* オバサン前段階のアラサーとアラフォー
   ―女の最後の輝く時ー
 
 最近、アラサーとアラフォーという言葉がマスコミ上で目に付くようになった。
40歳前後の女性を指してaround 40を略してアラフォーという。
日本的風土では働く女性は「仕事と結婚」の両立が大きな問題になっていた。
しかしこの世代は、男女雇用機会均等法のもとで社会進出を果たし、自由に選択できるようになった。
しかし、これが人生の転機を遅くさせ、大きな問題になっている。
アラフォーはアラサーから派生した言葉。アラサーとはaround 30を略した言葉で「30歳前後の女性」を指す。
2005年の女性誌が使ったことから広まった。 彼女らは90年代中頃にコギャル文化を体験しており、
団塊ジュニアに続く世代区分としてアラサーを用いるようになった。
それに次いで登場したアラフォーの概念で、1964年から1973年に産まれた人となる。
 40歳前後は、オバサン化するかどうかの瀬戸際である。もう一度女として花を咲かせるかどうかの?
20年ほど前になるが、ある大手の保険代理店の支店長が言った言葉が印象的だった。
「女性の一番美しいのは40歳前後。その年頃の女性は人生の分かれ道、何ともいえない色気が沸きあがっており、
危ない時期でもある。 彼女らとは塀の上で仕事をしているので、一つ間違えると塀の向こう側に落ちてしまう」
そういえば、スナックなどのアルバイト女性に、その頃の女性が目に付くが、なるほど色気が満ちている。
しかし45歳を過ぎると同時に、坂道を転げ落ちるのように変化するのも事実。
 それにしてもアラサー、アラフォーとは、上手く命名したものである。
《そこのお嬢さん! 鏡ばかり見てないで(外装だけでなく)内装も手入れしておきなさい!》
  最近は、お兄さんにも言えるが!

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2589, 日本の真実
2008年05月06日(火)

  「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」の警告が、あまりに当たっているので、
   副島隆彦の「日本の真実」を、アマゾンで買って読んでみた。
  「日本はアメリカの属国、日本の支配者層は、その傀儡の売国奴でしかない!」と、
   辛らつに切り捨てている。 また、そう直視すると見えない真実が見えてくる。
   角栄や栄作など、隷属国家の悲哀を一番良く知っているのだろう。
   角栄と、福田赳夫アメリカに呼びつけられて、ある人物に大声で怒鳴れれている現場の
   生々しい話を聞いたことがある。二人が震えていた姿が痛ましかったとか・・・
   しかし、その御陰で、アメリカ型消費社会を享受することが出来たのである。
   その毒饅頭のおかげで、脳までやられてしまったのが現在の日本の有様である。
  ーまずは、その概要からー
  「最高支配層だけが知っている日本の真実」  ー副島 隆彦 (著)
   ー表紙裏の「著者からのコメント」が面白い!ー
 本書が提供するのは「日本の最高支配層の人間たちだけ」が知識と情報として占有し、隠し通し、
一般国民には絶対近づくことをさせなかった諸事実である。なぜ一般国民には大きな事実が知らされないのか?
その理由は、現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の属国群のひとつであり、しかも属国の優等生として卑屈極まり
ない現状にある私たち日本国の支配層の人間たちが、帝国からもたらせれる高度の情報と知識を独占することによって、
それら最高情報が生み出す価値を自分たちだけで享受し、そのことから来る圧倒的な優位性によって
国内権力者層として存在しているからである。だから、これらの秘密を公然と暴き立て、一般国民に知らせ、
広めることが、私たちの日本国にどうしても必要なことである。
そうすることで、一方で帝国から常に脅され、脅かされている現在の惨めな彼ら指導者たちと
一般国民の間に壁が消えて、日本人が一致団結して、国難に立ち向かうことができるのである。
                     「編著者のことば」より
  ー目次
1 安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」
2 大衆世論を操縦せよ!?「郵政洗脳選挙」と「広告プロパガンダ代理店」
3 遅れて来た「拝金主義」?外国勢力に踊らされ続ける日本人
4 日本銀行ロスチャイルドがつくった?明治日本のドンは、仏ロスチャイルド家の承認を受けて日銀を設立した松方正義である
5 世界の歴史をカネで動かす男たち?国際エスタブリッシュメントの金融支配
6 秀吉の金、信長の金?イエズス会の黄金輸入利権と「銀の島」日本から流出する銀
7 女王陛下の明治維新
8 日本海海戦イギリス海軍の観戦武官が指揮していた
9 ロックフェラーが仕掛けたウォーターゲート事件
10 「ロッキード事件」におけるザワザワとひろがる真実
11 「愛の思想」で新自由主義から身を守れ
 ーーー
ー要点の何箇所か書き写してみるー
・「第二次大戦以前はイギリス、後にはアメリカという覇権国家を実質的に牛耳る世界の金融を支配している人たちが、
 自分達の利害計算に基づいて、中央銀行(つまり通貨発行権という絶大な権力)を手中にし、マスコミを操り、
 政府中枢にも直接的・間接的に自分達の意に沿う人材を送り込み、その覇権国家を意のままに動かして、
 戦争と、謀略や外交その他戦争以外の手段を用いさせ、彼らの政治目的(利益の永続的獲得)を達成するために
 行動して来たのが、この世界の近現代史
・「現在の日本国政府首脳がアメリカ合衆国の首都のワシントンで行なっている。
 日本はアメリカへの朝貢国であり、属国である」
・「紀元前後からの二千年間は中国歴代王朝の藩国・冊封国であり、
 ペリーの黒船来航以来の百四十年は、アメリカと西欧列強の属国であった」
 ーー
 そのアメリカがサブ・プライムローンで、これから十年は大不況になるのだから、
 日本は、最悪の状態を覚悟しなくてはなるまい。
 バブル崩壊の後の惨状より、さらに厳しい事態になる、ということである。
                
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2007年05月06日(日)
 2224, 自分の居場所ヽ
         (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ    
  
昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。
八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、大所帯の中で独りで自分の居場所を何時もつくっていたためである。
その条件が、誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けさせていた。
人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。
両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。
その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、バランスが崩れてしまい、自己嫌悪になるケースが多い。
その根本が、親への愛情に対する不平不満である。愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、
何処かに母の存在を求めて居場所の確保追われることになる。(これは当人は気づいてない)
その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。
その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と、
自分の心の奥で悟るしかない。その心の在りかたが、解決になる。
それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。
自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。
その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」と同じ心理状態となる。
たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。
反対に親に自分をからみ取られて、母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺の
ザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、自分の人生は無かった?という虚無感である。
私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。
そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、
後悔はないが・・・。

                  • -

ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に?
 居場所づくりとして何をしてきたかというと、
・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、人によりそれぞれ違う。)
・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころなる
 愛読書を置く。現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に4冊以上の本を携える。座った席がそれだけで自分の居場所になってしまう。
・そしてコーヒーのセット。
・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。
私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。
地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 
面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・
                                ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪
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2006年05月06日(土) 1859, 体罰は教育?
              才八∋ウ_〆(∀`●)
昨日のモーニングショーで、最近釈放されたばかりの戸塚ヨットスクール戸塚宏氏と
タレント系?のヤンキー先生の討論をしていた。ミスマッチといえるほど戸塚氏の方が一方的な内容で、
老教授が若い学生を教えているようであった。(ヤンキー先生=ヤンキー上りが売りで生徒をみちびく教育をしている)
「目的は、体罰そのものではない!体罰は本人の行動を導く為の一つの手段でしかない。
親がとことん力を尽くして、それでも無理な子供を作り直している」等々、
聞いていて一言一言が深い経験を通して得た理論だけに、説得力のあるものだ。
ヤンキー先生の彼なりの手法もあるのだろうが、二人の経験の量と質の差は致し方ない。
戸塚氏の「自分のところに入れて鍛え直して、親を超えさせて家に帰すことだ」という言葉もよい。
親そのものに問題があるのだから親を超えさせないと、一時しのぎになってしまうからだ。
最近の若い人は、親から怒鳴られたことがないのが多い。研修期間で少し厳しいことを言うと荷物を持って帰りかける。
社会教育は本来家庭で親がするものだが、最近では会社がせざるを得ない。  
 『日本よ』で掲載されたものである。 同感である!
  ーー
2006年4月3日発売の産経新聞より転載 産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
                  まあ茶でも!~~旦_(。-_-。)
ー 日本よ ー 石原慎太郎
「失われようとしている子供たちのために」
 生徒の死亡事故の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。
 (以下、字数の関係でカットしました。2008/05/06)
                   ヾ(^ω^*) バイ
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2005年05月06日(金)
1494, いま・現在について?2
「どうせ死んでしまう」?1  ー読書日記ー         
 ー私は哲学病ー

究極の、刹那的な言葉といえば[どうせ死んでしまう]である。「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。
しかし、尽きるところ、それである。「いま」を考える時、キーワードとして「永遠」がある。
しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。生は限られている。
所詮はどうせ死んでしまうのである。それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。
個々人にとって、自分の死が基点になる。自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。
目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。
最後と覚悟した花火や花見の中に永遠を見るのである。その死にたいして誰もが根本的に不安がある。
その不安はどこまでも付きまとうものである。
その不安に対して、宗教が昔から死の向こうに来世を設定をして人々の心に秩序を与えようとしてきた。
しかし、来世だけでは理屈に合わない。現世にも秩序ある生と死の意味をつくらなければならなくなった。
哲学は、それを言葉で徹底的に追求しなくてはならない。
この人(中島)の哲学視点はリアルで露悪的であるが、その辺が私は好きなのだ。
 以下は、面白そうなところを抜粋してみた。この連休の暇つぶしに、パソコンに打ち込むのに丁度良い。
 ーーーー
・・学問や芸術に専念しているものたちよ、あるいは社会的に有益なことをしていると自覚している人々よ、
なかでもその仕事が世間的にわずかでも評価されて幸せを感じている輩よ、
いちどすべてを無理にでも反省してみたらいかがであろう。
そのために費やした膨大な時間(青春)は、はたして無駄ではなかったのか。
あなたがそれをする必要があったのか。あなたがしなければ、何か困ることでもあったのか。
あなたがしなければ、ほかの誰かが(ずっとうまく)し遂げたのではあるまいか。
つまり、その仕事は、あなたにとってのみ、あなたの生き甲斐としてのみ重要だったのではあるまいか。
  ー字数の関係でカットしました! 

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2004年05月06日(木)
1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー2
 谷沢永一 2000/10/19『PHP研究所』 

二年前に書いた文章の続編である。図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。
先日おなじ本を借りてきて、以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、二年前に書いてあった。
『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より知っておくべきことと、前の文章(あとでコピー)を読み返して、
つくづく思った。知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。こういう知識に対して無知の人が
あまりに多い。他人事でないが。『すべきこと』も、まったくそのとおりである。
ー以下は
「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。
ーすべきこと(抜粋)
 ・真の友をもつ ・人生設計を立てる ・生きるためのお金を得る ・本を読む ・夢をもつ ・感動
 ・人生のブレーンをもつ ・結婚 ・趣味を持つ ・前向きに生きる ・一人旅 ・音楽を聴く ・失敗を経験する .
ーしなくていいこと(抜粋)
 ・分相応 ・世間体をつくろう ・他人と比べる ・出世競争 ・嫉妬 ・功績を誇る ・不正をただす
 ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.
ーしてはいけないこと(全項目)
 ・言行不一致 ・頼み事 ・金を借りる・子供を私物化する ・自分がされたくないことを人にする・運のない人とつきあう 
 ・卑屈な生き方 ・自分の欠点をかなしむ ・マイナス条件を数え上げる ・知識を誇る ・嘘をつく
ー後記
 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、以外と平気で借りにくる人がいる。
 そこに甘さが、ありありと出ているのが本人には判らないのだろう。
 ・「運のない人とつきあう」これも然りである。 冷たいようだが、絶対に近づけてならない。
 必ず酷い目にあう。周辺の人を巻き込んでしまうのだ。自分が不遇の時は、逆に人に近づかないことだ。
 ・「知識を誇る」も、ひとつ間違えばしてしまうことだ。この随想日記も、それに近い行為なのかもしれない。
 自分の知識蔵庫として貯めこんでいるのだが、知らないうちに『誇って』 いるのかもしれない。
 「随想なんて、けっきょくは自慢話でしかない」と誰かが看破していたが。
 
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2003年05月06日(火)
762, あるホームページ
 (字数の関係でカット2,008年5月6日)
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2002年05月06日(月)
398,新潟駅前界隈ー2

ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。止めるに止められない状態といってよい。
以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。
二軒目も4000円か5000円止まりである。彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。
でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、一般の飲む基準になっているという、それも週一度。
店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、彼らは自分の都合でお客を見ている。殆どの店が死に瀕しても、
その視線を捨てる事が出来ない。さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。
彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで借金を返す世界があるという。
飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという?
ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。
一回だが何処かのママに言われたことがある「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」
それが金があれば考えてもいいような絶世の美女! 違う世界の話しでしかない。
やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが?
しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。
 以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておきます。
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  H0603ゴネ社会のカラス達
 ラジオで鳥学者のカラスの習性という話題の中で印象的な話があった。“牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、
というだけでおそいかかり、時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。”この新潟駅前花園地区近辺は、
ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。
飲食関係者とかミニオーナー達が「自分達も何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろう」
とうごめいている。全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。
その為にそのカラス達は飲食組合や、町内会の役員をまずねらうという。
考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。
今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。但し今回は比較的うまう納まったが。
第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを、すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。
(店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。
当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。
これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。
“隣地境界は絶対に攻撃してはならない”あたり前の事がどうしてわからないのか。
人間の心の中にサド的なものが、悪魔が秘んでいると工事の度に思いしらされる。

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2001年05月06日(日)
ホームページの可能性

ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。
貧しい?内面と過去の公開といってよい。特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。
もしHP?ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後にコピーした
久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。
これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。どうなっていくか楽しみだ。
?>?>?> ホームページとは        (久垣啓一)
ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
ホームページは、巨大なデータベースである。
ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
ホームページは、家族の関係を豊かにする。