2004年01月19日(月)
1020, 人生とは

 いまさら人生論ではないが、あまり思い浮かぶことがないので思い浮かぶまま,生きてきて思うことを書いてみる。
まず思う事は、「人生には無駄なことがない」ことだ。マイナスに思える中にプラスがあり、プラスの中にマイナスがある。
むしろマイナスと思える中にこそ、真のプラスが隠されているようだ。
 それはマイナスの方が対象をしっかり吸収する為である。失恋旅行の方が、対象と一体化をすることをみてもそうだ。
小説も音楽も、絶望の中で聴いたほうが心に沁みとおる。無駄が無駄にならないのが、人生の意味深く、
味わい深いところである。特に若い時の無駄が深い意味を与えるものだ。
浪人とか長期療養や大学中退などは、その人にとってプラスになることが多い。
じっくり本を読んだり、将来のことや見失っていた周囲のことが見えてくる。また我慢強さが出来てくる。
 マイナスをプラスにする力が年齢を重ねると段々ついてくる。
この力こそ一番重要な要素である。この力には前向き、積極性、陽気さ、そして集中力が付いてくる。
「知識を多く知っていることが大事でない。美しいということを美しいと思えることが大事な事」
という意味がよく解る年齢になってきた。また「生きているということは凄いことだ」と思う。
目的をもって、崖っぷちにたっている時こそ「生きている」経験をする。
「人生を商家の一代目、二代目、三代目と考えると面白い」とか。
30歳辺りまでが一代目ー商売の基礎作り、50歳辺りが二代目ー必死に維持拡大。
その後が、全てを遊びに昇華して、過去の蓄積を楽しみ尽くす・・・
 なるほど上手いことを考えるものだ。馬鹿三代目にも、それなりの役割があるんだ。
人生50〜60歳以降は馬鹿三代目として楽しむこと。「人生晩期は三代目論」か!いいね!
ーホームページの検索を調べたら、あったあった。底が浅いのか、本心の深いことなのか?解らない。

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2001/12/21
[51] 無駄な事なし

人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと姉より死後聞いてが、
立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?
という気持ちになってしまうのだろう。   2001/06/13

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