2005年10月25日(火)
1666, 日本のこれから 今どきの若者たち

先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって「日本のこれから 今どきの若者たち」 
の討論がおこなわれた。 若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
私の場合、三十年以上も若い人を身近でみてきたこともあって、こんなものだろうという諦念があった。
若者、中年、芸能人、社長など多彩なタイプの人を集めたのが良かった。
一番印象的だったのは、ハンガリー若い女性の意見であった。
「私は社会主義国だったハンガリーの出身。アメリカの学校を出て、日本に来た。
この国は社会主義国よりも社会主義的です。そして好きな国です。
あなた達は国の責任とか社会の責任のいうが、自己責任をもっと問うべき。
甘えすぎではないか」それに誰も反論できなかった。
彼女は会場の議論をあきれていたようで、その後何も言わなくなった。

 ーこの討論の私の印象と意見を書いてみる。

日本経済の大転換期、若者たちの将来に明るさが見えない。
また、携帯やパソコンやTVなどから情報が溢れるほど入ってくる。
その中で、自由を与えられても基礎教養が希弱な若者は、何をもとめてよいか価値を見出せない。
(高度成長期は右ならえをしていればよかった)そこで、その同類が携帯電話などで集っているが、
そこには表面的な付き合いしか存在しない。

企業も、一部の選ばれし者以外はアルバイトやパートタイムに切り替えている。
競争経済社会では、そうしなくては生き残れない。
ドロップアウトしたものは将来に明るさを殆ど見出せないまま、フラストレーションだけが蓄積している。
少し注意されただけで切れてしまい、一生を左右する重大なミスをおかしてしまう。 
彼らは自分で如何したらよいのかの答えを見出すのは非常に難しい。
自分で答えを出すしかないが、情報化社会は価値の多様化でもある。
基礎が出来てない彼らに価値観を追求しろといっても無理の話。目先の欲望の追求が価値と思い込んでいる。

高度経済社会では、大量生産、大量消費の画一の価値に従えばよかった。
ドロップアウトをしても、それを拾うだけのエネルギーがあった。
しかし、このような社会は全ての場面で競争が激しい。もし私がこの時代の若者だったら、
やはり呆然としてしまうだろう。「今どきの若者は!」の批難が、右上がりの兆候が隠されていればよいが、
現在は明らかに急激な右下がりの兆候であるから、問題は深刻だ。
さらに彼らが激変している社会に対して不信を持っていることが、さらに問題を深くしている。