2005年11月09日(水)
1681, うそつき−4

「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ーこのような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。
しかし、その夜、帰ってきて村人に『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、
彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。

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