毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。 
そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)前日の試合の感想を書いてきた。
それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中での勝負であった。
最後の最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、見ていて感動的だった。
 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、
鈴木も準々決勝で敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。
この試合は体重別でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。
次の主役が穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 
毎年のことだが死力を尽くしきった試合は心を打つ。 また、今年勝った、穴井が
優勝をして男泣きしていた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。 
石井が去年のオリンピックの金メダルを取った後の引退騒動。 彼によって柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。 石井の醜態は、柔道そのものを汚した反面、
世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応してオリンピックで優勝をした実績は実績である。 
 ところで毎年書き続けてきた文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、
自分自身を試合を通して合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを
書き続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
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この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた文章を目にしないで書いている」
など、同じ文言が書いてあったが、決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。

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2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権

毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、異常な熱気に包まれる。
日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に勝つことを重要視している。
今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も熱気に満ちた劇的な試合が続いた。
特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上康生と高井戦が劇的な戦いであった。
それまでの全てをかけた男同士の極限の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、私は違う。
試合は、石井の準決勝に引き続いての後味の悪い内容だった。
相手に技をかけさせないで、焦りを誘い僅差で勝つ作戦。 21歳の若さの男の戦いではなかった。
解説者も準決勝を見ていて、これでは勝ってもオリンピック出場も微妙でしょうと、怒りを顕わにしていた。
ところが決勝も先に技ありを取った後に、反則ギリギリに逃げ回っていた。
解説者が怒り心頭に「これは全日本柔道の決勝の内容ではない!」と吐き捨てる解説。
そして石井が勝った瞬間に、涙がボロボロこぼれた。初めは嬉し泣きと思っていたが、
優勝インタビューでは、「自分の試合内容が惨めで悔しい。恥ずかしい。」
と大声を出して泣いたのである。 表彰式も、会場が白けた雰囲気であった。
全日本柔道選手権を30年来見ているが、いや他のスポーツの優勝インタビューで、大の男が自分の試合の内容の
悔し涙を出して語るのは始めてである。元々、そういう試合をする選手だったが、
自分でも解らないうちに試合の展開上、身体が勝手に、そう動いてしまうのだ。
それだけ、真剣勝負のプレッシャーの中で、勝つという一点に気持ちが向いているのである。
特にオリンピックでは彼のような戦術が必要である。何とも印象深い大会であった。
井上康生選手については、語る必要がないだろう。 ハングリーが、背景にないと勝てないということだ。
書き終えて、気づいたことだが昨年を除いて毎年、この日本柔道選手権の総評を書いていた。
なるほど言葉に残していると、過去の自分に出会うということである。

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2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり
                  (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪    
団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー

2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年から定年を向かえるのでタイミングがよい。
これもまた買うほどでないので、ネットで概要を調べてみた。 時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、結果として格差がついても、
時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的にみても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。
格差がついたとしても、それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、問題は子供である。
それが大きい!が、 しかし、どれが如何した!と言えば、それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な数字を基に、
団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
 
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、 ・不倫したことがある28%なども含まれている。
下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、
  収入のためというより、社会貢献の一環として、好きで働く層。
  職業を卒業した場合は、ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、
  自分の好きなように、自由に、有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、
  シニアになっても職業を得ている階層。 例えば、労働基準法の改正による、
  会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る職業に就くことも難しい層。
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 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。
  著者があとがきに記している次の一文が、それを端的に表している。
*「団塊世代はマスメディアによってつくられた大きな虚像である、という側面があるのではないか」。
 当然ながら、この世代にもいろいろな人がおり、‘リッチな趣味の人’というのが平均的な姿ではない。
*「男性の個人所得」には大きなバラツキがあり、「高所得1割、中所得7割、低所得2割」になっている。
  定年を前にして「所得150万円未満」の人たちが1割いることを見ても、団塊世代の殆どはリッチ」でない。
 「貯蓄500万円未満」が4割、「退職金なし」が35%。その一方、貯金も退職金も多額の額という人たちもおり、
  社会問題になっている「格差」「二極化」が進行している。
*「夫婦関係」というと。「世間のイメージはまあまあ正しい」と言えない。
 「女性のほうがより離婚願望が強めであることはたしか」「定年と共に捨てられる団塊男性が増える」と分析を行う。
  自分たちはがむしゃらに働きながら、しかし
*「本当は好きなことを仕事にするのがいちばんいい」という価値観を持っているこの世代の人たちは、
その夢を自分の子どもに託す傾向が強いと分析。
 「ムリに嫌な仕事をする必要はない」「自分に合った仕事をゆっくり探しなさい」
  と言われて育った子どもたちは、“自分さがし”から派遣、フリーター、ニートの道を歩むことが多い。
 
団塊世代の子どもの3割(在学者を省く)が非正規雇用者という。妻は離婚願望を秘めていて、子どもはフリーター。 
団塊世代にもひとつだけ胸を張れる点があるとすれば、「仕事人生に満足」という人が過半数を超えていること、
そして、仕事に対する満足度には学歴でほとんど差がない。所得や職業に学歴が決定的な因子ではない。
学歴にかかわらず階層の上昇が可能だったことも、調査結果は明らかになる。
彼らには自分のやる気や努力ひとつで人生を変えられる、という自己決定権が与えられていた。
「自分の人生は自分のもの」と思い込む自由は、手にしていた。これが、自分の階層が親の年収や学歴で
あらかじめ決められ、そこから這い上がるのが困難ないまの若い世代とは、決定的な違いなのである。
 ーーー
 以上が著者が描き出した「団塊世代の実像」である。
私の見たところ、「質的に元々格差がついていた」のが、そのまま結果となっただけ!
分別される中学校の同級会や同期会に出ると、そのことを感じとれる。
この年代の二年先を露払いをしてきただけに、非常に興味がある問題である。
ただ、収入や社会的活躍だけで、その人の価値をハカルのはどうかとおもうが。             
しかし、あながちピンとが外れてもいない。 受けとめ方、受けとめ方、それぞれの!  
                     (*・ω)ノβψε★βψε
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 2006年04月30日(日)
 1853, 全日本柔道選手権
      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
毎年、4月29日は全日本柔道選手権が行われる。この数年来、このテーマで書いているが、
前年度を全く読み返さないで書く。その後以前の内容を読むと面白い。同じ日に同じテーマで書いていると、
その時々の選手の力関係だけでなく、それを見て書いている自分が見えてくる。
別に柔道が格別好きということではない。一年に一度の大勝負の真剣試合だから面白いだけだ。
年末の全日本相撲選手権も同じである。この大会は、階級別でないのが面白い!
今年の大会は、前評判の選手が順当に勝ちあがってきたが、19歳の最年少、
初出場の石井選手が初優勝をした。決勝戦は優勝最有力の鈴木桂治選手が勝ちあがり、
有力選手の中では伏兵の石井選手と対戦をした。最終まぎわまで鈴木選手が一方的に
攻めていたが最後の4秒前に、石井の捨て身の技で敗れてしまった。勝負とは面白いものである。        
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒー 
もっと面白いのは、優勝インタビューで
「自分は、この優勝より近くに行われる次の団体戦に焦点を合せているので、気をぬかないようにします」
と答えていた。聞きようによっては日本の全柔道人を馬鹿にした答えである。
何を自分が成し遂げたのか解っていなかったのだろう。
大相撲の朝翔龍が、日本的儀礼を小馬鹿にして根こそぎ権威とやらを叩き壊したのに類似している。
それと、苗字に「井」という字がついている選手が多い。井上、高井、穴井、石井と。
昔、プロ野球国鉄に「田」がついている選手が多かった。金田投手がいた頃だ。何か?あるというが。
あるセミナーで、講師が「参加者の誕生日を、これから聞きます。必ず同じ月生まれの人に偏っているいるはずです」
と言って、それぞれの月ごとに挙手をしたところ、極端な偏りがあった。 話題が逸れたが! バイバイ♪(ノ´∀`*)ノ     
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 以上を書き終えたあと、以下の文章を読み直してみたが、数年来、出てくる選手の顔ぶれは変わっていない。
 鈴木に、棟田に、高井に、穴井とベスト8に出ていた。井上と、棟田の力が落ちてきたのが、流れから見えてくる。
 高井が次の有力選手と思われていたが、石井が割って入ってきた結果になった。
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  2005年04月30日(土)
  1488, 全日本柔道選手権ー4
この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。今年も書かなくては気持ちが悪い。
毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。
棟田選手も早々と負けてしまったし、若手の高井選手も元気がなかった。
そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。いつの時代にも必ず若手でいるものだが現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。仕方がないのだろ。
今年の総評も、書くほどの内容はなかった。相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって
選手のレベルが決まってくる。そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。
この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが落ちていくのが解る。
桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。
この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている自分が其処にいる。
それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。
読み返してつくづく思う事は、とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は自分の気持ちの刻印になる。
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 2004年04月30日(金)
 1123, 全日本柔道選手権ー3
今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。
なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。
これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえばやはり順当というところであった。 
負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに出場できるから、このオリンピックも
期待できるようになった。当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら
日本の重量級を引っ張るだろう。これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。
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 2003年04月30日(水)
 756, 全日本柔道選手権?2
去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」がある。勝てば天皇杯をもらえる。 
毎年必ず楽しみにしてみている。無差別でおこなわれるのが面白いし、毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と ・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。 篠原は僅差で負け引退をした。
去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが早々に負けてしまった。感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。
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 2002年04月30日(火)
 392, 「全日本柔道選手権」ー1
4月29日といえばこれである。この面白さは体重別でない事だ。軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」
ところにあった。それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。その人が2?4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。
この試合が近年まれなるよい試合であった。両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。
一?二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。ああそれと鯉のぼりだ。