2005年08月29日(月)
1609, 愛とは何か −1

この歳になって、いまさら「愛とは何か」でもないが、この年齢でなればこそ、愛が人間の心の背骨と実感する。
ある愛の定義が納得のいくものである。
「愛は、自分自身や他者に対して共感的にあるがままに受け入れることと 尊重することである」
これから考えてみると、愛することとは、自分を自分として、他人を他人として受け入れることになる。
まずは自分と他人を尊重することである。他人を愛するということは、よかれと思い、
その道を一緒に探し求めることである。 判断や批判なしに受け入れることが、愛の第一歩である。

飯田史彦著「愛の論理」の「愛」の定義が面白い。
その一部を抜粋してみると、
ー愛の定義 p.334

愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれている
ことへの感謝ゆえに決断し、
永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。

p.374
私たちは、愛の実行力からみた人間としての成熟度に応じて、
現在の自分に可能な範囲で精一杯の愛を実行すればよい。
なぜなら、成熟度を大きく超える愛の実行を試みても、そこには必ず無理が生じて、
自分自身を痛めつけたらり、相手をも巻きぞえにして傷つけてしまう結果になるからである。
ただし、私たちは、自分の成熟度を高めるための努力を、つねに怠ってはならない。
なぜなら、私たちは、愛の実行のみによってゆるされるのではなく、
より高度な愛を実行しようと挑戦することによって、ゆるされるからである。
したがって、私たちは、はるか彼方にそびえる「愛の山頂」にあこがれながらも、
いま目の前で踏みおろすべき「次なる愛の一歩」を、見きわめなければならない。
そして、まだ山のふもとや中腹を歩んでいることを自覚しながらも、
着実に山頂を目指して登ろうと努力する時、その勇気と成長によって、私たちはゆるされるのである。

ーまた谷川俊太郎の詩がよい
  あい    谷川俊太郎

あい 口で言うのはかんたんだ
愛  文字で書くのもむずかしくない

あい 気持ちはだれでも知っている
愛  悲しいくらい好きになること

あい いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きてほしいと願うこと

あい それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない

あい はるかな過去を忘れないこと
愛  見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること

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 宗教の愛についての教えも深い。 愛について聖書にはこう書かれています。
「愛は寛容で、情け深く、ねたむことをしない。高ぶらず、誇らず、
無作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨まない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。すべてを忍び、信じ、望み、耐える。」
また仏教では、「無縁の慈悲」を究極の愛の姿としています。
つまり、私が誰かに何かをしてやるということを全く意識しないで、他者を幸せにすることです。

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