2003年12月09日(火)
979, 結婚30年
一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
つくづく嫌気がさしたこともない?上手くいっているかどうかの自己判定は、
20組いたら、上位の1〜2番目であろう。「親しき仲にも礼儀あり」が、私たちの特徴である。
お互いの世界には立ち入らないことにしている。 海外ツアーで「あなた方が夫婦とは知らなかった。
いつもバスから降りると別行動をしているから」と何回も言われた。
現場に行けば、その世界に独り溶け込んでしまうからだ。それと、24時間常に隣にいることになる。
その時、せめて一番の見せ場では独りでいた方がお互いによい。
それだけ対象は素晴らしいが。 一つだけ自慢がある。
夫婦で30回近く海外ツアーに参加している人はいない。それだけ大変である。
昔から「A型、長女、教養、お嬢さま、ウエット」が好みの要素のキーワードであった。
「30年間比較的うまくいっている」のは、その要素が比較的に多かったためだろう。
それと常に対話をしてきたこともある。長年の「権力闘争」から、全く会話がない夫婦がいるが、そうなったらお終い。
夫婦を一生続けることは大事業というが、私の場合はそうは感じなかった。
同じTvでも当たりと外れがある。当たれば10〜15年間は全く故障ないが、外れれば2〜3年で故障する。
夫婦も同じである。海外ツアーで、初対面のオバサン同士が自分の連れ添いに対して、
買った家電のように「私は当たり!」と嬉しそうにいっている人と、
「そうなの、良いわね、私は大外れなの!」という会話を聞いたことがあるが、夫婦の仲はこんなものだろう。
一緒に暮らしてみなくては、これだけは解らないものである。
数年前に親戚の夫婦が70歳を過ぎて離婚をした。ほんとうに深い人生の失敗?である。
結婚は家庭内離婚を含めると半分近く破綻をする。これも仕方ないことである。
子は鎹ーカスガイというが、本当である。家は住まいである。
「住まい」は「巣まい」が語源という。子供を育てるための居場所が、家庭である。
子供が巣立てしまった家庭を英語で「何とか?」と言っていたが、
今の我が家が、そうである。そこで再び二人きっりで向き合うことになる。
そして?????? 結婚30年は、丁度その時期である。
川柳に [二人とも 何か欠けてて いい夫婦」というのがあったが、
私らは「二人とも 全て欠けてて ぼけ夫婦」というところだ。
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