■
2004年10月17日(日)
1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 −3
「今ここに」を、更に考えてみる。
ー前回では 「空」を時の上から解釈して、「即今」、 平たくいえば、ーただいまーと解釈した。
「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。
この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、あとに残る過去も先に待つ未来もなく永遠の今があるだけということに気づく。
空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。ーを抜粋し、そして感想を書いた。
今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。 感動、感激、至高体験、歓喜、感謝の時といえよう。
その瞬間が「今ここ」を実感する時である。その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。それが「永遠の今」である。
感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。
この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。
それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。 その「今ここ」は、悟りの世界でもある。
この中に、感激、至高体験、歓喜、感謝が含まれる。 いや、これらの言葉の中に、それぞれが含まれる。
「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。 挫折をした時、死を宣告された時、絶望を味わった時、
身近の人の死の時、 等々、あげることが出来る。 意識の深くに陥ってしまう時といってよい。
その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。
「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、宇宙と直接つながっている瞬間である。
・・・・・・・・・