11月24日 (日曜日) 
            1968年
10時に起床。
ある部屋で、朝っぱらからダンスの模擬講習会をしていた。
面白そうなので早速参加をする。ジルバとルンバとブルースを一通りマスターはする。
15時に市川さんが部屋に来る。その話をすると「自分にもダンスを教えてくれ!」
ということで、今度は私の部屋で講習会みたいになる。 そういえば昨日スナックで飲んでいたとき、
三年の植本くんが「(同じゼミの同期の)田島さんが、私について評価をしていた」といっていたと
教えてくれた。「堀井はいつも人を冷静に見て平等に公平に評価をしてくれる」といっていたという。
また反面「自分が傷つくのが恐くって構えている。それが堀井の壁になっている」
ともいっていたとか。 なるほど鋭いものだ。 そういえば深井にも同じようなことを言われた。
「絶対にわき道にそれることはない。ノロノロと中速の速さで、事故も無く、一定の速さで進む。
しかし高速道路を見つけ得ないだろう」と言われた。 一年・年下の駒村孝道にも
「ものごとを考えすぎだ。若いのに考えて判断できる歳ではないのに。
行動をした後に考えるべきだ」とも言われた。なるほど一理がある。
高木の言うとおり「なすがまま、その場におぼれること」も重要だ。

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ー卒論について
11月になって、風邪をひいたり、ハイキングとか試験で全く進まなかった。
他のゼミの同期が卒論に対して全く進んでないことを言い訳にしている。
それを言い訳にして遊びすぎである。他の人に流されるとは。
寮生とアマリにも付き合いすぎる。一人の時間を見つけなくてはならない。
彼らと群れることで自己逃避をしているのか。独りの中心点の神秘な部分を大事にしなくては。
卒論は12月10日まで、下書きを書き終えること。 せっかく新潟の六日町の雲頓庵に2週間も篭ったのだから。
11月28日、12月2日、5日が中間試験だ。そして6日がゼミと続く。 この間が卒論の勉強は無理である。
いや両立をさせなくてならない。 ゼミと人事管理は27日と28日までに。 26日には「価格理論」を。
ということは明日しかない。そうすると明日の予定は中止か。約束はしているが、可能な限りやらなくては。