2007年08月22日(水)
2332, ホッファー −1
                       オノヽ∋―_φ(゚▽゚*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。日本でいうと中村天風のような人物である。
「ホッファー」で検索をして、日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから発注をした。
「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、今から読むのが楽しみである。

HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。
生きていく上で真の「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
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・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。
・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、
 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。学校はまったく出てないかわり一日10時間、
 いや12時間、本を読みつづけ、綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。
・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーがドイツに帰っていくと、
 本当の天涯孤独になった。
・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。
 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」
 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。
 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア中を動きまわった。
・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、やっと思い知った。
「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属するということだったのだ。
 ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金労働者とはべつに、
 ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会だった。今でいうフリーターである。
・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、またまた読書に没入していった。
 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュをかばんの中に持って行ったのが、
 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えたのだ。
・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで失格、
 その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。
・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。
  将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は四十歳までなんだから」
  養育役のマーサのこの言葉は私の奥深くに刻み込まれ、そのおかげで季節
  労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。
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 老年になるまで、ミス・フィットと沖仲士を続け、決して高ぶらず底辺の人たちから
 学び続けた哲人の姿に全米の人たちから激賞を受けた。その言葉の一言一言が重い。       
                     − つづく    マタネ! |ω‘●)ノ               
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