2006年10月16日(月)
2022, 「ちょい悪」の一考察
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
  「ちょい悪親父」の「ちょい悪」 =不良= の意味を考えてみよう。

子供の頃「不良」という言葉には、不気味な響きがあった。ヤクザモノというか、前科者か、その予備軍という意味があった。
徒党を組んで同級生弱い者虐めや万引きをするゴミのような連中で、誰の目にも卑劣の負け犬ということが歴然としていた。

   そういう人間は中学校を卒業して以来、身近にいなかった。そういう場に近づかなかったこと、近づけなかったこともあるが。
   街中の割には、それほどの札付きの男は居なかった。私が知る限り「不良」という言葉は、近年になって死語になってしまった。
   最近の「不良」の意味あいは、「付和雷同の世間体を大事にする良い人・真面目な人」に対して、
   「不真面目な人」に使われているようだ。

この大多数の真面目?の人たちは、既にその子供によって馬鹿にされ、それすら気づいていない哀れな存在?
と見られるようになった。もっと露骨に言えば「毒にも薬にもならない凡くら」それも人生だが・・
「ちょい悪親父」の悪は、毒である。「ちょい毒」を持っている親父をいう。
その「毒」を使い分けることができる、ということである。 「ちょい悪」と「おやじ」という言葉、何かフィットする。
イメージとして、戦中・戦後生まれの団塊までの55歳から65歳で、高度経済成長期の真っ只中で生きてきて、
何か真面目でも、不真面目ともいえない、その辺の居酒屋でクダをまいている男・・・というイメージである。
というと私のこと?と同年代の人は思うだろうが、正に私も含めてピッタリ当てはまる。

   「若いうち論語とか、諸子百家あたりを読んでいるのはよいが、歳をとってから急に目覚めている低脳親父。
    何じゃい?今頃になって『師のたまう?』だと、この馬鹿野郎!
    黙って、部屋で読んでいる分には良いが、般若心経を読んだり、写経している分にはよいが、
    今さら孔子・仏でも無いだろう。」と、捨て身になって言える親父が 「ちょい悪親父」である。

私の酒飲み仲間に、多くの「ちょい悪」がいた。いや、いるか?際どいところにいながら、崩れていない人?のことだ。
酒を飲みすぎて死んでしまった人や、??の秘密を持っている人、 ど助平の人、しかし、何か男の色気がある、
自分の毒を上手く薬に変えている人? 自分の好きな趣味を持っていて、こだわりのある人をいう。

  大多数?の真面目で面白くない人の共通点がある。
   ・安易な人生を過ごし、読書の習慣の無い人である。
   ・まじめで良い人で、
   ・努力をしない人で、何か白けていて、
   ・趣味のない人で、
   ・他人を否定することで自らを見出すしかない人 である。 そう、「貴方のこと」である。
   冗談、冗談!そういう人は、このHPなど見ていません。
   何処かの会に出て、「汁のでそうな連中」同士が奇麗事をいっているから、決して貴方ではありません。

ところで「汁のでそうな人」を書いてみようか! 
書いたあと、「自分のことだった」と一人赤面したりする可能性ありだが・・・
「ちょい悪」から面白い造語ができそうだ。 次回は、「ちょい悪造語を創ってみました」か?              
       まあ、まあ、まあ、コーヒーいかが?  (*^ー^)/C□~~                 
                                バイバイ!
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