2004年02月13日(金)
1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2

ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。
20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。
観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。
亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。
13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。
大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、手術のことや、現在の病気の状態を話していった。
「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的であった。
特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」
と言っていた。 まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。
「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」
と言っていた。その時ピンときたのは「実際にスキルス性ではないだろうか」という素朴な疑問であった。
数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、理由をつけて、会えるうちに多く会って
おいた方がよい」と電話をした。そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。
長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。半分は息子のような気持ちがあったのだろう。
昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。

大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。 
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるからを止めておく。
派手な、カリスマを持った、大姉御というのが正子さんの一生を貫いていた。
自分のステージを持った、本当に面白い人であった!

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