2008年01月19日(土)
2481, 9・11事件について
                 ー ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
2001年の9・11事件が、大きく時代の流れを変えてしまったが、その意味について、日本人の視点で解りやすく、
納得した言説に初めて出くわした。なるほど、知らないうちにアメリカよりの立場で、テロを糾弾する内容の記事や
解説ばかり聞いていたことに、これを読んで気づかされた。アメリカの日本に対する露骨な植民地的な対応に、
そろそろ一歩も二歩も離れなければならない時節に来たのである。敗戦から60年以上経ったのである。
サブプライム問題で世界にアメリカの正体が露呈してしまった、この機会こそ距離を置くチャンスにもなる。
−以下は、説得力のある論で           ー「存在の大地」ー高史明+芹沢俊介上田紀行著 
P−12 
 *上田紀行
ハワイもアメリカの領土とはい、本土からは遠く離れている。
それでも、アメリカ人はハワイを日本が攻めたということを今でも忘れない位にショックを受けたわけですが、
とにかくアメリカの本土が攻められ中核が射抜かれることはこれまでなかったわけです。私はそのアメリカが、
それもニューヨークのど真ん中に攻撃を受けたことに関して、これは文明的な意味があるな、と思ったわけです。
というのは、アメリカ自体は自分が攻められた痛みを知らないということが、ありますし、
何よりもアメリカの現在の資本主義体制に関わる問題を突きつけていると思ったからです。

アメリカの資本義体制というのは、世界をどこでも等価にしていくという性格があります。
つまり、資本主義の成り立ちを見てみれば、かつての産業資本主義の時代、
実際にモノが動いていた時代の資本主義というのは、例えば中近東で石油が採れ、
その石油を運ぶのに何カ月かかかるといった、大地とのつながりがまだしもあるわけ。 
もちろん農産物も大地から生まれてくる。しかし、いまのアメリカの好景気を支えている
ITに関していえば、情報がお金を生み出すわけですね。株などを見てもコンピユーターの
画面上でワンクリックすればロンドンに置いておいたお金が瞬時にニューヨークに移り、
ニューヨークが駄目となれば東京に移り、第三世界が有利だということになれば、
どこかの第三世界の市場に投資できるというような性格がある。

つまり、アメリカを中心とする資本主義が、まさに大地というか私たちの故郷性といったものから切り離されている。 
私たちはどこから来てどこへ行くのか、どこに出自があり、死んだあとはどこに行くかというようなことから全く
切り離されているわけです。世界中はどこでも等価であり、儲かる所であればどこにでも行くというように、
大地とは切り離された形でお金が回っている。そこでいくら儲ければ勝ちだ、儲かった者が勝利者だというような
価値観が主導してきた資本主義がニューヨークを中心に築き上げられ、繁栄を謳歌してきたわけです。 
私はテロリストを擁護するわけではありませんが、そうしたニューヨークに突っ込んだ飛行機というのは、
我々には我々の土地があり、民族があり宗教があり、アイデンティティがあるのだという主張でしょう。

世界は等価ではなく、国なり民族なり宗教なり共同体なりといった
土地の論理に対して、等価の論理が侵犯してくることは許せないのだという主張が、
テロという形で打ち込まれたと私は考えたわけです。
それからのアメリカの対応は、そうした土地の論理を一切無視するという形で、
自分たちより百倍もこ百倍も貧しい国に対して、ひたすら空爆を続けてきました。
しかも自分たちを正当化しテロは「絶対悪なのだ」と決めつけ、なぜ悪が生起したのか
「悪は滅ぼされなければいけない」という論理のもとで攻撃が行われたのです。
そうしたアメリカを我々が非難することは簡単ですが、考えてみれば、
アメリカ的な生き方やその背後にある現代の資本主義のあり方は、アメリカのみならず、
私たち日本人にとっても他人ごとではありません。あるいは世界を覆っているすべての人についても、
そちらの方向を目指している意味においては他人ごとではない。
 ーーー
世界を等価しようという考え方は、アメリカの支配そのものになる。
事実、その一歩手前?まで、一時期すすんだが、それも終焉しつつある。
それが今年から本格化してくるのである。
                        バイバイ *´・ω・)ノ
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