2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5

実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。
それが若さということなのだろう。何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。
黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい息詰まるような日々であったようだ。
もっとも誰もがそうだろうが。 それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。

4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。
それにしても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」 転ぶのを恐れてはいないのか。
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4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。
8割が女性社会ということは、はっきりいって知らなかった。
働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。
それにしても、いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
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4月30日
仕事面でも、対人関係でも、その中に自分がそのままいた。
今の自分は、ここで何をしようとしているのか、見失いがちになっている。
ウエットになりすぎているのか、それとも日々に流されているのか。
私は、ここに修行に来ていることを忘れないことだ。 しかし、それを知られては駄目である。
私は、結局実家の会社に帰り、そこを基点に会社を発展させなくてはならない。
周囲の人と同じ考えでは、駄目なのだ。この現実と理想のギャップに悩むことは良いことだ。
それが無くなった時に、人間の姿をした人形になってしまう。
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5月03日
今日、店長との座談会があった。 ふっと自分だけが取り残されている感がする。
気持が散漫になり集中できないのだ。自分が何様のつもりだろう、単なる青い一人の男でしかないのに。
自分自分と勝手に、独りよがりなだけでしかないのに。ちゃんと仕事ができるようになってから、
真っ当に理屈を言えばよいが、何もできてないくせに意識だけが先走っている。
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5月21日
ふと、仕事に対して気持ちの入っていない自分に気がつく。何をしているのだろう。いい加減な自分が情けない、惨めである。
確かに視野は広く持っていなくてはならないが、といって目の前をチャンとこなしてからのことである。 
本を読みこなして、その上で現在自分に何を期待されているかを把握しなくてはならない。そして何を成すべきかを把握したら、
それに対して行動しなくてはならない。 これだけ、毎日の激務の中、肉体的にも精神的にも限界である。

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