先日の産経新聞のトップ記事が面白い。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、
245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。
中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人だという。
私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を
示すことになった。 来年度からは男子だけを男女共学にし、寮も取り入れ全国からの募集に切り替えるという。 
早稲田のブランドが落ちたのか、不景気なのか? 早稲田当局からみたら、横面を殴られたような気分だろう。
 また日本の大学より直接、アメリカのハーバードに受験する事例もあげていたが、私の知人の息子が直接、
アイルランドや、オーストラリア、カナダなどに留学している。
それも本人が、そうしたいというから行かしているという。 まあ、良いことである。
 H20年度で、私立大学の47パーセントが定員割れになり、三分の一の34パーセントが赤字の倒産の危機に瀕している。 
大学経営も、いずこも厳しい時代になったということである。
昨年の11月に駒沢大学が、財テクの失敗で154億円の損失を出したと、大々的に報じられた。
慶応大学もH21年・3月期で保有有価証券の含み損が366億円という。
そんなところで、果たして経営学を教えてよいのかと疑問が出るが、時代が変わったのである。
 しかし、少なくとも3倍位はあって然るべきなのに、驚きである。

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2628, 日本経済、どん底への転落
2008年06月14日(土)

 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが
読んでみたいとおもっていた。それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 
 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
 ーー
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、
敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、
成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書
 (目次)
第1章 明るさが見えない低迷
第2章 変換を迫られる経済政策
第3章 下落する経済の恐怖
第4章 「もの余り」社会から「もの不足」社会への転換
第5章 国際収支の赤字と資金の不足
第6章 悪性インフレへの転落
第7章 少子高齢化が加速する下落
第8章 再発展を目指して
第9章 日本の将来のために
 ――
解)
「日本経済インフレの危機」(2007年) 
「銀行の錯覚?いまこそ正道に立ち返れ」(2006年)
「耐乏なくして再生なし?日本経済・復活のシナリオ」 などで何度も今からでも思い切った支出の削減と、
消費税のアップを主張。それが出来ないと、日本経済は、どん底へ転落すると繰り返してきた。
そして、そのトドメのような内容である。
私が見る限り、現在の日本は著者の警告のような舵は切れない!
恐慌というプロセスを経た5?10年後には現在から想像も出来ない事態だろう。
それも現在の政治家の質をみればわかること。そして、最下層の若者の質もである。
そして、社会の階層化がより露骨に表面化している。それに伴ない劇場型の犯罪が日常化するだろう。
アキバの無差別殺人は、その序曲に過ぎない。 まあ、いやな予測だが、現在の能天気の国民と政治家を
見るにつけ、悲観的になってしまう。 

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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは
                   ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)

 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、色いろな部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。
過去は打ち消すことが出来ない。過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。
未来への意思は「いま、ここ」の中で、頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、
それまでの生き方が問われる。その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。
ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。準備。この成果が重要というより、
前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。    50歳代か?!  面白かった! 
                   ヾ(´Д`、)マタネ
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2006年06月14日(水)
 1898, 結婚の三条件
     \(^▽^*)おはようございます!
                    (*^▽^)/
息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が以前の三高から3Cに変化してきたという。
ーその3Cとは、
Comfortable(快適な)   - 今の生活水準を落とさない十分な収入。
Communicative(理解しあえる、通じ合える)  - 価値観やライフスタイルが一緒。
Cooperative(協力的)           - 家事や育児に協力的。
バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は変わってないが他の条件が
「個人的な快適さや満足感」に変わっている。
女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を欲しがるようになった。
自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 それに加え、最近では「三低」が求められるという。
「三低」とは、
・低姿勢   ーレディーファースト
・低リスク  ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など)
・低依存   ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性         
これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。
こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。
そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、前提条件になる?
それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか!
低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・
低リスクは最近怪しくなってきたか? 低依存は、ただ無視されているだけか!
ー結婚を迷っている人に告ぐ!
 鏡をジックリみて、 自分の履歴書をみて、自分の両親をみて、冷静に自分を判断しなさい!
 貴方は特別な存在ではないのです。自分を評価しすぎるな!ただそれだけである。但し 卑下することもない!
                 (自分のこともだが)                 (。・∀・)ノ゙バイ!
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2005年06月14日(火)
1533, タイソンの終焉

一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。
6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、試合後のインタビューでは涙を流して、「もう気力が出てこない!」
と言ったのが印象的であった。一時代を築いた男も、これで終わり。
相手のマクブライトは、明らかに2流選手。肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は
小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。それに引っかかった平凡な試合であった。
あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。 終わりはこんなものだろう。
あと数日で39歳というから丁度引退時期。20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。
解説者のコメント「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。
日本での、まさかのKO負けや、イベンダー・ホリフィルドの激戦を思い出す。
あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。
タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。
やはりモハメッド・アリは一番である!そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。
娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。
当時は、ボクシングと野球と相撲ぐらいしか、スポーツはなかった。丁度、白黒TVが出はじめた頃に、
ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。
 現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。
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ー歴代ヘビー級ランキングー
 1位   モハメド・アリ
 2位   ジョー・ルイス
 3位   マイク・タイソン
 4位   ジャック・デンプシー
 5位   ジョージ・フォアマン
 6位   ジョー・フレイジャー
 7位   ジャック・ジョンソン
 8位   ロッキー・マルシア
 9位   ラリー・ホームズ 
10位   イベンダー・ホリフィールド
マイク・タイソン
スーパースターの光と影。スポットライトを浴びる量が増えれば増える程、影もまた大きくなっていく。
マイク・タイソンほどその影の部分が強調されるボクサーもいないだろう。
マイケル・ジェラルド・タイソンの世界デビューはセンセーショナルだった。
86年11月トレバー・バービックを鮮やかな2回TKOに下し、WBC世界ヘビー級王座へ。
20歳4ヶ月の史上最年少ヘビー級王者が誕生した。アリ・ボクシングに欠けていたもの?
パワーと迫力を再びヘビー級に持ち込んだタイソンの登場は、時代の潮流として必然だったのかもしれない。
87年にはWBA王者ジェームズ・スミス、IBF王者トニー・タッカーを破り3団体の王座を統一。
90年2月、”世紀の番狂わせ”でジェームズ・ダグラスに10回KO負けで王座を失った。
私生活の乱れから、ボクシングにも狂いが生じたのだった。
ついには婦女暴行罪で収監され、4年間のブランクまで作ってしまう。
95年に復活したタイソンは、翌年3月フランク・ブルーノを3回TKOで破りWBC王座にカムバック。
半年後にはブルース・セルドンに1回TKO勝ち、WBA王座も手に入れた。
そして11月ホリフィールドの執念の前に番狂わせの11回TKO負けを喫する。
97年の再戦では有名な”耳噛み事件”で失格負け。ライセンスもサスペンドされた。
99年のカムバック後、順調に白星を積み重ねルイス挑戦も視界に捉える位置に上がって来た。
しかし、ここに来てまた私生活のお騒がせが増えている。
ルイス戦の勝敗の行方は、タイソンの”自らとの戦い”の如何によると言ってもいいだろう。
ー52戦48勝(42KO)4敗1NC。

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2004年06月14日(月)
1168, 笑いについてー2

笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。
とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、
可笑しいことはない。深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。
また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。 私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。「新婚さん、いらっしゃい」 「笑点」「からくりTV]前日に録画した
「BS笑点」である。笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。
とくに笑っている時間は人生で最も貴重な時間帯の一つである。
「笑え、笑え、もっと笑え!」笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。どこの国でも「ジョーク」がある。日本では落語があったし、
川柳もあった。これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。

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2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」?2

「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして、
悔いのないようにもてなしなさい」という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。 
そうすると、飲み方が変わるのだ。ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。
一回ごと徹底的に割り切って飲む。店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけの事を言っているのではない。
言語学者西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に「ことば」はその場、その時、一回限りである、
という趣旨のことがあった。
 ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、
これも当然違ってきます。また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・
 以上のとおり、ことばも一期一会である。もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。 その意味でー事業百訓というカタチで、
その時々に書き残してきたことも一語一会を記録してきた事になる。この随想日記もそういうことになる。

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2002年06月14日(金)
437,地球に気が満ちている

朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。
一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。
ワールドカップはサッカーを通した国家間の戦争ともいえる。
オリンピックは多くの競技で行われるが、サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。
それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。
少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。
庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも俄かファンになってしまう。
その為か見ている自分にまでも、そのエネルギーが流れてくる。
地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。これからは勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。
フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。
これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よいバランスである。

・・・・・・・
2001年06月14日(木)
[52] つれづれに

情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。
共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?も壊してしてしまった。
情報端末の究極は携帯TV電話だという。これが普及はじめる3?4年先は想像不能だ!
この秋玩具メーカーから7?8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機になりかねない。
ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、
自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。