2003年01月25日(土)
661,イチロウ−3

彼の話は過去に2回書いている。一つは、数字を書いたテニスボールをマシーンで
2百数十?で投げ込ませ見きわめる練習。いま一つは、小学生の時の日記だ。
最近ある新聞のスポーツ欄にイチローが連載していた中で、印象的だった内容があった。
アメリカの№1のピッチャーと対戦した時の話だ。
「№1の投手のときは、決め球を避けて失投を待つ。自分は違う、彼の一番の決め球を待つ。
投手は決め球を投げるために投球を組み立ててくる。勿論バッターはそれを知っていて他の球を打とうとする。
自分はそんな球に興味はない。 ただひたすら決め球を待った。そしてやっと来た、そしてそれを打った。」

超一流の選手でなくてはいえない言葉である。具体的に1球目、二球目と全てのボールを憶えていて書いていた。
その球を打つために何回も投手のビデオを見て、タイミングや組立てを熟知したうえに練習を重ねた言葉である。
彼の言葉から感じるのは、練習の裏づけと情報とロジックである。
その場面をきっちり理路整然と説明できて至極当たり前である。
右脳ーイメージと、左脳ー言語構造が両方交互に全開している状態である。
やはり天才であろう。自分でも天才かもしれないと書いていた。

あらゆる場面のことを明確に記憶をしていて、イメージとしても脳に残っている。
やはり集中力が異常に高いのだろう。柔道の山下の講演で同じような事をいっていた。
「相手の一瞬の動きに身体が瞬時に対応するまで練習をする。
考えてできるものではない。全ての行為は練習で完璧に出来上がっている。」
天才いや超一流の所以は、そこまで練習での基礎のレベルが高いという事だ。凡人はそこが見えない。

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