2005年01月29日(土)
1397, 相手の話の聞けない人

『相手の話の聞けない人』といえば、誰もがピンとくるだろう。
私の知っている限りでは、10人に1人あたりであろうか。隠れ何とかを入れれば、その数倍であろう。
それでも少なくなったが、今でも唖然とすることがしばしばである。相手のことが見えてないのだ。
この人はこういう人、あの人はこういう人という主観の思い込みが強いのだ。世間体に言えば
「頭ー固定観念ーが固い」ということだ。 地方の二代目に、こういうのが多いが。
身辺の長岡の二代目に、そのタイプにも多いが今では殆ど淘汰された?
いやこういう奴ほど、生き残っているか? 私もその一人なのだろうか?
「そうだ、そうだ。お前などもっと酷いものだ!聞いた振りをしているが、
結果的には唯我独尊で鼻持ちがならない!」という声が聞こえてきそうだ。自分の姿の変形の話でしかないのか。
学生時代に、相手の話を聞く訓練を公私でしたつもりであったが。しかし、他人の話でないと、話が続かない。
酒の席などで、特に出会うことが多い。何故、相手の話が聞けないのだろうか?
余裕がないのか、その訓練をするチャンスがなかったのか。その必要が無い環境で生きてきたためだろう。
もとめる姿勢が無いのが、そうしているのか。私が見る限り、それぞれ色いろあるのだろうが、
本をジックリ読んでない人に、このタイプが多い。また、多種の人間関係の経験が少ないためであろう。
口は一つ、耳は二つあるのは、話した二倍を聴くためだともいう。
しっかり聴いているが、見事に右の耳から入って左の耳に抜けていく人がいる。
他人事ではないが!実際。同じような内容を以前書いたので、コピーしておきます。

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2002/12/24
パタゴニア旅行記ー7 
−話しまくる人ー

今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。
500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のこと。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、一方的にしていてもう不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。
自分以外の世界を閉じてしまっている。三人のグループであったが、
その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。私など人のことをいえた義理でない、
他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。
人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
出羽の守という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界の世界に置き換えてしまう人だ。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもので、
自己対話という面で一種の自閉症のようなものか。人間その要素を誰も持っている。

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