2004年10月25日(月)
1301, まさか、地元で大地震!−2

この文章を書き出したと同時に、再び大きな揺れである。震度5強と予測して、TVを見たら5弱であった。
まだ、震度に対する体感には誤差がある。既に36時間も経っているのに、今も地震が現在進行形というのが
驚きであり、不気味である。 今朝の地震では、電気と水道が止まらなかったのが救いである。
一昨夜の二回目の地震は、揺れると同時に、電気が消えた。
真っ暗になったので、まず仏壇前にあったロウソクを皿に数本立て明かりをとる。
地震が少し落ち着いた後、もう一皿に移動用のろうそくを立てた。
今日仏壇周りを整理して倉庫にしまった,大きなロウソク二本を取ってきて更に大きな明かりの確保をする。

その後、懐中電灯を探すがナカナカ見つからない。次に携帯ラジオを探す。
両方ともあったが、今度は電池が見つからない。それでも、やっと見つけ取りあえず居間の整理を始める。
現在から考えてみても、冷静に対処していたようだ。 鉄骨の二階で、かつ座っている場所の空間に、
危ないものが無いから冷静でいられるのだろう。こう書いている現在また震度3の地震がおきている。
慌てて、水の確保を思い立ち、鍋にポットに水を入れる。
(ゆれると同時に、サイドボードの前にいってドアを押さえている)
その合間に、この文章を書いている。 面白い体験である。

電気、水道と、ガスが全て止まると、全く普段の生活がストップしてしまう。
まず、水である。 トイレが使えない(風呂の水が当面使えたが)
飲料水がない。(ジュースが5〜6本と、ノンアルコールのビールが10本あった)
TVからの情報が途絶えた(携帯ラジオがあった) 食料はスナックが代用できた。
感覚的には、一週間は代用で持ちそうだ。 近くの24時間スーパーに行ったら、閉鎖していたが、
隣のドラッグストアーは店内散乱の中で営業を始めていた。 それでよいのだ、緊急時は。
食品と、飲料水が飛ぶように売れていた。 40人位がレジに並んでいた。

地震から一時間もしないうちにヘリコプターの音がした。 報道か自衛隊か解からないが、
発生と同時に準備をしなくては、その時間に飛んでこれないから、その瞬時体制は凄いものである。
昨夜は市民の4分の1の4万数千人が、避難所に夜を明かしたという。
電気も、ガスも、水道も確保出来ないのだから、それも当然だろう。
近くに住む兄が昨日の午後、訪ねてきたが、やはり家の中は足場も無いほど倒れたモノが散乱しているとか。
また、庭にある石灯篭も二つ倒れ、隣の家に入り込んでいるという。
                     つづく
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