「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
   
  【憂国の時代】 ー関川夏央
 *明治・大正と昭和・平成の符号説

この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。 
昭和・平成といえば、バブルと、その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは
第二次世界大戦ということになる。これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、
全ての国が敗戦したのだろうか? 平成も昭和を引き継ぎ、戦後から20年かけて豊かな経済社会になった一方で、
アメリカの陰の占領統治で、若者を始めとする社会的、精神的荒廃が進み、大正時代に似た社会現象が現われている。
明治が大正を生んだとすれば、大正は国家主義の生みの親?だろうか。
そうすると、これからの方向は昭和の統制経済に立ち戻る流れになるのだろう。
 ーー
 そうこう考えると、現時点は日本は重大な岐路に立たされていることになる。
2001年の9・11のテロと、2008年の9・15の金融恐慌が日本に与えた大震動からきた惨状を目の当たりにすると、
日本がアメリカから離れて、戦後60年で自分の意思で大きく舵取りをしなければならない時期に入ったことを示す。 
その意味で、今回の選挙で自民党が壊滅し、その後の政界再編成は大きな意味を持ってくる。
表面的には、あまり変わった風ではないが、実態は終戦直後に街の彼方此方の焼け野原に闇市が立っている状態に
酷似しているといってよい。 悲観的に成るのは、アメリカが戦後半世紀をかけた占領政策もある。 
半世紀以上をかけて日本の文化、精神が粉々に破壊されてしまったことである。
戦争か、ハイパーインフレで実質所得が激減するかである。それは、間違いなく、ある日突然やってくる。

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2659, コールド・リーディング
2008年07月16日(水)

 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、
 相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。
「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」という意味である。
 詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できる
 ものであり、必ずしも悪の技術とは言えない。

・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。

コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
 そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、
 びっくりしたり思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を
 明かしてしまうことになる。これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。
 推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、
 態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」
 と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、
 心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
  ーーー
 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
 営業にしても人間関係にしても、それを利用して悪いわけがない。この手練手管の営業の男を何人も知っている。
 それも、どうも自分で意識をしないでしているから、恐ろしいのである。
 営業テクニックで、これを無意識でやる人こそプロ?である。

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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
                      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
   
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、
彼女への追悼文を、ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。
この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、あきれていた。
唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。
何か自分に劣らない奇人の死に戸惑っているようだった。   
中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てているところが、
彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
   
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
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池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、
私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、
彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、その日大学にいても
彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。

池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、
(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」
と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。
そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちは
まったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。
池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、まだ本を二冊書いた程度であったから、
世間的には、ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治、・・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、
誰も世間的には有名ではなかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、それが講談社のPR誌『本』に掲載されて
いたとろから評判であった。そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると相前後して出版界は
「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・(中略)
池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。何を話したかすっかり忘れたが、彼女としぼらく話し込んでいると、
丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ「やっぱり綺麗っていいもんだねえ」と言った。
私がそのあとを受けついで、「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、彼女はのけぞっで笑い
「そうなの、中島さん?!」と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・・(中略)
ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
彼女は真紅のツーピースに銀の靴を履いて、(私の正直な印象なのだが)マネキンのように綺麗だった。
挟い階段を上がって薄暗い郎屋に入り一番奥のソファーに陣取った。そこで野矢君が「池田さん、自分で問いを出して
自分で全部答えているから、読者は必要ない」と言ったら、ふんふんと頷いていた。
田島君がカフカについて話していたのをぼんやり覚えている。
池田さんが「私、街を歩くとき、いつも耳栓しているの」と言ったことも覚えているから、
たぶん私は後に『うるさい日本の私』(新潮支庫)として刊行される騒音の話をしていたのであろう。
何回目の大森会か記憶が定かではないが、帰りがけに駒場東大前の駅で、ごそごそ鞄の中から、
彼女の著書『事象そのものへ!』を取り出して、「中島さん、法蔵館っでずるい会社だから、
出版してはいけませんよ」といった。私が彼女かららもらったのは、これと『考える人ーロ伝西洋哲学史」(中公文庫)だけ。
ふたりともその後著述業で忙しくなると、お互い一切の関係をもたなくなった。
やがて破女は大森会にも参加しなくなった。これも、自然の成り行きだと思う。
 ーー                         ーつづく
    彼女の文章からは、こういう姿は窺い知れない。 どの世界も大変である。    
                       ヾ(。・v・。)【バィバィ】
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで400年前の霊が私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が延々と続くから不思議である。
亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、成る程どこまでも話が途絶えない。
以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って(その人をイメージをして、
後ろから自分が入り込む)考え事をした。思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。
これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、数倍も効果があるだろう。
現実に何人の霊?の中に入ってみた!おまえ馬鹿か?と思われるが、本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。            ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪             
以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。「文学は 物言わぬ神の意思に言葉をあたえることである」
というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。90才までの人生をあらためて振り返りながら、
次々と新たに起こる不思議な体験ー天理教の存命の親さまとの出会い、神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の
人間への思惑等、フィクションなのかノンフィクションなのか、読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。
これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・
多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。気晴らしのお遊びとは違うようだ。
自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、まず第一弾はご先祖様の出現である。
    
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。
 霊お宅が多いんだ! 霊霊というけれど、人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
 ・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。  まあ遊び!いや・・      
 ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、
 間違いございません! 大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない! *^_^*)
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・
2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す

ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に
面していることもあり、このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。
また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。10〜30パーセントのアップが見込める。
朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)
総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。
この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。年度内計画決定を目指すという。
事業完成目標は平成25年というから、決定さえしてしまえば工事は急ピッチになる。
 今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
万代島再開発事業で  290億円
・サッカーの新潟スタジアムに 300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費  180億円
・市民病院建設費   220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは
 新潟市レベルからみて大きいことが解る。
内訳として
・立体交差事業に  707億
・駅周辺整備事業として
  738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
高架区間は2、5キロ  在来線ホームは現在の4面7線から3面5線になる。
投資効果が、投資額の2、6倍という。それほどある訳がないが、まあ何もいわない。
以前の説明会の時、道路拡張計画で道路の反対側のホテルの社長が大反対をぶっていた。
初めは両側の拡張計画が、当方の側一方に変更になった。
買収先も半分で済むし、当然の結果である。彼も後で地団駄を踏んで後悔したと思われる。
十年前に、近くの再開発ビル建設の時も、反対にまわって・・・これさえ決定すれば、
新潟駅前事業も軟着陸できそうだ。ついているのは、最後までついていることになるはずだが?
それにしても丁度良い時に、丁度良い工事が図ったように始まるものだ。

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2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行
4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であること知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。
                   ーつづく
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
 それも字のとおり「一期一会」である。殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
 全てを曝け出し、そして別れていく。「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に
 形成されるからだろう。 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。
 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

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2001年07月16日
 旅行中