図書館で何気なく手に取った本の中に「犬の時間」と「猫の時間」という言葉があった。
犬は、人間に飼いならされ忠犬ハチ公ではないが、決まった時間に決まった行動をする習性がある。
これに対して猫は気の向くまま気ままに、時の流れにまかせて一日が何となく過ぎていく。
人間の生活の中にも「犬の時間」と「猫の時間」があるのではということだ。
会社では「犬の時間」、自宅は「猫の時間」。
会社勤めは「犬の時間」で、定年後は「猫の時間」ということも出来る。
前に、男女、夫婦のことを「化け猫と、ボケ犬」と例えたが、それに似ている。
どっちの時間帯が良いということではなく、二つの時間帯を割り切って使えば良い。

それなら、「人間の時間」とは、いかなる時間を言うのだろうか。
「人間らしい時間」というと、知的であること(本を読み、文章を書き、楽しい時間を持って笑っていること、
過去・未来を語り合っていること。そして、感謝・感激・感動している時間。酒を飲んで歌っている時間。
そうすると、「犬の時間」「猫の時間」は、それはそれで良しとして、人間らしい時間を多く持つべきことになる。
せっかく面白い視点の喩え話も、人間様を持ってきて詰らなくなってしまったか。


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