2007年10月20日(土)
 2391, 哲学と心の病
                   (っ´Ι`)っ { おはよう
    図書館から度々、月刊誌「新潮45」を借りてくる。 月刊誌としては人気があって、
   最近の本は殆どが貸し出されているが、時にタイミング良く借りることが出来ることもある。
   お目当ては中島義道「哲学者というならず者がいる」のコーナーと、ご存知、中村うさぎ「セックスという教養」。
   これに、あと一つ中味が濃い特集などの中に面白い記事が必ずある。
   たまに読むには良いが、毎月というと毒が強すぎる。今回の中島義道のテーマ「哲学と心の病」が、これまた面白い!
   いま問題になっている「ひきこもり」の問題の根本を鋭く解いている。
   
  ー面白そうな部分をコピーをしてみる
 ーー
「哲学と心の病」というテーマで講演会の講師をしたおりのこと。
・・・初老の紳士が手を挙げた。引きこもっている息子に対する相談である。
「どうしたら生きがいを見つけてやれるのでしょうか?」という質問であった。私は「生きがいなんて、みな嘘っぱちです。
人生は凄まじい修羅場ですし、そのあげく、どうせ死んでしまうんですから」と思わず叫んでいたが、こういう父親にこそ、
言いたいことが山のようにある。 彼は知的で温厚そうな紳士であり、自分のごまかしを、汚さを、
ずるさを微塵も恥じている風には見えなかった。 そこが問題なのである。
その言いようもない鈍感さに、息子は全身で抗議しているのである。
・社会のルールに従って、仕事において評価され、結婚して家庭を守ることが そんなに立派なことなのか?  
 それがあんたの「生きがい」なのか?それに何の恥も覚えないのか!
・想像力をたくましくして、自分は極悪人かもしれない、と思うことが
 入生において一隣でもなかったのか! それほどあんたはおめでたいのか!
 そのえらい顔を引っさげてこの俺を「導きたい」のか! 息子が思っているのはこのことである。
私は誤解しては困るが、こういう青年達が掛け値なしに「正しい」と、思っているわけではない。
哲学に身体の芯までボロボロに侵食された者が、単純きわまる人生観をもっているはずがない。
私は、そういう両親を攻撃している息子もまたずるいと思う。
そんな、反吐が出るほど軽蔑する奴の庇護の下にひきこもっているのだから、同じ穴の狢である。
そう叫んで家を出、放浪の旅に出てこそ、彼の言葉は輝いてくる。 だが、ひきこもりの青年はそうしない。 
勇気がないのか? それだけではない。 ひきこもりとは両親に対する復讐にほかならないからだ。
両親がおろおろすればするほどおもしろい。 途方にくれるほど、喜びがくみ上げてくる。
彼は、じわじわと相手のの心身を滅ぼしていく復讐の喜びをもって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ。・・・
ーー
   中島自身のことを書いているから、この辺の洞察は鋭い!彼の文を読んでいると、決して家庭円満ではない。
   息子の、そして自分の、その辺の狡さをチャンと見ているから、これだけ抉るように書けるのである。
   引きこもりの息子など叩き出せばよいだけなのである。ただ、それが出来ない弱点を息子が見抜いているだけでしかない。
   マイナスの循環の時は、そう理屈のようにならないものだが。
   浪人生活をすると、逆に独りで部屋に引き込まなければならない。
   自分が招いた日陰の身である。引きこもりは社会に適応できないのが理由。
   そこで如何に意欲を持ちえるかどうかだろうが・・・
   敵が身近な人の場合は、それを打ち破るのは膨大なエネルギーを要する。
   いずれにしても生きるのは大変なことです。はい! 
 それを肌で体験させる戸塚スクールの肯定派です。それが無理なら、せめて見学でもさせろ!親子して!                   
                     (。´・ェ・`。)Bye            ーつづく
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