雑事・出来事を書いてこそ、意味があるのだという。
通勤の新幹線の中での観察とか、知人のこととか、その日の新聞ネタとか、立ち寄った本屋の印象とか幾らでもあった。
手書きの日記までテーマ日記主義を通そうとしていたのだ。勝手に枠を決めて、幾らでも書くべき当日の日常を書かなかった。
Web上の日記では、書いてはいけないこともある。
それが、そのまま手書きの未公開の日記と混同してしまっていたのだ。単純なものだが。
そういえば「22歳の日記」は、時系列に、正直にその日の出来事が書いてあった。何時に起き、食事をして、
何時に学校に行き、誰々と会って話をして、何時に寮に帰ってきて、誰々の部屋に遊びに行って、何時に寝たとか。
今から読み返してみて、もっと具体的内容を書いておけばよかったと思う。
本を読んだでなく、その本の名前を書き記すとか、感想を書くとか。
ならば、そのパターンを真似て、具体的な内容を書き加えればよいのだが。
随想日記や、身辺のことを書いているバードウォッチングも、これから少しずつ変わっていくだろう。
より具体的に、日常的に。書き続けることは、自分を掘り下げることになる。

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2003年08月05日(火)
853, 熊の世界

 昨夜のゴールデンタイムのNHKスペシャル岩合光昭の「北極熊」を放映していた。
そういえば先月行ったアラスカのツアーで、ガイドの伊藤さんから熊の生態の話を多く聞いた。
熊は他の動物と違い、仲間内の共食いが日常当たり前の世界。
子供が生まれて8割から9割が途中で殺され、その大部分が他の熊に食べられてしまうという。
雄熊が実の子供を食べてしまうだけでなく、メスも度々食べられてしまう。
そういえば20年位前に週刊誌に、北海道の動物園の熊牧場で1頭の熊が他の全部の熊に食べられてしまう
顛末の連続写真が載っていた。人間の常識をはるかに超えた世界がそこにあるという。
 動物写真家の星野道夫も熊に最後に食べられてしまった。
襲われた瞬間の熊の顔のクローズアップの写真が最後の彼の遺作になった。
動物写真家は原野に何日も一人じっと潜み、カメラを構えシャッターチャンスを待つ。
その間彼等はいろいろな言葉をくり返し暖めるという。写真も言葉も深くなるのも当然である。
グリスベアーのテリトリーに入ったブラックべアーはすべて殺されるという。
そのため棲息がクロスすることは絶対にないという。話はそれるが、人間の夢に出てくる熊は現実の恐怖の変形という。
長い歴史の中で熊の恐ろしさが脳の遺伝子が残っているためだろう。
過去に多く熊に襲われる夢を多くみた。 あるホームページに熊の夢のエッセーが載っていた。
面白いのでコピーした。熊を不安の無意識の象徴として読むと面白い。これにほぼ同じ夢を何度もみた。
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「熊よ、何故?」
ああ、また見てしまった。熊が出て来る夢である。それはときに、ヒグマだったりツキノワグマだったりする。
いつだったか、グリズリーだったこともある。高校生の頃からだと思うが、ボクは、熊に襲われる夢をたびたび見る。
無論、見たくて見るわけではない。夜中にフトンの上で、「どうか、熊が出て来ませんように。」と
お祈りしてから寝ることすらある。そんな祈りも空しく、熊のヤツ、出るときは出るのである。
「夢なんだから、いいじゃん。」とのたまう諸氏、夢を侮ってはいけない。
ボクは、熊に襲われる夢を「熊夢(クマユメ)」と呼んでいるが、熊夢にうなされて目覚めた朝は、最悪な気分である。
なぜ夢の中で怯えなければならないのか、もう腹立たしいやら、やるせないやらで、
気分は、ブルーを通り越して焦げ茶色になってしまう。しかも最近、この熊夢のヴァリエーションが多様化してきている。

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2002年08月05日(月)
478、100円ショップ

以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、100円ショップについて書いてみる。
初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を得たといってよい。結構便利で使え勝手のよいものが多い。
今でも月に一回は必ずいく。先回は、センスを買った。私の場合、なくす確率が8割である、いや100?である。
それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。悪くはない、ワンシーズン持てば充分である。
3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。でも200円でしかない。旅行用で便利なものも多い。 
飛行機やバスで使う空気枕。小物をいれる網でできている子袋。健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。
この良いところは、トレードオフの商品が多い。一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。
初めは、無印良品がそうであった。しかし、今やユニクロと100円ショップにとって変わろうとしている。
壊れても、欠陥があっても腹のたたない値段が100円だという。これこそ消費者主体の商品つくりである。
また楽しいのだ。ダイソーの社長が100円で楽しめるデズニーランドといってた。
「商売は少し馬鹿にされるのが一番よい時」と丸井の創業社長がいっていた。
月賦が認知されだしたときから旨みが無くなったと。今まで100点ぐらい買ったと思うが、1万円でしかない。
30回位いったとして、楽しみを入れたら十分お釣りがくる。十数年前アメリカのチェーン店の視察に行った時、
99?ショップに行ったとき誰も見向きもしなかった。まさか100円ショップがこれだけ伸びるとは誰も想像できなかった。 
時代の変化なのだろう。いく度に商品の内容が良くなっていくのもよい。
100円だからこそ買える商品だからこそ、その存在価値がある。

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2001年08月05日(日)
[99] 現地日本人ガイド −2

南アフリカの50歳の女ガイド。 日本の商社で知り合ったイギリス人と結婚。
いろいろあってその旦那とケープタウンに住んでいるという。
不安はないかと聞くとその心情の一端を話してくれた。
子供の名前の件で真剣に日本名にするか、それとも英国名にするか戦いになるらしい。
自分が死んだ場合残るのは子供の名前だけらしい。自分の存在がそれこそ瞬間虚無になってしまうという不安らしい。
最近までケープタウンに一つだけしか日本名の墓はなかったという。
移住は若いときはいいが、老年になるときいてくるという。
子供が独立し亭主が亡くなった時がきついと言っていた。一つしかない墓の名前が女の
名前でそれを見たとき、芯から不安を感じたという。聞いているだけで肌が寒くなってきた。