2007年10月17日(水)
2388, こころの旅  −2
   「こころの旅」神谷 美恵子 (著)

第一章 人生の出発点
      の心の琴線に触れた部分を取りあげて考えてみる。
 ーー ーP.22
 天井からぷらさがったガラガラの動きに赤ん坊がよろこんでさらに手足を勤かすと、ガラガラはいっそういきおいよく
動いて音をたてる。これを何度もくりかえしているうちに「条件づけ」ができて、赤ん坊には何となく自分の動きと
ガラガラの動きとの間の因果関係がわかってくる。この感覚運動的知脳が発達してくると、今度は紐のついていない、
動かないガラガラをみると、自発的にひもを探し出す。これは「般化」という知能発達の始まりである。
その過程のこまかい分析はピアジェの名著「知能の心理学」にゆずろう。
ガラガラの操作をおぼえた赤ん坊はひとり遊びができる。もはや彼は孤独ではない。
彼をとりまく世界は彼の動きに応えてくれるし、彼みずからの動きは世界の状況を変えられる。
自分の生へのたしかな手ごたえを感じて赤ん坊は声をたてて笑う。
 
 この笑いやほほえみという現象は人間特有のものらしい。
ケロッグやケーラーがチンパンジーのあそびを観察して乳児のあそびと比較してみた結果、両者のあそびかたは
よく似ているにもかかわらず、重要なちがいがみとめられるという。 赤ん坊はあそびながらしばしば「驚き」と
「ようろびにみちた笑いやほほえみ」を示すが、チンパージは終始きわめてまじめなのだ。 
真の遊びとは、直接に利害関係のないことに対して注意と興味を示すことから始まる。
動物にその萌芽がみとめられると、それは萌芽にとどまる。
人聞の赤ん坊は早いうちから知覚の対象とある距離を保ち、事物の意味と可能性を発見して行こうという自発性を示す。

 主体から環境へ、環境から主体へ。この二つの方向の「循環」、すなわち交互作用こそヒトのこころを発達させる
必須条件であると思われる。そのさい、やりとりされる刺激の質も量も適当でなくてはならない。
ホスピタリズム」が形成される場合はこの双方に問題があるのであろう。
 ピアジェの考えでは右にいうような交互作用こそ適応ということばの真の内容なのだという。
すなわち「生活体の環境に対する活動と、その反対の活動、すなわち環境の生活体に対する活動とのバランス」
が適応なのであって、「生物は環境に対して単に受動的に従属するのではなく、かえって環境に働きかけて
これを変更し、環境に一定の独自の構造をおしつける」のである。
以後適応ということばを用いるとき私どももこのような内容を持たせたい。
 ーーー
解)
両親の愛情の温もりが直に伝わってくる人がいる。特に幼児期に両親や周囲の愛情をシャワーのように受けた人である。
深い愛情を受けると、人は笑顔になり周囲に対して積極的になるものだ。そして、それが性格の基礎としてカタチつくられる。
如何に幼児期の愛情が大切か身近の人を見ていると実感する。人間は絶対量で既に一生は決まっているといって過言ではない。
簡単にいえば温かみのある人で人品が良いともいえる。こういう人は本当に強いし、弾力性があり、不幸の方が弾き飛ばされるようだ。
反対に全くそれを感じない人がいる。 そういう人は直に解る。貧すれば鈍するでないが、両親の不仲の環境に育った人である。
自意識過剰で、自分を過大に勝手に評価、直に手の裏を返す。自分の顔に責任を持て!というが、顔と目に出るから恐ろしい!
                       \(^▽^*)バイ!
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