精神病や精神症について、何度か書いてきた。 
誰もが、何らかの精神症は持っているし、その一歩手前の経験をしているはずだ。(まともであればだが)
言うか言わないかの差だろうが、家系や、性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。
青年期と、老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、それぞれある。
私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、それを気にしなくなったのは、50歳過ぎた頃だろうか。
私を知っている人は想像すらできない神経症を、一人静かに?乗り越えてきた。
青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。

誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。
60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。
もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触りなのかもしれない。
しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。まあ、明日のことは分からないが。

北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。
その冬の時期に起こるうつ病が深刻と、旅先で聞いた。
「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。
治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。
元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。
日本で最も自殺の多いのは秋田県は冬の時期が長いので自殺が多いというのも肯ける。
ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。
私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、
タツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。

しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。
無線のチューニングのように、周囲のマイナス、過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。
人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、その海に溺れ、もがくようになる。
そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。
その数歩手前の精神状況が殆どの老齢者の心のうちというから恐ろしい。
そういう連中が寄り沿うと、人間は後退をしていくのがリアルに見えてくる。
他人事ではない、まったく。とにもかくも、腹から笑える場所を幾つか持てるかである。

私が鬱にならないという自信があるのは、毎朝の散歩があるからだ。これを始めて25年ほどになるが、
朝の陽光と、新鮮な空気と、鳥と虫の鳴き声と、川のセセラギが身体にも精神に良いからである。
さらに土日の笑いの時間の設定である。 それと毎日一度の仏壇の前の祈りと、般若心経である。
 それを実行していても、どうも少し欝っぽいのは、そういう時期のためだろうか?
過去のマイナーの記憶がフラッシュのように飛び出してくる。 それが、歳をとったということか?
 欝的気分も日常の塩味として、必要であるが。 
                        -ω-)..。oо○(゚+。鬱々゚+。)
・・・・・・・・・・