十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
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ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、
私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、
庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。
「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。  掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。
うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が
雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 
折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった.
 その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。
我が家には猫がいる。猫どもに気づかれぬよう、私は鳥籠を二階の押入れへ隠した。
餌をやる時には、金庫でも取り出すようにお出まし願う。
 浅井さん夫妻は、遠路を二日ばかりの滞在でとんぼ返りされて、また雀を迎えに来てくださった。"
私は、肩の荷を下ろした。と同時に、浅井さんのご苦労が思われて、期待をかけて負担になっては…と、
「煮るなりと焼くなりと、浅井さんにおまかせします。どうせ、助からなかった命ですから……」と、そんな事を言って、
あとは電話もしなかった。 それから、どのくらいの日数がたっただろう。浅井さんの奥さんからお電話を頂いた。
すっかり(雀が)育って近々巣立たせるから、是非見に来てやってください、とのことだった。
私は出かけて行った。 雀は、軒先に見るような雀になっていた。奥さんにすすめられて鳥籠に手を入れると、
雀は、親し気に私の肩や腕に止まった。「アラ、助けてもらった人はよくわかるのね」と、奥さん。 とんでもない…。
 障子の向うで、もう一羽の羽音がするのである。 奥さんが笑いながら話されるにはー。 雀を預って頂いたすぐあと、
今度は次女の方がお勤め帰りに燕の子を拾って帰られて、それもご夫妻で育てたということだった。…私は、言葉も出なかった。
雀も燕も、同じ年頃(?)とあって、二羽とも飛行の訓練に余念がなかった。お茶をよばれながら、「それでね……」などと
話していると、障子の向うの二間続きのサンルームを燕の羽音が過ぎて行く。向きを変えて帰って来る。障子のこちら側は雀……。
私は、おかしくてたまらない。 そこでー、奥さんがまた楽しい話を披露してくださる。
雀には練り餌を、燕にはミジンコようの虫を餌にするのだが、あるとき試しに雀にもミジンコを与えてみた。
雀は、ミジンコは食べない。食べないながらも、ミジンコは離さないでしっかりと嘴にはさんでいる。
燕が寄って行って、「頂戴!」というように首を傾げるのだけれど、雀はやらない。
くるりと後ろ向きになったりして、意地悪をするのだそうだ。 やがて、雀も燕も無事に浅井家を巣立って行った、
と報告を受けた。 鳥の行方を心配気に見守る浅井さん夫妻と娘さんのまなざし。 
軒端の上のぽっかりと透いた青空まで、目に見えるようである。
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  ところで、この雀、生きていけたのだろうか?私の知る限り無理だと思うが!最期まで飼うのがベスト? 
    庭に籠を置いて、入り口をオープンにして置く手もあるが。要らぬ心配か!

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