2001年12月18日(火)
218,喜怒哀楽 -情念の世界

学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
ある意味で、運命的な出会いの本といってよい。 その本を読んでから、生きかたが全く変わってしまった。
その本の内容は、「ナチがいかにして短期間に大衆を惹きつけ、扇動したか」の要素の分析であった。
ヒトラーの感情むきだしの演説の手法である。大衆の感情にうったえる手法である。 感情を抑えるのでなく、
むしろ前面におしだし自己を主張せよ。「感情を抑えるのが理性でなく、むしろ燃え上がらせ、その舵取りが理性であると。
大衆を感情的に徹底して扇動、熱狂させろ!大衆はそれを待っている」「大衆は馬鹿な存在だ、それを待っている」
というのだ。 かなり刺激的の本であった。 昔の記憶なので、かなり主観的な内容に変わっているが。

30歳少し前、長岡に帰ってきた時「おい堀井が変わってしまったぞ!」と地元の友人に言われたのも、
実はそれが大きい要因である。考えてみれば単純なものだ。しかし創造は発狂だということを実際体験した。
たいして狂ってなかったが。 これをやると決めたら全ての情念を叩き込む!
「もっともっと喜べ、怒れ、悲しめ、楽しめ!」というのだから。 周りは大変であったと思う。
それも気づかれない様にやってるのだから。本人はもっと大変だったが。ペルソナ(仮面)であったからだ。
長岡で全員が、その反対を真面目な顔で演技していたから驚いた。

感情豊かであるほど人間性豊かである。感情豊かという事は、車のエンジンの排気量が大きいことに繋がる。
ガソリンは、感動・感激である。その為には超一流の芸術に接しることだ。
素晴らし音楽を聴くこと、絶景の場所に行くことだ。そのシャワーを浴びる事だ。
その時の感動が人間を豊かにするのだ!というような教えであった。
殆どこの辺が創作になる。いやこの文そのものが偽悪の表現だが。
まっとうに生きようと思ったら、狂うしかないのも事実だ。
まっとうに生きるとは何かだが? 自分の真に好きな事をみつけ忠実に生きる事だ!
それをやれば、世間様の目から見たら、狂っているとしか見えないからだ。

 チロリチロリ、チンチロリ 一期は夢 ただ狂え  今は「ホームページつくり」に狂ってます。

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