2007年01月10日(水)
108, ゾンビの群れ
         オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 ー団塊世代の大量退職とゾンビ化について

一昨日、NHKスペシャルで「団塊の世代」の大量定年を向かえるにあたり、意識調査をしていた。 
途中からパソコンを打ち込みながら見ていたが、何かイマイチの番組であった。一年早く還暦をむかえたのでいえる。
第二次大戦後の時代の象徴が彼らだったが、第二の人生は厳しいだろう。
右倣えのマニュアル人間で、孤独、孤立の訓練の経験があまりに少なかったからだ。
「自由の恐ろしさ」と、「自由の不自由」を経験することになる。 これだけは訓練と経験を重ねるしかない。
彼らの一時収容所のようなサークルをTVなどで見かけたが、「ゾンビ化した集団」でしかなりえないのは、
少し理屈をこねれば解ること。 孤独にきらないで、徒党を組むからゾンビの集団になってしまう。
ゾンビは今さら他に当てがないから、そこに集まるしかないが・・・ 
             *ここでいうゾンビとは「夢も魂も愛もなくした人間の抜け殻」をいう。
団塊の世代の中の生存競争で戦い、生きてきた人にとって一人で行動する訓練が必要になる。
そこで、まず独り遊びの訓練が入り口になる。独りでパソコン教室に行き、独りで飲みに行き、独りで図書館に行き、
独りで目星をつけた趣味ー茶道・絵画・作文教室などーの教室に行き、そこで自分の道を求めることが、まず第一歩。
説教にになってきたが・・準備をしてこなかったので、今さら無理?。

TV番組の中で電話インタビューを聞いていて、何か哀しくなってきた。仕方がないといえば仕方がないのだろうが・・
渥美清が、『何故、人は徒党を組んだり政治的になるのだろう?
孤立(孤独より具体的だが)しないと、人間は物ごとが見えてこない』と言っていたが。
それが以前にも書いたが、ゼロを基点とした孤独である。そこで非人称の自分と出会うところである。
   一人称ー>私、
   二人称ー>貴方、
   三人称ー>彼ら・・・
   非人称ー> それ以前の共通している意識ー能作
いちど、二人称、三人称を切り捨て、一人称と、さらに非人称のゼロ基点の自分に向きあわないで、
何で群れようとするのか?その群れには虚しさしか有りえないのに。
その虚しさが哀れということ。ゾンビ化した群れ、魂の無い集団の群れ!
ゾンビは群れないと息ができないのか。 直ぐに哲学的になってしまうが!

           (^o^)dバイー♪
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