2003年02月13日(木)
680、自殺志願

昨日の朝のニュースで自殺志願を報じていた。
インターネットで知り合った若い男女3人が自殺をしているのが発見されたという。
インターネットの検索で自殺志願のキーワードを入れてみたら、あるホームページに、
すばらしい文章が載っていた。 以下をコピーしておく。
 ・・・
 私は死に場所を探していた。脱サラして始めたラーメン屋も、思うように上手くいかずに借金だけが残り、
40を過ぎてやっと手に入れたマイホームも、結局、手放す羽目になってしまった。
働き口も、そう簡単には見つからない。妻も私に愛想尽かして家を出て行き、弁護士まで立てて離婚を迫ってくる。
子供達も皆、妻の味方だ。今の私にあるのは借金だけで、他にはもう何もなかった。
夢も希望も、明日を生きる気力さえ残っていなかった。
「ここにしよう。」私は、自殺の名所で知られる、断崖に立っていた。ここから飛び降りれば、簡単に死ぬことが出来る。
一歩、足を踏み出せば、もう苦しむ必要はない。日が沈むのを待って実行する事にしよう。
沈む夕日は、私の心を穏やかにした。そして、この夕日が消えた時、私も人生を終えるのだ。最高の演出じゃないか。
「おい!」 私はビクッとして振り返ると、一人の老人が立っていた。顔を見て、更に驚いた。「親父!」
夕日のせいで、ハッキリとは見えないが、間違いなく親父だった。10年も前に死んだはずの親父が、
何故こんなところにいるのだ?「そう見えるか。」親父はそう言いながら、私に鞄を差し出した。
「5000万円入っている。使え。」私は訳が分からなかった。夢でも見ているのだろうか?
「これは貸すんだぞ。20年後に、ここに返しに来いよ。まったく、金のせいで命を捨てるなんて、
バカらしいと思わんか。」 夕日が沈み、辺りが暗くなると、親父の姿はもう消えていた。
だが、札束のギッシリと詰まった鞄だけは確かに残っていた。
それから私は、その金で借金を返済し、一生懸命に働いた。親父との約束を果たす為に。
妻とも一度は離婚したものの、数年後に復縁した。子供達も結婚して幸せな生活を送っている。
そして、瞬く間に20年の月日は流れた。私も70を過ぎ、物忘れが多くなったものの、親父との約束の日が
今日だという事は、ハッキリと覚えていた。私は必死で働いて貯めた金を鞄に詰め込むと、
あの時の断崖へと向かった。約束を果たす時が来たのだ。

丁度、あの時と同じような夕日。本当ならもう死んでいたはずの自分が、こうやって、またここにやって来た。
何やら不思議な気分だ。そして、親父はまた現れるのだろうか。夕日が海に沈み始め、辺り一面がオレンジ色に染まる。
その中で座り込んで沈む夕日を見つめている男の姿が見えた。すぐに分かった。親父ではなく20年前の私がそこに座っていた。

ー感想を書いてみるとー
父親が現れて与えた5千万円は希望・意志ではなかろうか。
「20年後に約束どおりそこに行くと、若いときの自分がいた。
そして当時の自分に声をかけたのが父親でなく自分であった。」という落ちがよい。
死ぬほどの苦しみ絶望も、人生で経験しなくてはならない事だ。5千万に匹敵する事かもしれない。
丁度その時の彼にとって、苦しみを超えた意志こそが5千万の価値があったのだろう。
 ・悪魔の囁き・
ーこれを書いているのは宗教系の巧妙な餌ではないか?ともウガッタ見方もできる。
これを求めてクリックしていったところが、危ない商売の宗教の「??学会」だったり、
「??の科学」だったりする。カルトはやるから、そのへんは!!
自殺よりは、それでもいいかあたりがオイシイ餌だから。簡単に自殺など考えない方が良い。
「このカルト教団どもが、アフリカのエイズのボランテアをするか!」
自殺志願者は餌であっても救済の目的でない! 念のために!
 ・天使の囁き・
悪魔にだまされてはいけません! これは経験を積んだ人間しかいえない究極の救いの物語です。
この人にとっての究極の中から取った人生の真髄なのです。
もし貴方が「??学会」とかを自分の価値で切り捨てているならそれは間違いです。
それで救われるなら、その人にとってのベストなのです。それを乗り越えてこそ人生である。
のりこえる時の出会いがそれならそれで良いじゃありませんか!

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